『おまえの婚約が決まった』と初対面の父が宣った。
間違えて削除してしまったものをサルベージして
母親視点の話をプラスしました。
後半少しアレな表現あるのでR15です。
『おまえの婚約が決まった』
ネッド・ポリカードは、父であるらしいミヒャエル・ハドネス子爵に、初めて会った日にそう言われた。
ネッドは某貴族宅にてガヴァネスを務めていた、ピュアリス・ポリカードの一人息子である。
某貴族宅でそこの主人の従兄弟だか大甥だか知らない男に手籠めにされ、ネッドを身籠ったピュアリスは、儚げでたおやかな外見そのままの大人しく泣いて身を引くような女ではなかった。
襲われた時も激しく抵抗し頬を殴られたが、思い切り数回殴り返し、犯人の顔に青アザを二つ三つ作り、髪を掴まれたお返しに相手の髪を、自分の指に巻きつけ思いっきり引っこ抜き、ハゲをこさえてやったので、誰が犯人か一目瞭然だったらしい。
優秀で『有能』なガヴァネスだと娘のいる家庭から引っ張りだこだったピュアリスを、とても気に入っていた某貴族夫人は、彼女を襲い怪我を負わせ妊娠までさせた自分の夫のゴミクズ親類から、目玉が飛び出るほどの慰謝料を取り立てた。
こぢんまりとした居心地良い二階家に、住み込みのメイド二人と従僕を雇っても、ピュアリス達親子二人が悠々自適に天寿を全うするまで暮らせる程の慰謝料を平民にふんだくられた(ふんだくったのは某貴族夫人である)と、婦女暴行傷害犯は被害者ヅラをしていたものだから、国内の娘を持つ貴族富豪から総スカンを食らい親族の住む隣国に逃亡したのよ、と母から聞かされた当時七歳だったネッドは、『すげぇ責任転嫁ヤロウだな』と、同じ男として自分の製造元を蔑んだ。
そして平民が通う学校に通いながら、語学に堪能な母からも他国語を二言語習い習得し、時に身体を鍛えるため、騎士団が開く子ども体力づくり教室にも参加し、すくすくと利発に健康に育ち、製造元の責任転嫁ヤロウを反面教師にして、優しく穏やかで正義感が強く、茶色の髪とピュアリスに似た紫の瞳にすらりと背が伸びたネッドは、平民(下位)貴族問わずそれはもうモテる男子に成長した。子どもの頃もモテたが。
顔よし頭よし性格よしなのだから無理もない。
ネッドがあと一年で高等学校を卒業する頃、ピュアリスが既知の貴族夫人に請われ、ガヴァネスとして復帰することになった。
娘四人が女学校に入学するまでの二年間住み込みでお願いしたい、賃金は普通のガヴァネスの三倍出しますからと、拝み倒されたピュアリスはそれを了承し貴族夫人の領地へと向かった。なにせ三倍なので。
家にはネッドとメイドと従僕が残されたが、使用人たちは彼にとって家族のようなものであり、使用人たちにとっても、彼は自分の息子や弟のようなものだったので四人はピュアリスが戻ってくるまで、この家を護り通すぞ!と結束した。
その間のネッドの生活費は、慰謝料の幾らかを投資に回して得た配当金の一部を渡すからそれで賄いなさいねと彼名義の口座に、ピュアリスから纏まった金額が振り込まれたのだが、通帳を見たネッドがぎょっとし思わず周囲を見回すくらい多額であった。
ちょっと浅はかな人間であれば、羽目を外してもおかしくない額であったが、製造元を反面教師にしているネッドは一月に必要な金額を計算し、それ以上は使わぬように自らを戒めた『自分が稼いでない金を湯水のように使うべきではない』と。
堅実に地に足のついた生活を送り、いいなと思う異性とお茶を飲んだり美術館に行ったり、庭園を散歩したり、ちょっと背伸びして話題のカフェでブランチしたり、たまには友人達と軽く酒を嗜んだり、紳士クラブで煙草に噎せたりしつつ、就職活動にも精を出し第一希望だった役所から内定を貰い、母に内定貰えたよ!と手紙を書き、うきうきしながら内定祝いってことで今日の夕飯は高級惣菜店のビーフシチューでも四人分配達してもらって皆でお祝い
しようかな?と考えていたところで来客があった。
それが自分の製造元であるらしき、ミヒャエル・ハドネス子爵だったのである。
父だと名乗ってきたミヒャエル・ハドネスは腹の出た中年のオッサンだったのでネッドは中年になっても、自分は身体は鍛えていようと強く決心し、ミヒャエル・ハドネスが帽子を脱いだ頭は、後頭部に円形ハゲが一つあるだけでも『うわあ……』だったのに、更に頭頂部は茶髪がまばらに生えているだけだったので、ネッドは髪色だけでなく薄毛が遺伝しませんように!と神に祈った。強く。
薄毛で円形ハゲで出腹のミヒャエル・ハドネスは、それはもう偉そうに、ポリカード家の応接間を見回すと頷きながら言った。
「狭いがまあ合格だな」
何が合格だハゲと思いながらも、ネッドはメイドが淹れてくれた紅茶をハゲに勧めると、何の用で我が家に訪れたのか、丁寧な敬語で嫌味を含ませつつ問いかけた。
紅茶をごくごく飲み、勧められてもない茶菓子を片手一杯摑むと口に放り込んでボリボリと音を立て咀嚼したミヒャエルは、何故かニヤニヤ笑いながらネッドに宣言した。
「おまえの婚約が決まった」と。
ネッドは眉間に皺を寄せ
