第133話 人間不信のその後で
購入した物を宿屋に届けて貰う事を武具屋の店主に約束して次は何を買おうかと商店街を歩いていると、不意に声からして機嫌が悪そうなエストから念話が届いた。
《こう言っては失礼ですが……もうちょっと買い物に気を付けないと、そのうち騙されまくって無一文になってしまいますよ?》
《どういう事? 何かあったっけか》
《マスター落ち着いて考えてみてください。最初に購入した肉串10本ですけど値段を憶えてますか》
《3本で50Gのところを、特別に5本で100Gだっただろ? 得した気分だが、それが何か》
《この場合は得をしたのは店主の方ですね。良く考えてみてください。3本で50Gなら、1本当たり16~7Gという事になります。なら5本では?》
《5×16、もしくは17だから……!?》
《気が付かれたようですね。損をしたのはマスターの方ですよ》
《くそっ、あの野郎!?》
俺は自身の失態に気が付き、踵を返して肉串の屋台があった場所に戻ってくるが時既に遅かった。
店主の姿はおろか、屋台も撤収済みなのか肉串の残り香を残して忽然と姿を消していた。
残り香がするんだから、まだその辺に居るんじゃないかとキョロキョロしていると視線の先に幸せそうな顔をして何十本もの串を握りしめ、口元をタレでベトベトにしながらフードファイターばりに大口をあけて肉を頬張っているグリュードの姿があった。
「おぅクロウ、一足遅かったな。残ってた肉串は俺が全部買い占めてやったぜ」
「ちなみに何Gで何本買ったんだ?」
「いち、にぃ、さん……30本で700Gだな。それがどうかしたか?」
俺以上に騙されてるよ。あの串屋は客を見て適当な値段を吹っかけているようだな。
という事は俺の頭の中身はコイツと同じくらいという事になるのか?
俺がグリュードと同じだなんて、幾らなんでも酷すぎる……。
「俺も人の事は言えないが、グリュードも騙されてるよ」
俺は自身の怒りも醒めぬままに計算が苦手そうなグリュードに事細かに説明していくと、次第にグリュードが顔を真っ赤にしながら怒りを露わにしていく。
やがて怒りが頂点に達したのか手に持っていた5本の串全てを口の中に放り込むと、何処へともなく凄まじい形相で奇声をあげながら走って行ってしまった。
俺の立っている方向からはグリュードの背中しか見えないが、進行方向にいる町民が顔を強張らせている事から余程、恐ろしい表情をしているのが垣間見える。
後ろ手で右手を斧の柄にそえている事から、見つけたら切りかかりそうで怖いな。
《肉串の事はあの方に任せておくとして……マスターは人が良すぎますよ》
《今度は何のことだ?》
《武器防具店でのやり取りの事です》
《あの店で騙されたという覚えはないが? 俺の知らない所で何かあったのか?》
《一番に挙げられる事はと言えば全部で15,000Gで購入したという、鉄の鎧や鉄の剣ですね。店主は何も言いませんでしたが、マスターが買った鎧や剣からは濃厚な血の匂いが漂っていましたよ。恐らくですが新品などと謳っておいて、実のところは死体から剥ぎ取った物などではないでしょうか? 私の憶測が正しければですが、高く見積もっても1000Gも掛からないんじゃないでしょうか》
《……なるほどな。じゃあ俺は串屋に続いて2回連続で騙されたという訳か。ちょっと肉体的言語で文句を言いに行こうか》
《それは止した方が良いと思います。物事に対して敏感な私達精霊でやっと気が付くレベルでしたので、苦情を言いに行ったとしても証拠が何処にもありません。更に無理矢理踏み込むような真似をすれば向こうが全面的に悪かったとしても、此処でのマスターの御立場が悪くなってしまいます》
《じゃあ、どうすれば良いんだ! エストに言われた事でやっと騙された事に気が付いた俺も情けなかったが、あの詐欺師をこのまま野放しにしておけと?》
今の俺の顔はどんな表情になっているんだろうな。
先程までは何をするわけでもなく、路上でただ立ち止まっているだけの俺に対して怪訝そうな眼で見てきた街の人達も、エストから騙されたと聞かされた辺りからは、俺と極力目を合わさないようにして大きく距離を取って、俺と関わり合いにならないようにして歩いているようだ。
《マスターの御怒りは最もですので、此処は私達に任せて頂けないでしょうか?》
《……どうする気だ?》
《精霊の力で自然災害に見せかけて、少しお仕置きをしてあげようかと思いまして。周りの声を聴くところに因れば、元々あまり評判は宜しくないようなので店が跡形も無くなったとしても、店主の家族以外に困る方はいらっしゃらないでしょう》
《一応言って置くが、殺しだけはだめだ》
《心得ております。実行はマスターが買われた品々が宿屋に届けられた直後という事にしましょう》
俺も人伝ではなく、自身の眼で武器防具店に齎される自然災害を見たいのは山々だが、騙された当の本人である俺が、災害の最中に現場にいれば容疑者として疑われてしまう事が懸念された。
よって逸る気持ちを押さえて土産の物色を再開して商店街を歩き始めたのだが、其処でみた光景に後悔の念を感じてしまっていた。
「なんで俺は武具店に寄らないで、最初から此処に来なかったんだ?」
俺の視線の先には冒険者にあまり所縁のない、鍋や包丁、ヤカン、木桶などの家庭で使われている道具を専門に取り扱っていると思われる店があった。
当然、店の前には冒険者の姿はなく、代わりに宿の女将さんであるラファルナさんを思わせるような恰好の御婦人たちが店主であると思われる中年の男と、何かを片手に言い争っているようだった。
