第143話 腕試し
「私、いつの間に此処に帰ってきたの?」
魔物の肉の毒抜き作業場、ドワーフの鍛冶場、果樹園へとリュカの顔見世の為に歩きまわり、夕方ごろに家へと帰ってきた俺とリュカが居間で水を飲んで落ち着いたところでリュカが言った言葉がこれだ。
リュカ曰く、ヴェルガのところでミスリル鉱石を見たところまでは憶えているものの、そこから先の果樹園での挨拶や、果樹園から家に帰ってくるまでの記憶がすっかり抜け落ちているらしい。
それほどミスリルの印象が深かったのだろうか……。
その日の夕食は例の巨大果物に魔物肉の燻製肉、果物の搾り汁に冷蔵庫の中に入れてあった、翼人族の無精卵のゆで卵だ。
リュカのお気に入りである、世界樹の泉の水も冷蔵箱でキンキンに冷やして食卓に並べられている。
久しぶりに魔物に襲われる事のない、安全な場所での食事を始めようとしたところで入口の扉をノックする音が聞こえてきた。
いや、扉を叩く音からして『ノック』と言うよりも、力任せにドンドン叩いてると言った方が正しいか。
尚も鳴り止まない音に慌てて扉を開けると、其処に居たのは脇に何本もの木筒を抱えて拳を振り上げているヴェルガの姿だった。
「なんだ、ヴェルガか。こんな時間に一体どうしたんだ?」
「神子様の御連れの方が元気のないように見受けられたんで、元気の出る魔法の水を持参したわけで」
ヴェルガはそう言ってるが『元気の出る魔法の水』って言うのは漂ってくる匂いからして、間違いなく酒の事だろう。
俺は酒類を飲むと頭痛に悩まされるのでヴェルガに応える事は出来ないが、リュカならヴォルドルム卿の屋敷でワインを瓶ごと口に付けて煽っていた事から飲めないという事はないだろうが……大丈夫か?
「お兄ちゃん、誰だったの?」
「あ、ああ、ドワーフ族長老のヴェルガだったよ。顔見世の時に元気がなかったリュカの事を心配して態々来てくれたんだよ。中に入れても良いかな?」
「もちろんだよ」
リュカと俺に了承を得たヴェルガは脇に抱えた木筒を『勝手知ったる他人の家』とばりに冷蔵箱を開いて木筒を全て押し込んだ後、土間に敷かれている簀子の上で軽く、靴の土を落すとそのまま夕食が用意されているテーブル席へと足を進めた。
冷蔵箱に木筒を入れてる様子を見ていたリュカから『アレは何?』と冷蔵箱を指さして聞かれたが、冷蔵箱は物を冷やすための箱、木筒は飲み物とだけ言っておいた。
「え、え~~神子様にリュカ様と……」
「なぁヴェルガ、たぶんメレスベルに五月蠅く言われているんだろうとは思うけど、無理して丁寧語を使う事はないぞ? いつものような砕けた口調でいいからな? リュカもそうだろ?」
「うん。私の方が無理言って此処に住まわせて貰うんだから、どちらかと言えばガチガチな言葉よりも、気楽に世間話をするかのような口調で話してくれた方が嬉しいかな」
「ふ~~~神子様とリュカ殿がそう言ってくれると助かるわい。いつ舌を噛むかとヒヤヒヤモンじゃったからの……」
口調はかなり砕けた物になったけど『神子様』『リュカ殿』という呼び方は変わらないんだな。
「はっきり言って、ヴェルガに丁寧語は似合わないと思うぞ」
「儂も自身の事ながらそう思う。それをあの糞婆ときたら、ザントと一緒になって『アレは駄目、コレも駄目、ソレはもっての外!』と何をするにも五月蠅くてかなわんかったわ」
「私もドワーフって本の中でしか見た事なかったから、もうちょっと固くて話しづらい人たちだと思ってたけど……いざ話してみたら私達と何ら変わらないじゃないの」
「リュカ殿も話が分かるじゃねえか。さっきも話したが改めてドワーフ族の長老を務めているヴェルガだ。リュカ殿の剣は儂が責任持って打つから安心して待っていてくれや」
「うん、改めてよろしく。ところで剣って何のこと? ヴェルガさんのところに挨拶に行った時に、何か凄い物を見た様な気がして良く覚えてないんだよね」
其処までミスリルの武器を見た印象が強かったのか?
