第98話 自己紹介と食料補給
【制定の儀】で仮長老ラグルの、先代長老バヌトゥを私怨によって殺害した事に対して断罪され、更に逆切れして襲い掛かってきたラグルが火の精霊サラによって遺体も残さずに身体を消滅させられてから凡そ10分が経過していた。
この後、俺を聖域に住む皆に紹介して場を御開きにする予定ではあったのだが、先の事態から皆が疲れているであろう事を懸念して、1時間ほどの休憩時間を設けたのだった。
休憩時間の間に広場に集まっている皆に目を向けたところ、あれだけの惨事が繰り広げられたにも拘らず、今は亡きラグルに対して誰一人として悲しむ様子などは見受けられなかった。
それどころか何処か喜んでいるような感じがあった。
良く見てみると獣人族の中には、目に涙を浮かべて隣の者と抱き合っている姿が所々に見受けられるものの、顔に笑みを浮かべている事から悲しみからの涙ではない様に見受けられた。
《これはどういう事なんだ? 普通は仲間が殺されて、悲しむのが普通だと思うんだけど……》
《余程あのラグルとかいう者の人望が薄かったのでしょう。涙を流してまで喜ぶというのは何か別の意味があるような気がしますね。森の精霊に聞いて調べてみましょうか?》
《いや、これぐらいの事で其処までしなくても良いよ。此れから先、この森で暮らしていくことになるんだから仲良くなった頃にそれとなく聞いてみる事にするよ》
《分かりました。あっマスター、見覚えのある2人が近づいてきています。表情から察するに何か聞きたいことがあるみたいですね》
会議場のある建物の壁に背中を預けて目を瞑り、心の中でサラたちと会話をしていた俺は『見覚えのある2人が近づいてきている』と聞かされて徐に目をあけると、其処にはセルフィと森の中でであったトリスが何やら不満気な顔をして俺の居る方へと歩み寄って来ていた。
俺ではない他の誰かに用があるんじゃないかと思ったが、この場所に居るのは俺だけだった。
聖域の住人達はこの場に似つかわしくない人間の俺に対して、興味はあるものの話しかけずに遠巻きに見ているだけだ。
とそう思っている間にセルフィとトリスが俺の目の前まで迫って来ていた。
「ねぇクロウ、貴方いったい何者なの?」
「ちょっとちょっと! セルフィ、幾らなんでも直線的過ぎない? 前もって挨拶してから徐々に話を進めて行こうって言ってたじゃない」
いや俺の前でそんな事を言っていること自体で既にアウトだと思うんだが……。
「いや何者も何も、俺は何処にでもいる普通の人間ですけど?」
「じゃあなんで普通の人間が当たり前の様に長老たちと一緒の席に座ってたのよ!」
「セルフィもドラグノアで会ったクレイグさんを憶えてるだろ? 彼がエルフ族長老の御子息だったという事で俺とつながりが出来たんだよ」
「そんな理由で納得できると思ってんの? だいたい……「はい、其処まで」……むぐ」
俺の一言一言に激高するセルフィの口を押さえつけたのは、隣で空気になりかけているトリスだった。
「はぁ~やっぱりついてきて正解だったわ。なんでアンタはこんなくだらない事で一々頭に血をのぼらすの? こんなんだから何時まで経っても狩り部隊に選ばれないし、日常生活でもポカミスばかりして罰を与えられるのよ」
「トリスさん、くだらない事って何ですか!? 私はみんなが思ってる事を代弁して」
「誰がいつそんな事を貴方に望んだの。それにこの後、紹介があるんでしょ? 気になるなら其処で質問なり、尋問なり、拷問なりすれば良いじゃない」
いや質問までは分るけど、尋問拷問って……。
そんなこんなで休憩時間は終了し、引き続いて俺の事を皆に消化するという事で俺は先ほどいた長老たちの座っている場所に、トリスは此方に無言で頭を下げて未だ納得していない表情のセルフィの襟首を掴んで無理矢理引っ張りながら、皆が集まっている方へと消えて行った。
時折、姿は見えないが『離して! まだ聞きたいことが』と騒いでいる声が聞こえてくるが、ドワーフ族長老の『静粛に!』という言葉で場は静まり返った。
「先の制定の儀に於いて、仮にも長老の座に就いていたラグルの失態については大変申し訳なく思う。これについては獣人族の森から新たな長老候補者を立ててほしい。誰も立候補者が居なければ此方から指名する事に成ると思うが、後でよく話し合ってくれ」
この発言で獣人族の集まっている場所が目に見えてざわめきだしたが、今度はエルフ族長老の大声で一括するような『静粛に!』という言葉で騒ぎは収まった。
