妹が蔓延する。
異端の神は偽善の末裔を食べる。
実家から26人の妹がやってきた。
「うっすー兄貴」「おはようございますお兄様」「にいにい、久し振り」
数々と声を掛ける妹達の何人かは堕落していた。ドロリと溶けたその身体から産業廃棄物が漏れ出ている。放射能を含んではいないから、人体には影響はない。
きっと戒律に違反したのだろうか。
もしくは贖罪に失敗したんだろうか。
どちらにしても厭世的な生き方をしていたに違いない。僕もいつ、そうなるかわからない。その現象は無作為抽出だから仕方ない。来世で頑張ってくれスライム妹よ。
溶解している彼女らの美声の残骸が次第に固体化する。それはだんだん……空気中の水分を含む。ゲル状の物体は縹色と驟雨が混在していて、何か切ない。部屋の湿度が急に上がる。
じめじめ。
じめじめ。
恋人はゲルになった彼女の声を拾って鍋の中に入れている。
「これがおいしいんだよ」
確かにね。
僕たち28人は鍋の周りに座る。
「はい、5番の妹さん」と恋人は皿を渡す。
「ありがとん。空も飛べそうです」
その白亜の食器を受け取ると妹は「自殺の悲しさ」を大匙5杯入れる。
「味付けは、世界を征服するんだ」と声を出す。
ふふ。相変わらずだなあ。
まあ、僕には理解はできないけどね。
そのとき「あたし我慢できないよう」と言って何番目かわからない妹が、
沸騰してる鍋の中に入ろうとする。
「……」一同騒然と……ならなかった。
静かになった。誰もがこのことが当然であるかのように。
けれど、沈黙はすぐに壊れた。
足を鍋の淵に掛けた。
ガッ。ヒュルーリ。ドドドドトトトトトテテテテテキューーーーーン。
するとその奇麗な足首がするり、と吸い込まれた。
妹がブラックホールのように吸われるようにいなくなった。
その場から一人妹が消滅した。
無となった妹の姿は、それはそれは胡乱としていて大瀑布のようだ。
「あらあ」と恋人はうつろに笑う。ははははは、と笑った。妹25人も笑う。
でも僕は笑えなかった。なぜか胃の腑のあたりがぞわりとした。それは先ほど食べたキリストの肉が胃液で溶けたからかもしれない。
1時間後。
机の上を見ると真っ白な食器には何も乗っていない。25人の妹は、鍋を食べ切ったのだった。
僕は訊く。「25人の妹たち、どうだったお味は? お口に合った?」
妹は答える。「うんっ!」
それはよかった。
「でもさ、」11番目の妹が首をかしげて質問する。
「この鍋の材料って何だったの? やけにおいしかったけど」
僕はのんびりと頷く。「秘密さ」
「えっ!」
「この鍋に何が入ってたのお兄ちゃん!」「……中身は……?」「材料はなんなのよ、兄さま」
はははは。僕は笑う。「普通のモンさ」
「花飾りと蟻地獄、そして天使の唾液が入っていたのよ」
君が得たり顔で妹たちに説明した。
「あとはね、リンゴだね」
妹の何人かはいつのまにかメモを取っているようだ。
「……そんなところよ」君は満足そうな顔をしている。僕は鍋の材料はこの家だけの完全秘密にしたかったけど、君がそんなに嬉しそうに言うんだもの。止められないさ。うん。笑顔は僕が困るほど綺麗だ。
25人の妹たちは君を見つめた。そして口ぐちに言う。
「さすがですお義姉さん」「すごいです姉じゃ」「美しいですものね、姉さん」「早く結婚したらいいのに、ね」「うん」「そうです」「私もねえねえのような人になりたいな」「うん」「うん」
君の顔が夕焼けのように真っ赤になった。
いつものクールビューティはどこか遠い所に出張したかのようにどこにもいない。動きもぎこちない。恥ずかしそうに言った。
「ば、ばかっ、そんなつもりで言ったわけじゃないんだからね。て、てか、私は、まだあなたの『お姉さん』じゃないんだから。私達はただの恋人よ。結婚はまだしていないわ。ね、そ、そうでしょっ?」
「……」僕はにんまりと君の顔を眺める。
「! もう、ば、ばかばかばかばかばか」
君はぽかぽかと僕の胸を叩いてきた。痛みはない。甘噛みのようなものだろう。
僕は、そのまま、君を、抱きしめた。
君は驚く。でもそれを肯定したようだ。君も抱きしめてくれた。
静かに僕は言った。
「君が、好きだ」
「……私も、よ」
抱擁は終わり、君と対峙する。
見つめあう。視線と視線がぶつかる。
エーテル麻酔のような沈黙が数秒続く。
僕は決めていた。
うん、
言おう。
「……僕と、結婚してくれ」
「――――ぁ!」
君の身体がブルブルと震えている。激しい心臓の音のが聞こえる。僕の一世一代の告白に動揺しているようだ。口を動かしているがそれは声にはならない。まだ眠るお月さまを想像できるほどの君は、あわてている。
君は目をつぶって深呼吸した。ふぅーはぁー。ふぅーはぁー。落ち着こうとしているのがまじまじと伝わる。
静かに目を開けた。
そして、君はたぶん僕が君と出会ってからの一番の幸せな顔をして、口を開いた。
「……はい、こちらこそ、お願いします」
拍手喝采が聞こえ、僕たちは長い長い口づけをした。
「おめでとうございます」「……よかったです」「おめでとー」
「ありがとう」僕は妹に感謝した。
「今度会うときは30人になっているんだろう?」
「そりゃ当然です」と妹と最後の会話をして、
妹達は「じゃあ帰ります」といって僕の、いや僕たちの城から出て行った。
そのとき馥郁たる香水の匂いが香った。ネクロフィリアのアロマのよう。
「忘れていました」1番目の妹が帰ってきて「これはお土産です」と言って四角い箱をくれた。棺のようだった。
本当の帰り際に一番目の妹は言った。「お幸せに」
「結局、妹っていうのは理想郷のトークンだったんだね」君は小さく言う。
「そうだね。ただの漆黒の煤煙なんだよな。手で掴めない」
広い広い家には僕と君しかいない。
数時間前との関係より進展した君が言う。
「あなたの妹さんまるで自殺幇助みたいね」
「あ、よく気づいたね」
「だって、生命保険の坩堝が透視できたもの」
「そう」
僕たちは短いキスをして、
遠くから流れる弔鐘を聞いた。
誰か夭逝したようだ。
僕は思う。
この重低音は君の唇の恣意的な鳴動に似ている。
静謐な君との口付けが終わる。もっとしたかった。
「そうだ」お土産はなんだろう。心臓にも似た箱を開いた。
髑髏が入っていた。
また、変なもの買ってきて……。
君は言う。「けっこう、おもしろいじゃない」
よく見ると、そのシャレコウベはけらけら嘲笑していた。
何かのパロディだろうか。自衛隊かな?
すっかり広くなった僕の部屋で、
「じゃあ、巡礼でも行かない?」
と彼女が声を掛けた。
そうだな。讃美歌も聞きたいし。
「じゃあ、行くか」
粗悪品のような鈍く嗄れた声を出す。
鮮血に汚れた僕の超自我を洗濯しよう。
そして君への恋心を鋭敏化しないとね。
きっと君は朧月夜に映えるんだろう?
僕はわくわくした。血管が蠕動運動を始めた。
君――五十嵐坂祈りは、今日、僕のお嫁さんになった。
うん!
僕たちは教会へ出かける準備をした。