第32話 一見様お断りの宿
ギルドから半ば攫われるようにして後にした俺は大男に誘われるままに、ギルドから城方面に500mほど歩いた場所にある1件の宿屋へと来ていた。
「到着したぜ。此処に連れてきたのは俺なんだから、俺の紹介だって言ってくれよな」
「もう! 筋肉馬鹿に先を越されるなんて…………」
ギルドから一緒に来た女性も大男に背を向けて腕を胸の前で組み、怒っているようだ。
俺は『紹介』だとか『先を越された』だとか意味がよく分からなかったが、よくよく考えてみれば2人の名前を知らないので聞いてみる事にした。
「は、はぁ、そういえば名前はなんて言うんですか?」
「そういやそうだったな、俺の名はグリュード。ギルドランクCの斧使いだ」
「私はイディア。不覚にもコイツより劣る、ギルドランクDの弓使いよ」
「じゃあ改めて、俺の名はクロウ。ギルドランクEの魔術師兼剣士です。よろしくお願いします」
「おぅよろしくな。さっさと宿に入ろうぜ、晩飯を食いそびれちまうからな」
そうグリュードさんに促され、俺達3人は扉を開けて宿の中へと足を踏み入れた。
「ただいま~っと、今帰ったぜ!」
「ただいま帰りましたわ」
グリュードさんとイディアさんはまるで自分の家に帰って来たかのような口ぶりで宿屋に足を踏み入れるなり、そう口にした。
「お帰り、今日も沢山稼いできたのかい?」
「いや、今日はちょっと用事があって街の外には出なかったんだ」
「同じく……」
「頑張って稼いで来なよ。宿代が払えなくなったら、即刻出てってもらうからね」
「そりゃねえよ。折角新規の客を連れて来てやったって言うのによ」
「そういや、そっちの男は見た事が無い顔だね」
「あ、クロウと言います。グリュードさんに此方を紹介されました」
俺はさっきの意味がよく分からなかったが、言われた通りに『グリュードさんの紹介』だと言うと。
「グリュードの紹介でねぇ。なら、グリュードは今日から宿代は1100Gで良い…………と言いたいところなんだけど、アンタ今日の朝飯を頭が痛いとか言って残したね?」
「そ、それは昨晩仲間と飲み過ぎちまって、二日酔いで已む無く」
「いい大人が言い訳なんてするんじゃないよ。罰として今日の宿代は1150Gだ。それで良いね?」
「おぅ……」
「イディアの嬢ちゃんは、今日で確か50回目の宿泊だね。宿代は1100Gで良いよ」
「ありがとうですわ」
グリュードさんは1150G、イディアさんは1100Gを宿屋の女将さんと思われる女性に払うと部屋の鍵を受け取って入り口横の階段を上っていった。
「さて騒がしくてすまないね。新規の御客さんとなると、宿代は朝夜2食込みで1300Gになるけど如何するね? 因みに5日纏めてなら6000G、10日纏めてなら11,000Gとお得だよ」
「失礼ですが、まだこの宿屋の事を良く知らないので先ずは1泊でお願いします」
デリアレイグの宿屋の事もあるので、大変失礼だと思いながらも様子見の為に1泊でお願いすることにした。
「慎重なのは嫌いじゃないよ」
女将さんはそういうと、俺が取り出した1300Gと引き換えに【202】と刻印が打たれた鍵を手渡してきた。
「部屋は其処の階段を上がったところの2番目だ。便所は階段下だし、水は部屋に木桶があるから自由に裏の井戸から汲みあげて使っておくれ。食事が出来たら呼ぶから、それまでゆっくり休んでておくれ」
俺は鍵を受け取ると、女将さんの指示通りに階段を上がり2番目の部屋の前へと来ていた。
部屋は同じ階に10部屋ほどあり、俺が昇ってきた階段も更に上へと繋がっている事から客室は思ったよりもありそうだ。その割にはあまり物音がしない事から、此処に泊まっている人は少ないと思われた。
俺は何時までも此処に居ては始まらないと思い、部屋の扉と手に持っている鍵を見比べて合致している事を確認して部屋へと入ると、其処は自分が思っている以上に整った綺麗な部屋だった。
部屋に入って左手にはビッグサイズのベッドが壁に備え付けてあり、右手には収納棚と衣紋掛けが2個。
壁には明かり取りの為の格子窓が付いているようだが、嵌め殺しとなっているようで開ける事は出来なかった。
天井には灯りの為と思われる蝋燭が1本入れられているランタンが吊るされていた。
