第26話 国王陛下とヴォルドルム卿
エルフの女性セルフィを新たに旅のメンバーに加え、途中立ち寄った小さな村を出発してから5日後の朝、俺たちは漸く王都ドラグノアの入口の門の前へと辿り着いていた。
門の前には商人の馬車なのだろうか、十数台はあると思われる大小様々な馬車が王都の中に入るための手続き待ちをしているようだが、俺達が乗っているこの馬車は行列を完全無視して何事もなかったかのように門を潜り、街の中へと入っていく。
後に聞いたところ、この馬車の屋根にはヴォルドルム卿の家紋が記されているので一般人は勿論、衛兵ですら声を掛ける事は出来ないのだという。
馬車の窓から壮大な大きさを誇る門を見上げると、門に連なる城壁の上で数人の弓兵が弓に矢を番えた状態で門の外へと目を瞠らせていた。
何の問題もなく門を抜けた馬車は一路、街の中心部に移置する城へと走っていく。
俺は窓から見える景色に『デリアレイグの何倍くらいの広さがあるんだろう』と考えていると、俺の考えていた事が漏れてしまっていたのかヴォルドルム卿が街の説明をしだした。
「この王都ドラグノアは街全体を強固な城壁で囲い、迫りくる外敵に備えています。更にデリアレイグには少し劣りますが、魔物の侵入を防ぐための結界も四方に張り巡らされています」
「王様が住まわれている街の結界が、デリアレイグに張り巡らされている結界よりも劣るというのは、些か可笑しな感じがしますが」
「仕方ありません。この街の結界は城の学者達がデリアレイグの結界を研究し、紐解いた結果偶然に出来上がった代物ですから」
そうこうしているうちに馬車は多くの人が行き来する繁華街を通り抜け、城の中へと入っていく。
城に入って直ぐの場所で馬車は静かに停車すると、傍にいた騎士2人がさっと馬車に駆け寄り扉を開くと、俺達に馬車から下りてくるように促した。
俺とセルフィ、それにヴォルドルム卿は静かに馬車を降りると待ち構えていた別の騎士に先導され、城内へと続く長い階段を1歩ずつ歩いて行く。
一緒に乗っていたラウェルはというと実の兄弟であり、今までともに旅をして来たアシュレイとテオフィルに両脇を挟まれて、奇声で喚きながら別の方向へと連れ去られていった。
「これから陛下に謁見した後に、クロウ殿には禁術を無効化する術を受けて頂きます」
「陛下に謁見って、俺もですか!? 自分で言うのもなんですけど、何処の馬の骨ともしれない輩を簡単に国の王様に会わせてしまって宜しいのですか?」
「ええ、大丈夫ですよ。この国の陛下は帝国と違ってとても大らかで、事前に約束さえしてあれば誰にでもお逢いになられる御方なのです。当然、謁見の間には最高位の騎士である近衛騎士隊が配置されていますが、更に近衛騎士でさえも太刀打ちできない強さを持つ方が御一方いらっしゃいますから」
と会話しながら歩いていると、不意にセルフィが俺の背中にしがみ付いてきた。
『セルフィ、歩きにくいよ。気持ちは痛いほどよく分かるけど、もう少し離れて歩いてくれないか?』
『ね、ねえクロウ、私はどうすれば良いのか聞いてみてよ』
「あの、ヴォルドルム卿? セルフィが『私は如何したら良いか』って聞いてきてるんですが」
「ああ、そうでしたな。一応謁見の約束は私とクロウ殿の2人だったのですが、それほど問題はないでしょう。陛下は好奇心旺盛な方でしてな。あの方以外のエルフが来たとあっては、約束事が無くともお逢いしようとするでしょう」
「一国の王がそんな簡単な事で良いんですか!?」
が俺のその問いに答えたのは、ともに並んで歩くヴォルドルム卿ではなく俺達を道案内している騎士だった。
「われわれ臣下一同、既に諦めておりますゆえ」
「聞いての通りです。セルフィ殿に気にしないよう言ってください」
『セルフィ、ヴォルドルム卿から一緒に謁見しても問題ないそうだよ』
『私としては事が終わるまで別室で待機って言われた方が嬉しかったんだけど。それに目上の人に対する人間的な礼儀作法なんて知らないし』
『大丈夫だよ。俺も知らないから』
『…………それはそれで可也問題があるんじゃないかと思うんだけど?』
そうこう話しているうちに俺達3人は揃って大きな扉の前へと到着した。
「此方で暫しお待ちを。ヴォルドルム公爵様、御到着! 開扉願います」
此処まで先導してきた騎士は此方に対して深く頭を下げて一礼すると、俺達を扉の前に置いたまま来た道を戻っていった。
その数秒後、目の前にある厳かな巨大扉は静かに内部に向かって開かれていった。
ヴォルドルム卿は開かれた扉の前で一礼すると、静かな足取りで謁見の間を進んでゆく。
