第100話 魔物の毒抜き
空間倉庫内からベヘモスを一体引きずり出したところで皆は力尽きた。
力尽きたとは言っても死んだわけではないのだが、地面に倒れ込んでいる皆は起き上がる気力さえないようだった。
俺は空間を開けっ放しにしていただけだったが、エストに聞いた話に因れば空間倉庫をあけた状態にしているだけで凄まじいほどの魔力を消費してしまうらしい。
皆が力尽きたところで空は夕焼けを通り越して暗闇状態となり、続きは明日以降に
持ち越しとなった。
その日の晩は昨日のようにエルフの長老であるメレスベルの家で摂ることになる。
夕食は昨日と同じく、森の東側にある畑で採れた野菜と果物、それに一欠けらの肉だけだ。
広場で解体されている魔物の肉は最低でも2日は毒抜きをしなければならないために当分の間は食卓に上る事はないという話だ。
「ねぇクロウ、この前も聞いたけどアンタ本当に何者なの? 森に初めて来た人間って事はわかるけど、それにしたって優遇過ぎるんじゃないの?」
「セルフィ! 人の過去を根掘り葉掘り聞くのはあまり褒められた事ではありませんよ。誰だって秘密の1つや2つあります」
こう言ってセルフィを諭したのは彼女の母親であるラウラという女性だ。
メレスベルの家族はドラグノアに行く途中で出会った孫娘セルフィと、いまだ表面上は行方不明とされている、その弟エルヴェに長老の娘でありセルフィ達の母親でもあるラウラだけだった。
セルフィの父親は数年前に狩りの途中で足を滑らせて谷底へと消え、死体すら見つからなかったらしい。
見た目的には凄く若々しいので母親と紹介されなければ、セルフィの姉として見てしまっていただろう。
因みに俺が精霊と同化することが出来る『神子』だという事はラウラも知っている。
俺は気が付かなかったが長老たちが集まっていた会議場でメレスベルの御付きとなっていた女性がラウラだったそうだ。
「そうそう今、隣の地面に神子様の住まわれる家を建てておるので、暫くは狭き家で申し訳ないですが此方で寝泊まりしてくだされ」
普段は何も知らないセルフィや他の森の住人の前では俺の事を『クロウ殿』と呼び、俺が神子である事を知っている者達が集まる前では『神子様』と呼ぶという事になった。
因みにただ一人事情を知らないセルフィはメレスベルに言われて、罰として広場で魔物の肉を毒抜きするために薬草とともに煮込んでいる鍋の火を見に外に行っている為、此処に居ない。
ちなみに水汲みの罰は今日までだったらしいのだが、今日の分をサボったために後10日分、罰を追加されたらしい。
様付けで呼ばれる事に違和感はあったものの、エストから『立場上、仕方ないので我慢してください』と言われてしまっている。
「狭い場所なんてとんでもない。屋根のある場所で寝られることだけでもうれしいです」
「そう言ってくれると助かります。それにしても昼間の猫人族の男、神子様の住居を造る為の木材を荷物運びの為に使わせろとはふざけた事を……」
恐らく、その猫人族の男というのは俺が丸太を転がして重い物を運ぶ方法を教えた獣人の事だろうな。
俺が怒られる切欠を作ってしまった事に申し訳なさを感じる。
「二階の角に部屋を用意いたしております。暫く御不便をお掛けいたしますが、御了承願います」
「いえ本当に気にしないでください。それと先のセルフィの事ですが……」
「娘には後程よく言っておきますので」
「いえ、そうではなく暫く一緒な場所で暮らして行くので、前もって事情を説明して置いた方が良いのではないですか?」
「神子様、私達と話す時には敬語は不要です」
「セルフィは森一番と言ってしまっても過言ではないほどに口が軽いですからの。此処で神子様の事を話してしまった暁には、明くる日に森全体に知れ渡っている事でしょう」
俺としても騒ぎになる事は勘弁してほしいから同居人に秘密にすることは心苦しい限りではあるが、仕方ないとみて我慢するか。
その後、広場に魔物の肉を煮込んでいる鍋の具合を見に行ったセルフィがなかなか戻って来ない事を不審に思ったラウラが、火が完全に消えている鍋の前で木の枝を抱きしめて居眠りしていた彼女を発見して騒動になった事は言うまでもない。
