第148話 瘴気の街
デリアレイグの町の近くから飛び立ってから凡そ半日後、空が薄らと暗くなり始めた頃にドラグノアの城がが視認出来るところまで来たのは良いが、これまでにヴォルドルム卿らの姿や馬車は確認する事が出来なかった。
ゴブリンと思われる死骸が数十体、荒野に打ち捨てられていた事から多人数で迎え撃って倒したという事なんだろうが、そのゴブリンの死体からは腐敗臭が漂っていることから大分前に倒された物と見ていいだろう。
その他にも踏み荒らした跡がある草木や、動物の死骸に骨、焚火の跡だと思われる炭状の木片など、何かを見つけるたびに精霊の協力の元で周囲を探索してみたが何も手がかりを得る事が出来ないままで此処、ドラグノアに到着する事となったのだった。
久しぶりにドラグノアに来てみて思った事はといえば、あまりにも変わり過ぎた外見だろうか。
白亜の城と外壁を思わせるような綺麗な城は、外壁から城壁に至るまで真っ黒にされて某有名RPGの魔王城を思わせる雰囲気にされ、街からは人は住んでないと思わせるような瘴気が漂っている有様だった。
瘴気というと、この世界に足を踏み入れた初日に何も知らずに寝泊まりした魔の森を思い出すな。
あれから森の集落に行ってないけど、リオーネや長老のお婆ちゃんは元気かな。
~~っと、現実逃避もほどほどにしとかないと駄目だな。
《エスト、この現状を目の当たりにしてどう思う?》
《マスターとともに、この地で暮らしていた頃からしてみると天地の差ですね。街の彼方此方から人にならざる者の気配を多く感じます。これは魔に魅入られた者か、もしくは魔に準ずるものが何等かの儀式を行った結果、このような事態になったとみて良いのかもしれません》
《魔に魅入られた者というのは何となく想像できるけど、魔に準ずる者というのは?》
《私達精霊とは正反対の存在である邪霊の事を示します。奴等は人間の負の心と同化して徐々に人の心と体を乗っ取って支配し、今のドラグノアの地を思わせるかの様に街全体を負の感情で覆いつくし、他の邪霊をこの地に呼び寄せて次第に仲間を増やして世界を支配しようとするでしょう》
《じゃあ、今のドラグノアは……》
《恐らく夥しいほどの邪霊が人間と同化して、街の中に足を踏み入れようとする者を仲間に引き入れようと手を拱いていることでしょう》
《じゃあそれを知らないで不用意に街に入ってしまった場合は大変なことになるな。いや此処に来るまでヴォルドルム卿らに遭わなかったという事は既に手遅れだという事も考えられるか。もしも時既に遅く、邪霊に取り憑かれてしまっていたとしたら元に戻す手立てはあるのか?》
《その時は【シャイニング】を用いて、その者に取り憑いている邪霊を消し飛ばしてください。その後は邪霊の支配していない場所か、もしくは結界内で体力が戻るまで休ませておけば大丈夫でしょう》
《ちなみにあの中に俺が入ったら、俺も邪霊に取り憑かれて危ないか?》
《いえマスターには私達精霊がついているので、邪霊は寄ってくることが出来ません。更に私達と同化した姿で戦えば【シャイニング】を用いずとも、人間に取り憑いた邪霊のみを倒す事は可能です。私達精霊の加護を受けてきた者達であれば、邪霊に取り憑かれなくて済むのですが……》
そうこうしながらも俺が遣って来た方向からヴォルドルム卿らが乗る馬車が来ないか目を光らせていたが、何処からもそういう様子はないし、エスト達に聞いても半径10km圏内に馬の嘶きや数人の足音さえも聞こえてこないとの事だった。
なら逆に既に街の中に入ってしまっているのでは? と思っていたが、エスト曰く邪霊と思わしき声は聞こえてくるものの、人間の声は聞こえないとの事だ。
更に俺の知っている人たちの気配も感じられないらしい。
《でも街の中心にある城の中にはゲイザムとか、ヴィリアム陛下とかが居ると思うんだけど?》
《城は此方でも視認しておりますが、何らか結界が邪魔をして内部を覗く事が出来ないようです。申し訳ありません》
《そういえばさっき【シャイニング】で取り憑いた邪霊のみを倒すことが出来るって言ってたけど、それはどれだけ時間が経っていたとしても人間と邪霊を引き剥がす事が出来るのか?》
《残念ながら時間に限りがあります》
《そうか……その時は躊躇せずに一思いに逝かせてやらないとな》
《逆に取り憑かれていた時間が短かったとしても、何らかの事象に絶望して生きる気力を失くしてしまった場合は運良く邪霊を引き剥がせたとしても、その者は物言わぬ息をするだけで身動き一つ、言葉の一つさえも発する事が出来ない骸ムクロになってしまうでしょう》
それは想像を絶する事だな。
近しい人がそうなってしまったら周りの人も絶望するしかない。
その後、思いっきり暗い気持ちにさせられたが、日が落ちた事で周囲がまさに闇に包まれるまえに地上から視認できない高さまで上昇して【ディメンション】で空間倉庫を開くと、そこで夜を明かしたのだった。
最初からヴォルドルム卿らに挨拶するつもりで出てきたので、それほど食料を積んできてはいなかった。
前のリュカを迎えに行った時に食べ残した果物や干し肉が僅かに残っていた事は幸いか。
そして翌朝、まだ朝霧が出ている頃にエストから『誰かがドラグノアの門の前で街の変わり果てた様子を見ているようだ』との報告を受けて急ぎ地上へと戻ってみると其処には今まさに武器防具との道具類の入念なチェックをして街に踏み込もうとしているヴォルドルム卿の姿が見受けられた。
その後ろにも完全武装姿のイディアやグリュードの姿も見受けられる。
「くそっ! このままじゃ俺が話しかける前にヴォルドルム卿が街の門に入ってしまう。どうする? どうすれば足を止められる」
その後、短時間で導き出された答えは少々荒っぽいものになってしまった。
「ヴォルドルム卿、申し訳ない。なるべく当てないようにしますから」
俺はそう独り言を口にして掌に低魔力の【ファイア】を出現させると、ヴォルドルム卿が今まさに手を掛けようとしている街の門へと発射した。
そしてその直後、ヴォルドルム卿の頭から2m程の上の高さのところに【ファイア】が直撃した。
「て、敵襲か!?」
思っていた通り、慌てて門から手を放して周囲が臨戦態勢になってしまったが、上空を見ている者は流石に誰もいなかった。というか、総大将が一番最初にに敵地に乗り込もうとするっていうのは如何なんだ?