まだ店に行くまでに距離があるので、何を言い合っているかは俺の耳に届かなかったが何を話し合っているのか非常に気になる。
《エストは彼女らが何を話しているのか聞こえる?》
《野次馬ですか……えっと店主だと思われる男性に詰め寄っている女性が手に持っているのは、どうやら木桶のようですね。会話の内容からして木桶の箍が使っている最中に外れてしまって、木桶の中に入れてあった水が零れて床が水浸しになったとの事で、女性が木桶の返金を求めているようですね》
クレーマーというのは何処の世界にでも居るものなんだな。
《その逆に店主の方はというと見るからに使い古された状態の木桶に対し、女性に木桶を購入してからどれだけ経ったかや、本当に此処で購入した物なのかどうかを執拗に詰問しているようですね。女性の口調が徐々にタジタジになって、呂律が回らなくなっている事から店主の方が正しいのだと思われますが、女性は中々諦めが悪いようですね。今度は一緒に連れてきた屈強な男を店主と自分の間に挟んで盾にしながら文句を言い始めましたよ。ふふっ盾にされた男性の困り顔が面白いですね》
エストもこの状況を楽しんで見ているようだが、このまま俺が行っても面倒くさいことになるだけで物品を購入できなさそうだな……。
だが商店街には回り道などは存在していないので、この先に進むためには必ず件の店の前を通らなければならない為、俺は店主と言い争いをしている女性から離れ、尚且つ全く別の諍いが発展しないよう気を付けながら無事に関門を潜り抜けることに成功したのだった。
女性の傍を通る時にチラ見した状況から言うと、女性と店主はいつ肉体的な取っ組み合いに発展しても可笑しくはなく、盾にされている男性もその図体に似つかわしくないほどに目に涙を溜めて今にも隙をついてこの場から逃げ出したいと目で訴えているように感じられた。
そして其の場から100mほど歩いたところで、野菜や果物、苗、種、苗木などを所狭しと店頭に並べられている露店へと辿り着くことが出来た。
此処で目を引くのは森でもよく食べていた例の果物だ。
ただ森で精霊の加護の元で栽培された物と比べると、2回り以上は小ぶりだったが……。
値段が書かれている札にはアプレ1個50Gと書かれている。
ここに来て初めて、この果物の名前を知ったな。
森ではアレ・コレ・ソレ・ドレ? としか、よんでなかったし。
店先には起きているのか寝ているのか、よく分からない表情のパッと見で優しそうな御婆さんが座っているが、串屋や武具屋で相次いで騙された俺は、少し人間不信に陥っていた。
なのでエストにこの果物の価格は適正なのかと聞いてみたところ。
《800年ほど前に、今現在帝国と呼ばれていた場所にあった街で同じものが売られてましたが、その時は目の前に置かれている果物よりも更に一回り小さい物で1個500Gの値が付けられていました》
ざっと10倍の値段か……でも以前聞いた話に因ると、帝国は此方とは違って枯れ果てた大地と聞くし、果物や作物は此方とは比べ物にならないほど高騰なんだろうな。 物価も800年前と変わらないって事はないと思うからな。
店の前で色々と考え込んでしまったが、結局果物は森で採れる物の方が大きいという事で購入せずに目につく作物の種を片っ端から購入する事にした。
「長く考えてたようだけんど、何を買うか決まったんかね?」
「え!? あ、ああ、取り敢えず作物の種を一通り買いたいんだけど、暑さ寒さで此れは育ちが良くないといった物があれば教えて欲しいんだけど」
考え込んでいるところに、それまで身動き一つしなかった御婆さんから話しかけられたところで失礼になるがかなり驚いてしまった。
「気温が此処らへんと同じくらいなら何の問題もないさね。どっか遠くからきなすったんかね?」
「まぁそんなところですね。久しぶりに故郷に帰るので御土産にと思いまして」
「そうかいそうかい。なら少しばかりサービスしないとね」
「いえいえ、お気持ちだけで結構ですから」
「遠慮しなくていいんだよ。果物は買ってってくれる人は何人かいるけど、種を買ってってくれるのは殆ど居ないからねぇ」
その後の御婆さんの話に因ると、どの種でも200粒で100Gと安めの設定となっているようだ。
「それじゃ、各1000粒ずつで売ってくれますか?」
見た感じでは店頭に置かれている種は全部で10種類。
1袋200粒入って100Gなので、1種類辺り500G。それが10種類なので、トータルで5000Gなのだが、御婆さんは其れに追加してサービスとばかりに1種類1袋ずつの袋の口をあけると、木のコップに半分ほどの種を掬って種を追加してくれている。
パッと見で見る限りでは、各袋に追加された種は軽く100粒を越えているように思われたが、支払う額は5000Gで良いという事なので丸銅貨5枚を御婆さんに手渡して其の場を後にした。
立て続けに騙された事で人を信じられない気持ちでいたが、御婆さんに出会えたことでその気持ちは吹き飛んだようだ。
その後、騒動が収まった金物屋で2000Gで鉄製の鍋を3個購入し、宿へと戻ったのだった。
宿の横にある物置き場には乱雑に、革鎧が入った箱とガラクタ同然の鉄の鎧と鉄の剣が積み重ねられていたので、即座に【ディメンション】を使って空間倉庫へと買った物を詰め込むのだった。
夕食を食べていた時に軽い地響きを感じた事で、エスト達による武具店への制裁が完了したと思われる。