「さて皆も気になっているとは思うが、この度我らが聖域に新たな者が加わる事となった。が、この者はエルフ族でもドワーフ族でもなく、ましてや獣人族や水棲族という訳でもない、人間だ。広場に集まっている者の中には聖域に来るまでに人間に虐げられていた者も数多くいるとは思う。だが一言に人間と言っても様々だ。今までの辛い事を忘れろとは言わないが、如何か同じ森に住むものの一人として、快く迎えてほしい。私からは以上だ。次に本人から挨拶がしたいという事なので静かに聞くように」
「えっと、ただいまメレスベル殿に紹介されました人間族のクロウです。一番最初に言っておきますが、俺は皆さんに危害を加える気は毛頭ありません。ただ、先のラグルのように何もしてないにも拘らず人間だからという理由だけで『目障りだ、即刻出て行け!』というような理不尽な要求に対しては、精一杯反抗させて頂きますが」
俺がそう言った瞬間、獣人達から失笑するような声が聞こえてきた。
「此処で俺が此処に来ることになった理由を一つ。今から数日前までは、普通に人間が暮らす大きな街に住んでいましたが、ある時有らぬ疑惑がかけられてしまい街に居られなくなってしまいました。その疑惑が持ち上がる少し前から、その街と隣国との間で諍いが行われており、俺は其処で内通者の疑い、更に騎士・衛兵殺しの疑いがかけられて追われる立場と相成りました。其処で出会ったのがメレスベル殿の御子息であり、街で重要な役職に就いているクレイグ殿でした」
クレイグさんの名前をだした途端、エルフたちから『おお~~っ』という相槌が返ってきたことから、彼は余程皆から信頼されているであろう事が見て取れた。
「前々からクレイグ殿と親しい間柄だった俺は事態を説明したところ『俺がそんな事をするはずがない。誰かの陰謀だ』という事を言ってくださいました。されど、このまま街に居続ける事は無理でした。其処でクレイグ殿からメレスベル殿に宛てて文を認めて貰い、長き旅路の果てに晴れてこの地に足を踏み入れる事になりました」
俺は其れだけを言い切ると皆が集まる広場に向かって深々と頭を下げた。
この事に対して皆の反応が心配だったのだが、意に反して疎らではあるが拍手が聞こえてきた。
そして俺と入れ替わる様にしてメレスベルが前に出ると、皆に向かって声を掛けた。
「聞いての通りだ。此の者に関して異論があるという者はいるか」
この問いに対して出来れば誰一人として異論を出さないでほしいと考えていたのだが、意に反して灰色のの犬耳を持つ男性が腕を真っ直ぐ天に向かって振り上げた。
「では其処の……誰じゃったっけな?」
「俺の事は良い、だが食べ物、どうする? 食糧はない、獲物もない、狩り部隊疲れてる。このままじゃ皆、餓死」
あまり言葉を話す事に慣れてないのか、片言で部分部分の言葉で疑問を投げかけてくる。
其の言葉を皮切りに数人が異論を唱えだした。
「確かにな。狩り部隊も頑張ってはくれてるが……」
「ああ、一回で仕留められる量は限られているからな。あまり無理をいう訳にも」
「森に自生している果物が万が一にでも尽きれば俺達は終わりだ」
以前聞いた食糧難が可也響いているのが見て取れた。
其処で未だ半信半疑ではあるが、空間倉庫の中に入れてある魔物の死体を皆に提供するために前に出て大声で話し出す。
「以前、クレイグ殿から今の聖域は可也の食糧難に陥っていると聞きました」
皆が食料の事でざわついているところに俺の声が聞こえてきて場は静まり返る。
本当はクレイグさんではなく、フィー達から教えられた事なのだが精霊との契約をしている事をいう訳にもいかないので、この場には居ないクレイグさんの言葉を使わせて貰う事にした。
「其処で皆さんにちょっとした手土産を用意してあります。ただ量が少し多いのと、一人では持ち運べない大きさの物があるので、皆さんに少しお手伝いをお願いしたいのですが」
この事は長老たちに一言も言っていなかったので、俺の後方で息を飲む声が聞こえてくる。
「つきましては広い場所が必要になるので、皆さんが居る広場をあけて頂けませんか?」
「皆、聞こえただろ? さっさと場所をあけぬか」
俺の言葉が通じていないのか誰一人として動き出す者はいなかったが、我に返った長老の一言でまるでモーゼが海を割るかの如く、皆が左右に分かれてゆく。
「有難う御座います。では【ディメンション】」
空間倉庫の入口を皆から良く見える様に地上から5mの辺りに開くと、何やら肉で出来た壁のような物が何もなかった空間に出現する。
皆も遠回しに『アレは何だ?』と指さしたりしていたが、その瞬間まるで雪崩を起こすかのように数十体もの魔物の死体で広場の中央付近に山が築き上げられてゆく。
空間倉庫に詰める際に半ば無理矢理押し込んだことで、戸を開けた途端にダムが決壊するかの如く溢れ出てきたものと思われる。