第111話 暮らしの知恵
3人の長老が集まっての夕食会は身体の所々に擦り傷を負っているセルフィと、セルフィに対して米神に青筋を浮かべて険しい表情をしているラウラが帰って来てからも続いていた。
ミルメイユは顔程の大きさがある果物を両手で持って一心不乱に噛り付いてるし、ヴェルガにラウラ、メレスベルはヴェルガが大きな甕で持ち込んだ酒で盛り上がっている。
漂ってくるアルコールの匂いで飲んでいる酒がかなり強い物だと思われるのだが、飲んでいる本人達はまるで何の変哲もない水を飲んでいるかのように顔色も変えずに此れからの事について話し合っている。
時折3人の口から『神子様の子種を~』やら『神子様が何人娶られるか~~』など聞き捨てならない事を、この場に居て唯一俺の事を神子とは知らないセルフィの前で口ずさんでいる。
ちなみに件のセルフィはというと……。
遅い時間まで狩りの訓練をして腹を空かせている筈のセルフィは、場の空気に耐えられないのか食が進んでいない様に感じられる。
と思いきや、自分の食べる分だけを持って食事(宴会?)をしている部屋を出て行ってしまった。
部屋を出る直前に長老3人に目を向けた後で此方をチラッと何かを言いたげな目で睨み付けていったが、たぶん『アンタは部屋を出なくていいの?』とでも思っていたのだろう。
セルフィ曰く、森を代表する長老3人と同じ場所で食事を摂る場の空気に耐えられなかったんだろうとは思うが、あいにく俺は彼・彼女等から『神子様』と崇められる存在で此処に居る皆よりも上の存在だ。
まぁ、これも何処にでもいるごく普通の人間である俺と契約してくれているエスト達の御蔭なんだが。
《マスター間違っても、そのような事は仰らないでください!》
《エスト?》
《私達精霊は確かにこの世界の元素を司る存在ですが、契約者であるマスターが居なければ地を這う虫にすら敵わない存在です。それは貴方が居たからこそ私達が活動できるのです》
《俺もあの遺跡でエストに会わなかったら、今の俺が一体どうなっていたのか想像も出来ないよ。本当に感謝しているよ、ありがとう》
《いえ、此方こそ。マスター、これからも末永くお慕い申し上げますね》
《なんか結婚の挨拶みたいだな。意味は違うかもしれないけど。心身一体となって頑張ろうか》
エストと会話していると宴会の席から手に木で作られたと思われる器、同じく木をくり抜いて作った徳利を持ったヴェルガが歩み寄ってきた。
「神子様、飲んでおりますかいの?」
「いや、俺は酒に弱いんで全く呑めないんだよ」
俺がそう言うと、見るからにガッカリしたような表情で徳利と木の器を近くのテーブルの上に置くと代わりに黒くて四角い物を手に取って再び歩み寄ってきた。
別のテーブルでラウラとともに酒を呷っているメレスベルが同じような黒い塊を指で千切っては少しずつ口に入れている事から食べ物だとは思うのだけど見た目がどうもな……。
「酒を飲めないと事前に分かっておれば、果実の搾り汁を多く用意しておいたものを……さすれば、これはいかがかな? 酒のつまみ用に加工した物で少し味は濃いのじゃが、なかなかいけますぞ」
そういって渡されたのは長さ20cm、幅10cm程度の薄い物。
見た目からしてビーフジャーキーにも見えない事も無い。
「これは?」
「毒抜きした魔物の肉を、海水を煮詰めた濃い塩水に10日ほど漬けた物じゃ。味が濃いのでな、このように少しずつ指で千切って口の中に入れてみなされ」
ヴェルガはそう言いながら、小指の爪の半分ほどの大きさに千切った物を口に入れる。
初めて目にする食べられる魔物の肉に躊躇していると、遠慮していると勘違いしたヴェルガが笑顔で勧めてくる。此処で『魔物の肉だから』と断ってしまうと、かなり印象が悪くなってしまうだろう。
「さぁさぁ、遠慮なさらずに」
「い、いただきます」
体内に入った魔物の毒を【ヒール】で治せるかなと思いながら、目を瞑り覚悟を決めて小さく千切った塩漬けの魔物の肉を口の中に入れる。
口の中に入れた瞬間、まるで塩の塊を食べたかのような塩くどい味が口いっぱいに広がって吐き出そうになったが、ニコニコと笑顔を浮かべて此方を見ているヴェルガの手前、我慢して奥歯で噛んでいると次第に本当にビーフジャーキーを食べているかのような味に変わっていった。
「これは美味い!」
「でしょう? ここで口の中に風味が残っている間に酒を飲むと、また格別なんですわ」
そう言いながら何時の間にか手に持っていた木の器になみなみと注がれている酒を口に含む。