当たり前のように皆があの武器を使ってるから、そこまで高い物だとは思わなかったな。
そこで改めてドワーフが掘っている坑道からミスリルが取れる事。
リュカが『ミスリル』と言う言葉と、鍛冶場の隅に置かれている打ち損じのミスリルの残骸を見た瞬間に我を忘れたかのように発狂しかけた事。
その後、あまりにもミスリルについて関心を持っていた事から、ヴェルガに頼んでリュカ専用のミスリル製の武器を打って貰う事などをリュカの表情と様子を見ながら慎重に話した。
「えっ!? 嘘! 本当に? それなら剣! 剣がいい。ミスリルの剣がいい」
「はははっ、よぉし分かった。ただなぁ……剣は狩人部隊用に結構大きめに作ってるから重いんだよな。リュカ殿に渡すのは、少し小さめに作らんとあかんな」
「大丈夫大丈夫。私こんなでも力あるから」
「いや、でもな」
ヴェルガはそう言いながら、リュカの細腕を見て『う~ん』と首を傾げている。
剣を作ってみてリュカが使えなくても狩人部隊に使わせれば良いだけなのかもしれないが、流石に使えないからといって使い回しにするのは剣を打ってくれたヴェルガに失礼か。
「だから大丈夫だってば。なんなら力試ししても良いよ」
リュカはそう言って包帯に包まれている右腕をテーブルに置き、肘を立てるように構える。
この姿勢からヴェルガに腕相撲を挑もうとしているのだろうが、どう見ても結果は目に見えて分かっている。
俺は包帯の下は竜人族の腕を模した物だという事は分かっているが、それでもヴェルガの腕は鍛冶の際に大槌を振るったりしている為か、リュカの腕と比較すると3倍近くある。
肩の盛り上がり感を一目見ただけで男の俺でも、力勝負を挑もうとは思わない。
というか此方の世界にも腕相撲があったんだな。
腕は確かに竜人族の腕に見えるし、ふざけた態度を見せたシュナイドを右腕一本でネックハンギングツリー風に持ち上げて窓の外に放り投げたりしていたとしても、ベースのリュカは人間な訳だし。
ヴェルガもその事がよく分かっているのか、テーブルの前にリュカと向かい合うようにしてドッシリと腰を下ろしているが、両腕を組んで腕をテーブルの上に載せない様にしている。
「リュカ殿は女性という事もあるしな。あ、いや、女性だからと区別しているわけじゃないぞ!?」
ヴェルガが『女性』と言う単語を口にした瞬間、リュカがジト目でヴェルガを睨み付け、その表情に困った表情を見せたヴェルガがついに腕をテーブルの上へと上げてしまう。
「やった! 成功」
俺がその様子を見て『あっ』と思った時には既に遅く、ヴェルガの右手はしっかりとリュカの右手によって掴まれていた。
「ん? この感触は……」
リュカによって腕を掴まれたヴェルガは、それまでふざけていた態度を一転させて何かを確かめているかのように、左手でリュカの包帯で包まれた右腕をさすっている。
傍から見れば右腕同士での腕相撲というより、ヴェルガが両腕を使って力任せにリュカの右腕を倒そうとしている風にも感じられる。
「やはり……この右腕は竜人族の物ですな? だが、リュカ殿本人は紛れもない普通の人間だしな」
「もぅ腕相撲やるの? やらないの? どっち?」
「リュカ、腕相撲は後にして今はヴェルガに腕の事を説明した方が良いんじゃないか?」
「お兄ちゃんは黙ってて! それに私に考えがあるから、此処は任せて」
任せてとは言うけど、心配でそれどころじゃないんだけど……。
「リュカ殿、この右腕……ぬお!?」
恐らくは正体の事について尋ねようとしたのだろう。
ヴェルガが左腕をリュカの右腕の上から退かし、リュカの手と組んでいる自身の右腕の肘をテーブルに置いた事で、半ば強制的に腕相撲が始まってしまったのだ。
「リュ、リュカ殿!? 今はこのような事をしている場合では」
「質問は後でゆっくり聞いてあげるから、今は楽しもうよ」
ヴェルガも再三止めようと声を掛け続けるが、結局腕相撲を終わらせるまで話を聞いて貰えないと判断したのか遂にリュカvsヴェルガの腕相撲一本勝負が開始された。
「ぬぅ……人間とは思えぬほどの凄まじい力じゃな。不謹慎かもしれんが、これは楽しめそうじゃ」
「流石だね。でも私から勝負を振っといて無残に負けるのは嫌だから、久しぶりに
手加減抜きでやらせてもらうね。怪我をしてもお兄ちゃんがいるから大丈夫だしね」
「いや、だからと言って怪我をしても良いって訳じゃないからね」
この勝負、ヴェルガが負けてくれれば直ぐにでも話が進むのだが、双方ともにその気はないようだ。
リュカの手の甲がテーブルに触れそうになるとリュカが歯を食いしばって持ち直し、逆にヴェルガの手の甲が触れそうになれば、更に腕が肥大化して血管を浮き上がらせながらリュカの腕を追いつめてゆく。
開始されてから5分ちょっとが経過した頃になっても勝負はつかず、それどころか両者テーブルの端を掴んで力を溜め、今にもテーブルが2人の握力で粉砕されるのではないかと心配になってくる。
結局、開始されてから10分少々でリュカの肩が先に悲鳴を上げてしまい、力が落ちた事で一気にヴェルガがリュカの手をテーブルに力任せに叩きつけて勝負は終了した。