第121話 同化解除
結局、俺とクレイグさんは執事の案内の元、途轍もなく大きな屋敷の応接間と思われる場所に通された。
「それでは旦那様を呼びに行ってまいります。それまで御ゆるりとお寛ぎ下さい」
執事は何を考えているのか予想がつく鋭い視線を浮かべたままで応接間を後にすると、その5分後にはメイドの様な恰好をした60代前半くらいと思われる女性がティーカップ3個と大きめのポット、茶色の粉状の物が入った器を銀のトレイに乗せて応接間へと入ってくる。
部屋の四隅にはメイドの様な格好をした女性が4人いるのだが、此方は殆ど微動だにしない事から実は人形なんじゃないかと思ってしまう。
というかティーポットを持った女性が入ってくるまで客人に対して、御茶の準備もしないというのはどうなんだろう? 上から言われなければ行動しないというタイプなんだろうか?
横に座っているクレイグさんは何ともいえない顔を浮かべて、ティーポットを持ってきた女性を見ているが彼女は何者なんだろう?
見ている感じではとても落ち着いていて、件の執事が浮かべていた嫌悪感は全く感じられなかった。
「ヴォルドルムはシュラウアとラウェルの訓練にまだ時間が掛かりそうだと言っておりましたので、それまでの間は私がお相手をさせていただきます」
彼女はそれだけを言うと俺とクレイグさんの目の前にソーサーとティーカップを置き、その中にポットから良い香りがする紅茶を注いでいく。
俺達2人の分を淹れ終わると今度は自分の前に置かれたカップに紅茶を注ぎ、ちょうどテーブルを挟んで俺の対面になるようにしてソファーに腰かける。
ラウェルは俺にちょっかいを掛けてきた馬鹿だと記憶しているが、シュラウアって誰だっけと考えていると横に座っているクレイグさんから人間の言語で説明が為された。
「シュラウアというのはヴォルドルムの三男で、ラウェルは四男になります。他に長男のアシュレイと次男テオフィルがいますが、騎士であったその実力をギルドに買われて町の警備役になっています。そして目の前にいる婦人はヴォルドルムの奥方の……」
「此方の方は初めましてですね。ウェンディーナと申します」
「ギルド所属の新人冒険者フィロと言います。初めまして急な来宅失礼いたしました」
俺のたどたどしい挨拶に対し、彼女は口元に手を当てて軽い笑みを浮かべている。
「普段通りにしてくださって構いませんよ。此処には礼儀作法をうるさく言う存在は席を外していますからね。まぁ居たとしても強制的に黙らせますが……っと身内の恥を晒してしまいましたが御気を悪く為さらない様に。さ、冷めないうちにどうぞ。お口に合えば良いのですけど」
執事があの様子だった事から罠である事を懸念して紅茶に毒でも入れられてるんではないかと疑っていたが、同じポットから注がれた紅茶をクレイグさんが普通に口にしている事から安全だと位置づけて俺も恐る恐る口にする。まぁ毒が入れられていても魔法で解毒するつもりだけど。
口にした紅茶は砂糖も何も入れていないのに口に残るふくよかな甘みと軽い酸味で、何時までも飲んでいたいと感じさせるほどの美味しさだった。 あと当たり前だが、毒は入ってなかった。
その後、2時間近くが経過して4杯目の紅茶を飲もうかというところで、額から滝の様な汗を流しつつ息切れを起こしているヴォルドルム卿が応接間に入ってきた。
「クレイグ殿、お待たせてして誠に申し訳ない。息子たちに稽古をつけていたので
な……」
「そのような格好で御客様の前に姿を見せるとは何事ですか! 直ぐに着替えてらっしゃい!」
応接間に入ってきたヴォルドルム卿は笑顔を浮かべていたが、その対照的に奥方であるウェンディーナ様は額に血管を浮かびあがらせて凍りつかんばかりの低い声でそう言い放った。
其の言葉を聞いたヴォルドルム卿は逃げる様に踵を返して部屋を後にしたが、もしかしてこの屋敷の実権を握っているのは彼女ではなかろうか。
隣に座っているクレイグさんは既にこのやり取りに慣れてしまっているのか、眉一つ動かさずに目を瞑って紅茶の香りと味を楽しんでいるようだった。
そしてそれから5分程過ぎたところで佇まいを直したヴォルドルム卿が再度姿を現した。
「いやはや誠に面目ない。して、今日は何用で参られたのですかな? 其方の者も初めて見る顔ですが」
「その前に人払いを。これから話す事は外部に漏らしては拙い事ゆえ」
「わかりました」
クレイグさんの言葉を受けてウェンディーナ様がそっと右手をあげると、それまで人形のように微動だにしなかった、部屋の隅に佇んでいた4人のメイドが此方に頭を下げて次々と部屋を後にしてゆく。