俺は身に着けている防具をすべて外して収納棚に置くと、ベッドに横になって考えはじめた。
「結局アリアにもリュリカにも、何も言わずにデリアレイグを出発してしまったな。あれだけ世話になったというのに俺は最低だ。ガウェインさんに言付けをしてきたとはいえ、直接言えなかったことは残念だ」
どうやらベッドに横になって考え事をしている間に眠ってしまったようで、女将さんの『食事の準備が出来た』という声で目が覚めたころには既に部屋の中は真っ暗闇になっていた。
俺は寝ぼけ眼で欠伸を噛み殺しながら部屋を出ると、丁度隣の部屋を開けて出てきたグリュードさんとぶつかりそうになってしまった。
が、グリュードさんは余程腹が減っていたのか、俺の姿に気が付かないまま階段を駆け下りて行ってしまった。
俺も遅れて食堂へと行くと、各テーブルに部屋番号が書かれた札とともにオレンジがかった暖かい湯気をだしているスープと黒くて固そうなパンが2個、それに黄、赤、紫という色鮮やかなサラダが置かれていた。
俺の部屋番号である【202】の札を探して席に着くと、隣の【201】の札が置かれている場所でグリュードさんが両手で持った黒いパンを歯で食い千切っていた。
その背中合わせとなるテーブルではイディアさんがパンを手で細かく千切ってはスープに浸して食べるという静かな食事をし、グリュードさんは両手に1個ずつ黒パンを手に取ってズズズズ……っとスープを音を立てて飲み干しながらパンを噛み千切るという、完全に正反対な食事方法をとっている。
ちなみにイディアのテーブルに置かれているボードには【303】と書かれている。
「おっ、クロウも来たか。【202】という事は隣の部屋だな」
「少しは静かに食べられませんの?」
「うるせえな。早寝早食い早グソって言うだろうが」
いや早寝早起き早食いってのは聞いたことがあるけど、早グソっていうのは…………しかも食事の席でそんな事を言うのは御法度もいいところだろう。食堂の奥の厨房から女将さんが凄い形相でこっちを睨んでるし。
俺もイディアさんを見習うかのようにして固いパンを手で千切りつつスープに付けて食べると、これまで食べた事のない美味しさだった。これなら翌朝の食事も期待が持てそうだ。
「ん? そういやエリスの嬢ちゃんは如何したんだ。姿が見えねえが」
「彼女なら新しくできたパーティーと一緒に討伐依頼を受けて、2日ほど前に出発したと思うけど?」
「いつもお前と一緒に行動してるのに、今回は別々なんだな」
「お前って言わないで! 3日ほど前に私を指名した依頼があったから、一緒に行動できなかったのよ」
その後、食事を終えた俺たちは食後のデザートとして出された果物を齧りながら話をしていた。
「そういえば如何して宿代が皆バラバラなんですか? それに食事が美味しくて客室の数も多い割に此処に泊まっている人数が少ないのも気になるし」
テーブルの上に置かれている札の数を見てみると、俺とグリュードさん、イディアさんを含めて、たったの5人しか此処の宿に泊まっていないようだった。
「この宿は少し特殊でな。先に泊まっている客の紹介なしじゃ、幾ら金を積んだとしても泊まることは出来ないのさ。今は亡き、宿の主人が決めたルールって奴だ」
「宿代にしてもそうよ。基本は1,300Gだけど、女将さんの頼みを聞いたり、自分が信用できると思った新規の御客さんを連れて来たり、何日か以上の宿泊をしたりしたら、50Gずつ。最大で300Gを宿代から差し引いてくれるの。逆に女将さんの話にあったようにグリュードが朝御飯を残したり、食事の席で下品な物言いをしたら罰として50Gずつ。最大で200Gが宿代に加算されるってわけ」
「後は5泊で6000、10泊で11,000って言われたと思うが、これは今日から数えて10回泊まれるってことだ。連続して10日って訳じゃないから安心しろ」
その後、テーブルの上の食器を片づけに来た女将さんから、グリュードさんが食事の席で口にした『早グソ』という言葉について問い詰めて一騒動あった事を追記しておく。
女将さん曰く『明日から暫くの間、宿代は1,200Gにする』との事だ。
汚い表現がありました。
食事中の方、大変失礼いたしました。