翌朝、何故か朝食の場に姿を現さなかったセルフィを除き、俺、ラウラ、メレスベルの3人で朝食を終えて食休みをしてから広場に行ったところ騒ぎが起こっていた。
「えっと、おはようございます。何があったんですか?」
「ああ、アンタか。それがな、鍋の火が消えてたみたいなんだよ」
「魔物の肉を毒抜きするためには、ある一定の温度を保って薬草と一緒に煮込み続けなければならないんだが、俺が来た時には既に火が消えていて鍋は冷たくなっていたんだ」
「なら、すぐに火を付けて毒抜きを再開すれば良いんじゃ……」
「いやそんな簡単な事じゃない。昨日の時点で用意してあった薬草と薪を使いきってしまったんでな」
「だから今日は鍋の火を見張りながら、森の奥で薬草を採取してこようと考えていたんだが」
その後、聞いた話によると薪にする木の枝は生木でなければ何でも良いらしいのだが、鍋の中で魔物の肉と共に煮込む薬草は、ゆうに肉の質量の3倍は必要で一度使用した薬草は使えないのだという。
更に詳しい事を聞くと魔物の肉を鍋から溢れんばかりの大量の水で煮込んで、沸騰してきたところに薬草をくべて丸2日煮込み、その後半日かけて燻製にすることで漸く食べても安全になるらしい。
「人数の多い獣人族は其のままでも食えるが、俺達エルフ族とドワーフ族はこれまで同様、暫く森の果物と野菜で我慢しなけりゃならないな」
「えっ? 獣人族って毒が効かないんですか」
「どういう理屈かは知らんが、アイツらは毒抜きしなくても食えるんだ。俺も初めて見た時には吃驚したぞ。なにせ獣人の子供が魔物の血をペロペロと舐めていたんだからな」
「俺も見た。俺達が同じことをすれば、一口一舐めであの世行きだからな」
さらに魔物を一度でも煮込んだ鍋は魔物の毒が微量ではあるが沁み込んでしまい、普通に料理する鍋として使用することが出来ないそうだ。
ならば数を作れば良いのではと言うと、そう簡単ではないらしい。
そういう物を作るのは森の北側に住んでいるドワーフ族の仕事らしいのだが、狩りで使用する得物や畑仕事で使う鍬や鋤なの道具に料理するための道具と様々な物を作っているが、掘り出す事ができる鉱石が微量なため、中々数をそろえる事が出来ないらしい。
「纏まった鉄がありゃ直ぐにでも作って貰えるんだが、だからって狩りの為の道具を鍋の材料として提供してくれだなんて言えないからな」
狩りの道具か……そう言えば空間倉庫の中に魔物が使っていた金属製の武器を何本か入れてあったな。
アレをドワーフ族に渡せば道具類を作って貰えるんじゃないか?
「手持ちの中に要らない武器類があるので、ドワーフ族に渡して道具に作り替えて貰いましょうか?」
「そうしてくれるのは有難いが、如何して其処までしてくれるんだ?」
「昨日の自己紹介の時にも言いましたが、事情があって暫くは人間の街に戻る事が出来ないので此処で暮らして行くことになります。とは言っても狩りに参加できることもなく、魔物の毒抜きを出来る訳でもないので今自分に出来る精一杯の事をしようと思っているだけです」
俺がそう言った瞬間、昨日以上の拍手が広場に集まったエルフから聞こえてきた。
「其処まで俺達の事を考えてくれて本当にありがとう」
「人間の事を信用できない奴等だと思っていたのが恥ずかしいよ」
「一言に人間と言っても様々ですからね。それじゃちょっとドワーフ族のところに行ってきます。集まってる皆さんには悪いんですが、空間倉庫に納めている残りの魔物を取り出すのは戻って来てからという事になってしまいます」
「そんな事は気にしなくても良い。どっちみち薬草を採ってくるまで魔物の毒抜きは出来ないんだ。それに解体待ちの魔物も山の様にあるからな……」
広場の片隅には解体待ちのウルフが数十体と、手つかずのベヘモスが空間倉庫から引きずりだした形のままで横たわっている。
獣人族に対しては皮を剥いで一定の大きさに切り分けた肉を毒抜きすることなく、そのままの状態で渡すそうだが其れでも数に余裕がある。
「なら、ちょっとドワーフのところに行ってきます」
「おう。急がなくてもいいからな」
俺は其の言葉に後ろ手で手を振ると、世界樹の裏側にあるというドワーフ族の集落に歩いて行った。
魔物が持っていた剣や斧、槍などを渡して喜ばれる顔を想像しながら……。