「これで問題なく話ができるわね。本当にあの馬鹿息子ときたら何時まで経っても上達しないんだから……まぁ衛兵見習いから先に進まなかったのも此れなら頷けるわね」
「だからと言ってギルドに登録したらしたで、他の冒険者とトラブルばかり起こすしな。というかゴブリン討伐ににいって逆に命辛々逃げて来るなんてなんだよ」
4人のメイドを部屋から追い出してウェンディーナ様自身も部屋を出るのかと思いきや、スカート姿で足を組み、少し温くなった紅茶を行儀作法もなくグイッと口にする。
言葉遣い仕草も貴族から、何処にでもいる普通の女性に変化しているようだ。
「二人とも気持ちは痛いほどよく分かるが、そろそろ此方の話を聞いて貰えんかのぉ」
「そうでしたね。……にしても、その姿とその言葉使いというのは何処か違和感がありますね」
「私はクレイグ殿がエルフだったという事にも驚きました」
「ついさっきガウェインにもそう言われたわい。まぁ何十年と使って来た言葉の癖はそう簡単には治らんわ。と、また脱線するとこじゃった。実はだいぶ前から儂等が行方を危惧していた方がこの度見つかってのぉ。今日はその報告という訳じゃ」
「クレイグ殿が行方を捜していた方というと……ま、まさかクロウ殿が見つかったのですか!?」
何で俺が此処までの大騒ぎの元になるんだ? ヴォルドルム卿とは馬鹿の件で知り合って、一緒に馬車でドラグノアにと行ったというだけなのに。
「……というわけで神子様、同化を解いて元の御姿を見せて頂けないでしょうか?」
俺が考え事をしている間に事が進んでしまったみたいだな。何が『というわけ』か分からないけど、ヴォルドルム卿は良いとしてウェンディーナ様の前だというのは大丈夫なんだろうかと目を向けると。
『彼女の事に関しては御心配無用です。今の状況に関して言えば、ヴォルドルムより遥かに信用に足る人物です。剣の腕だけで言えば、かの近衛騎士団長をもってしても互角といえるでしょう』
『とてもそう言う風には思えないんですが……って何でエルフ言語で?』
『内緒話をするときは此方の方が良いかと思いましてな』
「言葉は理解できませんが、何やら貶されてるような気がするのは私の気の所為でしょうか?」
「それと先ほど言われた『神子様』というのはどういう事なのでしょう?」
「さぁ神子様、お願いします」
「わかりました」
此れまでの話を聞く限りでは罠だという心配は無用かな。 まぁこの部屋にも窓はあるんだから、正体を現したところで拘束されそうになったら窓を突き破って逃げれば良いだけの事か。
俺はクレイグさんに対して了承すると、座っていたソファーから立ち上がると身体に纏っていた緑色の光が体内に収束するようにしてフィーとの同化が解かれ、元の銀髪に黒目という風貌へと姿を戻した。
「ク、クロウ殿!?」
「さてヴォルドルム卿、お久しぶりですね。そちらは初めましてになりますか、冒険者のクロウです。ドラグノアの街では犯罪者として手配されていたので今まで姿を隠して行動していました」
にしても今更だけど、髪色を変えただけで別人になってしまうなんて現代では考えられない事だな。
ウェンディーナ様はこの様子に金魚のように口をパクパクとして呆気に取られ、ヴォルドルム卿は俺の無事な姿に安堵した表情になり、俺の隣に座っていた筈のクレイグさんはいつのまにやら床に両膝を付けて両手を組んで、まるで神に祈るような体勢で跪いている。
「神子様、よくぞ御無事で。王都ドラグノアにて手配されていると知らされて心配しておりました」
「その様子だと犯罪者として俺を捕縛する気はないと思って良いのでしょうか?」
「当たり前です! 神子様が衛兵や騎士を殺害する理由などありませんから。恐らくはゲイザム等が企てた何らかの陰謀でしょう。まぁ宰相の座を追われた今では確認する術はありませんが」
「そう、それです。どうして宰相を辞めて冒険者に成ってるんですか?」
俺がクレイグさんから今の現状を聞き出そうとしていたところで正気に戻り、我に返ったウェンディーナ様が疑問を投げかけてきた。
「ちょっといいかしら? クロウとかフィロとか神子とか言ってたけど、貴方は一体何者なのかしら」
問い詰めてきたその顔は今まで接してきた様な穏やかな顔ではなく猛禽類を思わせる、気の小さい者なら見つめられただけで気絶しそうな鋭い視線だった。
「ウェンディーナ殿! 失礼が過ぎますぞ」
「クレイグ殿は黙っていて下さらないかしら? 私はこの方に聞いていますので」
「しかし!」
「クレイグさん、いいですよ。分かりました、此れまでの俺の事と其の正体を説明いたします」
そして俺は此れまでの事を事細かに話し出すのだった。




