第136話 大騒動
大木の下で、夜の見張りをエストに任せて翌朝目を醒ましてみると身体に異変があった。
「む? 身体が動かない? 金縛りにでもあったのか?」
目を醒ましたとは言っても、まだ瞼をあけてはいないので俺の身に何が起こっているのかまでは判断できていない。
強いて言うならば、身体を動かせないように何かで縛りつけられているかのような息苦しい感触と、二の腕に柔らかいゴム毬に似た何かが『ふにょり』と当たっている奇妙な感触が感じられる。
更に顔の横からは生暖かい空気と共に、花のような甘い柔らかな良い匂いも感じられた。
自身の身に何が起こっているのか、少し怖い気を感じながら思い切って目を開けてみると、其処には隣で寝ていたはずのリュカが正面から俺に抱きつく様な形で眠っていた。
「な、なっ? なあっ!?」
例によって俺達を襲おうとしてきたのか数頭のウルフが倒れているのが目に入るが、俺的にはそんな事は如何でも良いくらいに今現在の現状に驚いていた。
しかも竜人化した右腕で木の太い幹を少し抉りながら抱きしめられているので、中々抜け出せない。
《え、エスト、これは一体何があったんだ?》
《マスター、おはようございます。昨夜、マスターとリュカさんが共に寝入って、暫く経ったところでリュカさんが目を醒まして私に話しかけてきたんです。どうも夜の見張りの事で納得がいってなかったようなので、軽く私達の関係の事を仄めかしながら説明しておいたんです》
関係を仄めかすって……聞く人によっては別な事を想像してしまいそうだな。
《で、ある程度説明してから今度こそリュカさんが眠りについたのですが、その時の寝方がマスターの肩を枕にして寄り添うように眠りについたのですが、こうして朝を迎えるまでに何度か寝返りを繰り返した後で今の形に落ち着いたようです》
《なるほどな……って落ち着いている場合じゃないか。リュカを起こさないと》
とはいえ、女性の力とは思えないほどの力で抱きしめられてるから抜け出すのは容易な事じゃないけど。
《いえ、まだ夜が明けて間もないので、もう少しゆっくりしていてください》
《いや、この現状ですっかり目が醒めてしまってな。それより周りにいるウルフは?》
《マスターとリュカさんが寝入って暫くしてから襲って来たので、フィーに頼んで殲滅して貰いました》
《フィーに?》
《ウルフ共の気配を感じ取って、直ぐに動こうとしたんですが……丁度その頃にリュカさんに木ごと抱きしめられて身動きが取れなくなってしまったので、フィーと交代してウルフの周囲から空気を取り除くことでマスターの睡眠妨害にならないよう、声も音もを立てずに始末したんです》
《なるほど、其れでウルフの目玉が飛び出るような不審な死に方をしているわけか》
その1時間ほど後でリュカの体が細かく身じろぎした事で、もう少しで目を醒ますという事を予測した俺は此れ以上の混乱を防ぐためにあえて寝たふりを敢行した。
「う、う~ん、あさ? お兄ちゃんって、ええぇぇーーー!?」
目を瞑って寝たふりをしているので目の前で何が起こっているのか確かめる術はないが、強い力で抱きしめられているような感覚が無くなった事で、リュカが手を離した事だけは理解できた。
といったところでリュカの叫び声(悲鳴?)で目を醒ました事を装って目をあけた。
「う、う~~ん、よく寝た。ん? リュカ、顔が赤いけど如何したんだ?」
「な、何でもないよ。おはよう、お兄ちゃん。さっ、朝御飯食べよ?」
その後は朝だという事で重い物は食べずに果物だけで済ませる事にしたのだが、食べている間中リュカが俺の方をチラチラと横目で見ながら顔を赤くして、時折咽ながら落ち着かない表情になっていたのが見受けられた。その様子はさながら小さい口で、木の実を少しずつ頬張るリスのような感じだった。
この状況で、もしも俺が最初から起きていたとリュカが知ったら、どういうことになるんだろうか?
悪い事はしていない筈なのに2人揃って相手の顔を見れずにギクシャクとした朝食が終わり、俺達が寝ている間にエスト達によって息の根を止められたウルフを空間倉庫に運び入れて旅を再開したのだが、半日ほど歩いたところで目の前に難関が立ちふさがった。
俺達の目の前には太陽が真上にあるのにも拘らず、日の光を完全に遮って暗闇と化した深い森があった。
聖域の森からドラグノアに来た時に空を移動してきた事で、距離感がつかめなかったんだろうか……。
「お兄ちゃん、この森を通って行くの?」
此処に来るまでは今朝の出来事に浮かれていたリュカだったが、いざ森の入口へと至った瞬間にその表情は見るからに不安そうになっていた。
森の中からは時折、身が竦むような獣の雄叫びと、樹木に何かが凄い勢いで衝突する音、大木が倒れるような音がひっきりなしに聞こえてくる。
「方向的には確かにこっちで合ってるんだけど、この森を突っ切るのは俺でも怖い。普通の何でもない森なら兎も角、日の光を遮って真っ暗な森だと魔物に襲われる危険は勿論のこと。道を外れたら延々と森の中を彷徨う事になるからね。魔物避けの魔道具が使えれば危険度は多少抑えられるんだけど……」
件の魔道具の話題を口にした瞬間、リュカが身を固くしたことから此れは使えないようだ。
となれば少し早い気もするけど、リュカに姿見の魔道具を使ってもらって身体を幼児化してから俺が抱きかかえて空を移動していくほかないか。
でも姿見の魔道具も連続使用は3日間が限界だというしな。
其のままで運べれば一番いいんだけど、少し重……!?