その後、俺は独り言を言いながら門とヴォルドルム卿と俺を三角形で結べる場所へと静かに降り立った。
「良かった。間にあいました」
俺が空から落ちてきたことに対して周囲から驚愕する声が聞こえてくるが、流石はヴォルドルム卿という事か逸早く体勢を整えると、腰の剣の柄に手を載せながら確実に俺の事を認識しているようだった。
「ク、クロウ殿!? どうして此方に? もしや先ほどの魔法はクロウ殿が?」
「その件は後で心から謝罪します。今は貴方達が街に入る事を寸前で止めれて良かったと思います」
「街に入る事を阻止ですか? それは一体どうゆう……」
「貴方達は普通に地上を歩いてきたので分からなかったと思いますが、今のドラグノアの街は瘴気に包まれていて、更に内なる精霊からの情報によれば数多くの邪霊が漂っているとの事です」
「邪霊ですと!?」
俺の言った言葉に逸早く反応したのは口を出さずに事態を静かに見守っていたレイヴだった。
「そう様子だと、邪霊の危険性を認識しているようですね。 俺は口下手で上手く説明できないんで申し訳ないけど、代わりに皆に説明してくれませんか?」
その後は門の前に集まっている皆にレイヴが説明していき、足りない所は俺がエストの言葉を代弁して伝えていった。
そして説明を事細かにしていった結果、周囲から命拾いをしたとの声が多く寄せられた。
「クロウ殿は魔法攻撃をしてまで皆を止めた理由が良く分かりました。此処までの事であればクロウ殿を責める事など出来はしません。逆に感謝しても、し足りないほどです」
「でもよ、折角人数集めて城を奪還しに来たって言うのに、これじゃ打つ手がねえぜ? クロウの話からすると街に足を踏み入れただけで邪霊とやらに取り憑かれて廃人になっちまうんだろ? お手上げだ」
言葉からして男が喋っているように聞こえるが、喋っているのはドラグノアのギルドマスターだったジェレミアさんだ。左右の腰部に小型の手斧をぶら下げ、更に背中には大型の両手持ちの斧を装備している。
「さて、どうするか……」
《なあエスト、さっきは精霊の加護を持ってれば邪霊に取り憑かれなくて済むって言ってたけど、そうすると此処にいる人間で街の中に踏み込めるのは俺とレイヴだけになってしまうんだ。如何にかして此処にいる皆を邪霊から保護する方法ってない物かな?》
《ご提案できる物は二つですね。まず一つ目、あまり推奨したくはないのですが、レイヴとマスターで瘴気を吐き出している存在をすべて始末してしまう事です。いくら邪霊とはいえ瘴気のない場所には存在できませんから。ちなみに魔の森の場合は瘴気の発生元は魔樹その物ですが、此処では何が発生元なのか》
魔の森みたいに分かり易い場所なら未だしも、一つの大きな街で瘴気の発生元を特定して、たった2人で全てを始末するっていうのはどう考えても無理がある。
それにそう簡単に原因元に辿り着けるとは思えない。
そういえば街の門を護っている筈のチンピラ騎士の姿が見受けられないな。
前に来た時には街に入ろうとしている商人と、通行料をせびっているチンピラ騎士が居たのに。
《それで、もう一つの方法は?》
《もう一つはマスターの血液を飲む事です。マスターの御身体は私達精霊と契約した事で『神子』と呼ばれる存在になっています。なので、その聖なる血を口にすることで邪なる者から身を護る結果となるのですが……》
《なんだ? 何か気になる事があるのか?》
《これまでに類を見ない事なので、マスターの血を口にする事で対象にどんな変化が齎されるのか全く見当もつかないんです》
《最悪な場合、死に至るとかか?》
《はい……》
俺の血は毒なのか?
今も俺の前で此れから如何するかと言う話が主要メンバーで繰り広げられているが、俺は今聞いた事を皆に話さないといけないのか。
このまま皆に何も言わずに、空を飛んで森に逃げ帰りたい気分だ。
一応言っておくが、決して血を流すことが怖いという訳ではない事だけは此処に記しておく。