第123話 秘密の宿屋
俺がヴォルドルム卿の屋敷を出てからクレイグさんに連れられて到着したのは町の隅にある、かつて魔法学園と呼ばれていた4階建ての立派な建物だった。
「あの、宿屋に行くんじゃ? 此処は確か魔法学園じゃなかったんですか」
「此処は正真正銘宿屋ですよ。まぁ、この場所に足を踏み入れられるのは、ごく一部の限られた人間だけですが」
ごく一部? どういう意味なんだろうかと考えているとクレイグさんは入口を思われる両開きの重厚な扉を開けて、俺を中へと誘った。
恐る恐る宿屋(?)へと足を踏み入れた俺が見たものは懐かしい人物だった。
「いらっしゃいませ。 と言いたいところですが、此処は誰かの紹介でなければ泊まることが出来ないんですよ。申し訳ありませんが、お引取りを……」
其処に居たのはドラグノアのギルドで受付をしていたエティエンヌの姿だった。
奥には料理が乗せられた皿を各テーブルに置かれたメモのような紙切れと見比べながら、せっせと運ぶディアスの姿も見受けられる。
「エティエンヌ、構わぬ。フィロ殿は儂が此処に連れてきたのじゃ」
「まぁクレイグ様、御無事で何よりです。クレイグ様が連れてこられたという事はそういう事で良いんですね?」
そういう事とはどういう事なんだろうか?
エティエンヌは俺の頭の先から足元まで、まるで値踏みをするように見回してくる。
「あまりそう言う風には見えないんですけど。クレイグ様の御紹介というのであれば、私が口を出すべきじゃありませんね。ようこそガーディアン・ホームへ」
ガーディアンって確か『守護者』とか『保護者』って意味じゃなかったっけ?
でも紹介じゃないと入れない一見様お断りの宿って、ドラグノアのラファルナさんを思い出すな。
今何処で何をしているんだろう? 無事ならいいんだけど……。
「部屋は儂の部屋の隣にしてくれるか? 確か空いておったと記憶しているが」
「大丈夫ですよ。部屋は空いてますから~~というより、空き室ばっかりですけどね。今更かもしれませんけど、宿屋がこんなガラガラで本当に良いんでしょうか?」
「すまんな。女将にも言ったが、信用できる者以外は出来るだけ身近にいてほしくないのじゃよ」
クレイグさんの考えを元にして客を選んでいるという事は、クレイグさんが宿のオーナーという事か?
いやでも『女将』って口にしたという事は、エティエンヌやディアスの他にも居ると思って良いか。 というよりも、この2人が此処に居るという事はガッシュとルディアが居ても可笑しくないな。
「女将さ~ん、クレイグ様ともう一人分夕食追加で~す」
「あいよ、すぐに用意するから待ってな」
「じゃあ直ぐに夕食の時間なので用意が出来たらすぐに下りてきてくださいね」
そう言いながら一旦、エントランスを後にしたエティエンヌが再度姿を現した時に手に持っていたのは、緑色の楕円形の302と書かれた木札が付いている部屋の鍵らしい物だった。
「クレイグ様の鍵は此方です」
クレイグさんが受け取った鍵の方は俺のと同じく、緑色の木札に301と記されている。
「部屋の場所は中央の階段を3階まで上がって左奥になります。お手洗いは階段を上がってすぐのところに。水は言ってくれれば、いつでもご用意いたします。それと注意事項ですが、2階は女性専用の部屋とお手洗いになっていますので不必要にお近づきにならないように。もし男女間で秘密裏に話したい事がある場合は一言仰って頂ければ1階の個室の鍵をお渡し致しますので。ちなみに男性同士であれば、お互いの部屋移動には特に罰則はありませんから」
「分かりました。ところで1泊辺りの宿泊料金を聞いてないんですけど?」
「あっ失礼しました。朝・夕の食事込みで800Gになります。10日以上纏めて宿泊される場合は少しお安くなります」
どうしようかなと思いながら腰に付けている道具袋を手で探るような仕草をしていると、鍵を受け取ったクレイグさんが手を挙げて話を遮った。