俺とセルフィもヴォルドルム卿を真似て頭を下げると、ヴォルドルム卿に置いて行かれないようにと早足で謁見の間に入っていった。
謁見の間の壁際には赤いカーテンが引かれ、その前に白い鎧に金の装飾を誂えてある全身鎧を着こんだ騎士が剣や槍を手に微動だにせずに立ち並んでいる。恐らくは此の方達がヴォルドルム卿が言っていた近衛騎士隊だろう。
謁見の間を100m程歩いたところでヴォルドルム卿は片膝を折ってしゃがみ込むと、両手を握り拳にして床を殴りつけるかのようにして頭を下げる。
俺達も其れを倣って片膝を折ると頭上から声がかけられた。
「遠路遥々御苦労だった。面をあげよ」
目の前には床から10段ほど階段を上がった場所にヴォルドルム卿に何処か雰囲気が似ている男性が煌びやかな衣装を纏って座っていた。
「ヴィリアム陛下に於かれましては御機嫌麗しゅう…………」
「止めよ。私がそのような事を望まぬことはヴォルドルム卿も知っておろうに」
ヴォルドルム卿にヴィリアム陛下と呼ばれた檀上の男性は下から掬い上げる様に右腕を振ると、壁際の騎士たちは一斉に頭を下げて、赤いカーテンの向こうへと消えていった。
が、陛下の指示に反抗するかのように一人の潰れた蝦蟇蛙のような容姿の男が反論してきた。
「へ、陛下、お待ちください。ヴォルドルム卿だけならいざ知らず、何処の平民ともしれぬ輩や下賤なるエルフをこの場に残したまま近衛兵を退出させるなど、あまり褒められた行為では御座いませんぞ!」
蝦蟇蛙男が『下賤なエルフ』という言葉を口に出した瞬間、無言で国王陛下の傍に控えていた年老いた男性の肩がピクッと反応した。
「クロウ殿とセルフィ殿は私の大事な客人だ。貴様如きに下劣などと言われる筋合いなどないわ! そもそも何故貴様が謁見の間に入り浸っておるのだ」
「これは異なことを。防衛大臣として陛下の御身を護るという職務を全うしているに過ぎません」
「近衛騎士はおろか、騎士にすら敵う事が出来ない貴様が其の身1つで陛下を護るだと? 馬鹿も休み休み言うがいい。其の事、よく理解したなら速やかに謁見の間から退出せよ」
「くっ、言わせておけば……」
ヴォルドルム卿の物言いにキレかけている、ゲイザムと呼ばれた男は今にもヴォルドルム卿に飛びかからんとしているが、いいタイミングで陛下から止めとも取れる指示が下される。
「ゲイザムよ、ヴォルドルム卿の言うとおりだ。下がれ」
「しかし陛下!」
このゲイザムと呼ばれた男がどれだけ偉い立場にいる人間かは分からないが、一国の王に反論することなど其の事自体が褒められた行為とは言えないんじゃなかろうか。
「ゲイザム、命令だ下がれ! 三度目はないと思え」
「ちっ……了解いたしました」
ゲイザムと呼ばれた男は漸く踵を返して謁見の間を後にしたが、此処を出る瞬間俺とセルフィを視線で射殺せるのではないかと思えるほどの鋭い視線を向けてきたのだった。
此れでこの場に居るのは俺達から見て10段ほど階段を上がったところにある玉座に腰かけるヴィリアム陛下と、その階段の脇に立つ還暦を迎えて良そうな落ち着いた雰囲気を醸し出す男性と、その下に跪いている俺とセルフィ、ヴォルドルム卿の5人だけとなった。
壁際の騎士たちが姿を消した直後、ヴォルドルム卿は誰に言われたからでもなく姿勢を正すと、まるで親しい友人に声を掛けるかのように砕けた口調でヴィリアム陛下に声を掛けるのだった。
「ヴィリアム、元気そうで何よりだ。どうせクレイグに迷惑ばかり掛けているんじゃないのか?」
普通、一国の王にそんな態度を取れば不敬罪とされても可笑しくはないのだが、何故か玉座のヴィリアム陛下もその前に居る男性も何も言わなかった。それどころか驚きの言葉を言い放つのだった。
「全くですぞ。ヴィリアム様ときたら、数々の面倒事を起こしては爺に丸投げするのですからな」
「じ、爺。何も兄上の前でそのような事をばらさなくとも良いではないか! さては此れを狙っておったな?」
「はてさて、何のことか見当もつきませんのぉ」
「あ、あの此れは一体どういう事なのでしょうか?」
俺とセルフィは目の前で繰り広げられている言い争いと、陛下がヴォルドルム卿を兄上と呼んだことに混乱して恐る恐る聞いてみると、驚くべきことにヴィリアム陛下とヴォルドルム卿は実の血を分けた兄弟なのだという。
王都にヴォルドルム卿が帰ってくるたびに、謁見の間で兄弟喧嘩とも取れる言い争いが発展するらしい。
先程、壁際の騎士を下がらせたのもこの為かと思いきや、この兄弟喧嘩は国内全体に知れ渡っているため少しでも王としての威厳を損なわせないために騎士を下がらせたのだという。
内心、手遅れだと皆が思っている事は言うまでもない…………。