「お・に・い・ちゃ・ん? 何か私に失礼な事を考えていたような気がするんだけど?」
「い、いや何でもないよ」
危なかった。心の声まで聞こえるなんてリュカの耳は地獄耳を軽く通り越してるな。
「此処で何時までも足止めを喰らってるわけには行かないからな。リュカ、悪いけど姿見の魔道具を使って子供の姿に変わってくれるか? 此処からは俺がリュカを抱いて空を移動していくから」
「こんな昼間っから抱いて何て……お兄ちゃんって見かけによらず結構大胆なんだね」
「な、何の話をしているんだ! 何の話を!?」
「だ・か・らぁ、子供の姿になった私を抱いて空を移動するんでしょ? お兄ちゃんこそ、一体何を考えていたのかな~~? ねぇ怒らないから話してみてよ」
全くもぅ、ああ言えば、こう言うし。まぁ落ち込んで雰囲気を暗くしてしまうのもなんだけどな。必死に不安な気持ちを落ち着かせて、無理に笑いに持って行こうとしているのかもしれないな。
「という訳で魔道具で子供の姿になってくれるか?」
「それは良いけど大丈夫なの? まだまだ距離があるんでしょ?」
「それはそれで何とかするしかないよ。距離を稼がないといけないって言うのなら、いつもよりも速度を早くするなりすれば良いだけだし。というか魔道具を連続3日間使用したら同じように3日間休ませないといけないっているけど、それなら1日だけ使って一晩休んで、また1日使ってって3回続けてやれば距離が稼げるんじゃないか?」
「それが駄目なの。1日使って1晩休み、また1日使ってって……前に試してみたけど、最後に使ってから合計で3日間経過したら、勝手に同じように3日間使えなくなるから。この前の屋敷での説明会の時みたいに、ほんの一瞬だけの変身ならカウントされないみたいなんだけど」
「なるほど。儘ならない物だな……って何、脱いでんだ!?」
リュカから魔道具の詳しい説明を聞きつつ、視線をリュカに合わせると既に防具を脱いで上着を臍の上まで捲り上げているところだった。
俺は咄嗟にリュカに背を向けると、この事による文句を言い放った。
「何って、子供の姿にならなきゃならないんだから、前もって服を脱いでるんだけど?」
「いや、そう言う事じゃなくて。異性の俺が目の前にいるのに、何で服を脱いでるんだって!」
「お兄ちゃんは初心なんだね。シュナイドだったら、真正面から堂々と着替えを覗いたりするのに」
「俺をあの変態と一緒にしないでくれ……って、もしかして2人は裸を見せ合う仲だったりするのか!?」
「まさか。私はそんなに安い女じゃないよ。着替えを見られる前に目潰しして、身動きできなくなるまで痛めつけて、関節を外せるだけ外してから縛って放置するんだけど、何故か直ぐにケロッとして戻ってくるのよね。ホントにアイツ人間なのかしら? っと、キャア!?」
「な、なにがあったん……だ!?」
此処で俺は叫び声に反応して、ついリュカの着替えている方向に振り返ってしまった。
結論から言うと、何があっても決して振り返ってはいけない場面で振り返ってしまった俺が見てしまった物は自分が脱いだシャツで足を取られて滑った挙句、下着も何も付けてない産まれたままの姿の状態で膝を立てて地面に尻餅をついた上で、半ば放心した表情で俺と目が合っているリュカのあられもない姿だった。
「え、えっと、何も見てないから! は、早く着替えて!」
時既に遅い気もするが、咄嗟に背を向けて着替えを促すが……。
「ウキャァーーー!? もう、馬鹿! スケベ! 信じらんない!」
一頻り文句を言い放った後で、背の方からレイヴが魔道具を使った時のような眩しい光が放たれたと同時に小さな女の子の声が聞こえてきたことで無事(?)に姿を変化させる事が出来たと知らされた。
次いで衣擦れの音が聞こえてきたことから、幼児化したリュカが服を着ているのだと思われる。
「ううぅぅ……私の恥ずかしいところを見たんだから、責任とって貰うからね!」
その後、顔を真っ赤に染め上げてブツブツと小声で呟いているリュカを御姫様抱っこして胸元で抱くと、フィーと同化して髪の色を緑に変えた俺は周囲を此れでもかと言わんばかりに警戒しながら先を急ぐのだった。
リュカを抱きかかえる時にも一悶着あったが、これは仕方ないだろう。
しっかり抱き寄せないと、途中で落っことしたりなんかしたら大変だからな。
抱き寄せた後も恥ずかしがって身体を捩っていたので『なるべく落とさないようにするから』と冗談で言ったところ、此れまでとは打って変わってしっかりと抱き着いてきたのだった。