「フィロ殿の宿泊料は儂の分に上乗せしておいてくれ。遠いところから態々デリアレイグまで呼び付けて置いて、宿泊料も持たんというのは割が合わないじゃろうからの」
「いや流石にそれは悪いですよ」
「という事で頼んだぞ」
クレイグさんは其れだけをエティエンヌに言いつけると俺の背を押すような形で半ば強引に俺を部屋へと案内した。
宿屋の3階に到着して俺が見たものは部屋の扉の形からして、前は学園の教室だったように思われる。
一つの教室を略中央に仕切りを付けて2分割して部屋にしたかのような形跡が見受けられた。
俺の予想では元々2部屋で1つの教室だったと思われるが、その広さは現代の学校の教室と比べてゆうに2倍近くはありそうだ。
思っていたよりも広い部屋で一息入れるとクレイグさんを伴ってエントランスに下り、夕食を共にした。
食事の席には懐かしい顔ぶれであるイディア・エリスの姉妹に、相変わらず見た目的に暑苦しいグリュード、嘗てのドラグノアギルドマスターのジェレミアと、何故か冒険者風の出で立ちのルディアとガッシュ、出来た料理を厨房からせっせとテーブルに運ぶエティエンヌとディアス、更に厨房で料理を作っているラファルナさんと懐かしい顔ぶれのオンパレードだった。
今すぐにでも『皆、久しぶり!』と声を掛けたかったのだが、クレイグさんから落ち着いたら別の場所を用意するので此処は待ってほしいと前もって言われていた。
それと此処にいる皆は全員、王都から逃げてきた者達でレイヴ=クレイグだという事を知っているとの事だった。
姿を見せた俺に皆は訝しんだ表情だったが、クレイグさんから知り合いの息子という風に紹介されて、取り敢えずという事で疎らながらも拍手で迎えられた。
ジェレミアさん、ルディア、ガッシュは俺を見て内緒話でもするかのように顔を近づけあって、コソコソと会話しているようだったが……。
両目に包帯のような物を巻き付けている冒険者風の男性の姿も見受けられるが、此方は見た事がない。
それにしても包帯で両目が見えないとは思えないほどに何の不自由もなさそうだ。
近くを歩いているエティエンヌを見かけて(?)声を掛けるほどに。
俺をドラグノアで見かけなかったことで内通者ではないかと警戒しているんだろうと思うが。
序に俺が魔術師であるという事と、町に張り巡らされてある魔法結界よりも魔力が高いという事で何の問題もなく魔法を行使できることもクレイグさんに暴露されてしまった。
「ちょ、レイヴさん。それは……」
咄嗟にクレイグさんの口を塞ごうとしたが時既に遅く、食堂は沈黙してしまった。
両目包帯男も本当は見えているんじゃないかと思われるほどに、俺をキッと睨み(?)付けている。
その後、クレイグさんの発言と言えども信じられないと言ったルディアの前で、ドジって包丁で指先を切ってしまったエティエンヌを【ヒール】で治療したり、周囲に被害を出さない程度に【ファイア】を使ったりと、ちょっとした騒ぎとなりつつも無事に食事を終えた俺はクレイグさんと共に自身の部屋へと戻り、これからの事を話し合うのだった。
ちなみに幾ら王都で宰相を務めていたとはいっても、宿の一客でしかない自分の好き嫌いで泊まりに来る客を選ぶというのはどうなんだろうと思っていたが、のちに聞いた話によると魔法学園が廃止された後の建物をクレイグさんとヴォルドルム卿、ウェンディーナ様とが協力して買い取った後で、ドラグノアから脱出した人員で信用できる者だけを集めるという名目で宿を開いたという事らしい。
でも魔法学園は王都の援助を受けていた事から王都の管理だった筈、この場合学園跡地を購入するにしても何処に金を払えば良いのだろう?
ギルド登録の際に騎士・衛兵を敵に回す覚悟があるかと聞いてきたことと、街に騎士が在中していない事からドラグノア王都とデリアレイグとは仲違いしていると考えて良いだろうし……。
現状から言って、仲違いってレベルではないかもしれないけど。