その光景を見て俺も真似をしたくなったが、デリアレイグでの酒場で受けた二日酔いの光景が頭を過ぎり、直ぐに手を引っ込めた。
「こういう風に美味い酒が飲めるのも神子様の御蔭じゃ。本当に感謝しておりますぞ」
「いや俺はただ単に魔物を狩って持ってきただけです。毒のある魔物の肉を普通に食べられるように加工できたのは貴方達の努力の結晶ですよ。感謝するなら、この方法を思いついた方に対してですね」
その後、宴会は完全に日が落ちて辺りが暗闇に包まれても続いていた。
そして日が昇った翌朝、朝食の席には何故かヴェルガの姿があった。
ミルメイユは昨日の夜に迎えが来た時に『約束を忘れないで下さいねぇ~~』と言いながら無理矢理引っ張られるような形で渋々帰って行った。
メレスベルは流石に飲み過ぎてしまったらしく、顔を青くしてテーブルに突っ伏している。
ついでにセルフィも寝坊なのか朝早くから出かけたのか分らないが、朝食の席に姿を見せていなかった。
「神子様、おはようございます」
「おはようございます。昨日は遅くまで大変でしたね」
「ところで今朝早くに翼人族のフェルが神子様に渡してほしいと、このような物を持ってきたのですが、お心当たりはありますか?」
ラウラがそう言いながら手渡して来たのは、鳥の巣に良く似た形の小枝で作られた篭に入れられている3個の卵だった。
「これを一体どうするのです?」
ラウラは卵を受け取った俺が口元に笑みを浮かべているのを見て怪訝な表情を浮かべている。
「どうって食べるんですけど?」
「それは流石にお勧めできません。お腹を壊してしまいます!」
「俺が前に住んでいた場所では、卵は頻繁に食べられていた食材なんですよ。生の卵を食べてお腹を壊したという話は昨日、獣人の集落で聞きました。ようは生ではなく、火を通してやれば余程の事は無い限り大丈夫だと思いますよ」
俺はそう言うと【ディメンション】を唱えて亜空間倉庫を出現させ、卵を篭に入れたまま中に入れる。
亜空間倉庫は時の流れが止まっている場所なので食べ物を保存するのには最適な場所に思われるのだが、頻繁に亜空間倉庫を使っていると、開閉する度に品質が悪くなっていくかもしれない。
冷蔵庫らしき物があれば一番いいのだが、電気のない世界では不可能だ。
でも、まてよ? アレならいけるか?
「昨日の今日で悪いけど、ちょっと作って欲しい物があるんだけど」
「なんでしょう? 儂にできる事ならなんなりと」
俺は朝食を終えて外に出ようとしているヴェルガに頼みごとがあると言って留まって貰うと、土間の地面に木の棒で簡単な図を書いて説明する。
「これくらいの箱状の……扉で開閉できるような、水に強くて中に入れる物を密閉できるようにして、上段と下段にこれくらいの大きさの箱状の物を作って。こっちにも扉をつけて……俺が住んでた場所では簀子っていうんだけど、こんな風に上下一枚ずつ、中間にも3枚ほど作って仕切りみたいにしてほしいんだけど。それと箱よりも一回り小さな箱を作って下段に収まる様に後で箱だけを取り出して使えるように」
と一頻りに説明していると、いつのまにやらラウラとメレスベルも覗き込むような形で参加していた。
「あの神子様? これは何をするための物なのでしょうか。形から察するに大切な物を保存しておくような箱にも見えなくもないんですが」
「う~ん、なんて言えば良いかな。簡単に言うと食材を新鮮なまま保存しておくための魔法の箱とでも言っておこうかな。まぁ新鮮を保持するには氷魔法【ブリーズ】を使わないといけないんだけど」
やっぱり現物もなしに、この説明だけでは納得がいかないか……。
「たとえば昨日の宴会の席でヴェルガ達が飲んでいた酒だけど、生ぬるくなかった?」
「確かに。前もって川の水に甕ごと暫く浸けておけば、少しは冷たくなっていたかもしれませんが」
「それが俺の考えている魔法の箱を使えば、飲みたい時にすぐ冷たい酒が飲める。温くなったら、また魔法の箱に戻しておけば直ぐに冷やせるという代物だ」
酒でなくとも冷たい果物というたとえもあったのだが、昨夜の宴会で此処に居る皆が酒を呷っていた事から無類の酒好きと考えたからだ。
その考えはどうやら的中していたようで周りからは『冷たく酒』『汗だくになりながら飲む冷たい酒』など、まだ現物も出来ていないのに思い思いの妄想を膨らませている。
無事(?)に完成してくれれば何もいう事はないが、失敗してしまうと皆の期待を裏切ってしまう結果になってしまう。 ヴェルガ……責任重大だぞ?
俺が言えた台詞じゃないけどな。