「誰の婚約が?」
と聞き返した。
ミヒャエルは茶菓子をまた口放り込もうとしたタイミングで問われたのが、気に触ったようでわざとらしく舌打ちをする。
「おまえの、だ」
「なぜ?」
「おまえが私の息子だからだ」
胸を張ってふんぞり返ったミヒャエルの腹が、ぼよんと揺れる。
「私は貴方にお会いするの今日が初めてなのですけど」
「それがどうした。
会うのが初めてでもお前には貴族の私の貴い血がながれている。有用なスキルを持ってなさそうだから今まで放って置いたが事情が変わってな」
この国の国民は皆スキルを持って産まれてくる。
勿論ピュアリスもネッドもそこまで有用でないが、役に立たないとは決して言えないスキル持ちだ。
「……だからあなたの結んだ婚約に従えと?」
「当たり前だろう。おまえは私の息子なのだからな」
ふふん、とミヒャエルは鼻で笑う。
ネッドは部屋の隅で唇を引き攣らせているメイドに合図し、部屋の外に出て貰った。
その間もミヒャエル─もう薄毛出腹オヤジでいいか─は、菓子をぼりぼりと噛み砕いている。
「ええとハドネス子爵」
「ふん、半分平民のわりにはきちんと弁えてるな。お父様などと呼ぶなよ、おまえは卑しい庶子なんだから」
卑しいならなんで息子だとか言うんだよ。
頭腐ってるのか?とネッドは、頭の中でミヒャエルの腹を拳で三発殴った。
「……私の名字はポリカードですが」
「だからなんだ」
「あなたは私を、ハドネス家の一員としたいのですか?」
「なぜおまえなんぞを私の籍に入れねばならない?」
これだから物を知らない平民はと言いたげに、薄毛をかきあげ出腹オヤジは宣う。
頭頂部の地肌が丸見えになり、髪はかきあげない方が、いいんじゃないかとネッドは思った。
「両親が離縁していても子は子だ。おまえは私の為に生きねばならん」
離縁じゃねーだろ。
おまえがしたのは犯罪だろうが、とネッドは薄毛出腹オヤジの頭にハイキックをお見舞いした。心の中で。
「私に病がみつかり金が必要になった。
だからおまえは、私の治療代の為にミットラント男爵に婿入りしろ。やっと私の役に立てるんだ嬉しいだろう?」
「ミットラント男爵……?」
ミットラント男爵は、投資で資産を増やしていると、最近名前を良く聞くようになった貴族の中でも、群を抜いて有名な投資家だ。
売り時の見極めが非常に上手いのだと、紳士クラブでも、話題に上がったことがある。
が。
ミットラント『女』男爵には夫がいる。子どもも四人いて家族仲もとてもいいと評判だ。
再度自分の知っている貴族情報を、頭の中で確認する。
ミットラント男爵には間違いなく夫がいる。
「……ミットラント男爵には、旦那様がいらっしゃるかと」
「フン、夫と言ってもたかが男爵家の四男だ。子爵子息のおまえが、婿入りすると聞けば離縁するだろう」
「……先方と話とかは」
「なぜ子爵家のうちが、たかが男爵家と婿入りに際して話をせねばならんのだ。まったく平民は物を知らんな」
薄毛出腹ハゲはふんぞり返って言い放った。
うん、もう、コイツダメだ。
ネッドはそう理解した。
コイツは自分の言うことやること全てが、正しいと思いこむどうしようもない人種なのだと。
そしてこのような人種は、生きていても周囲に害しか齎さない、なんの役にも立たないダメ人間だと。
「しかしこの家は狭いが、中々手入れされているな。使用人も若くはないがそれなりにいい」
「はあ、それはどうも」
「私が住む場所としては格落ちだが、許容範囲だ」
「…………はい?」
「腹の立つことに私が病だと知った途端、妻から家に帰ってくるなと、生意気にも言われたのだ。
今まで散々良い目を見せてやったのに、これだから下位貴族はダメなんだ」
私はなんて運のない……と薄毛出腹ハゲは嘆いた。
「だから私にこの家を寄越せ」
「はい?」
「おまえはミットラント男爵に婿入りする。
おまえの母親は住み込みでガヴァネスをしている。ならば、この家に住む者はいなくなるだろう?
だから私がここに住んでやると言っているんだ、住む者が居なければ家は痛むらしいからな、感謝しろよ」
私が住むのだから、私好みの家具と私の世話をする若いメイドを雇え。金はあるのだから出来るな?と薄毛出腹ハゲは、ぺらぺら得意そうに喋り、それを聞いたネッドは無表情で指をパチン!と鳴らした。
指を鳴らす音と共に、ポリカード家の応接間に現れたのは、白くなり始めた黒髪を緩く結んだ、優しそうな中年女性だった。
目を白黒させて口を開閉させている薄毛を目に留めると、その人は手にしていた扇を振り被り薄毛の頭頂部に叩きつけた。
「痛い!」
「痛いじゃなくてよ!この疫病神!!」
女性は二度、三度と扇を叩きつけ、その衝撃で出腹が揺れるものだから、ネッドは笑いを堪えるのが大変だ。
「ひぃぃぃ……!」
頭を庇いソファの隅に縮こまる薄毛出腹ハゲを、見下ろし、中年女性は荒い息を整えるとネッドに向き直る。
「わたくしの夫の血縁が迷惑をかけたわね」
「いえ、こちらこそ先触れもせずに急に来て頂き」
「貴方のスキルのおかげで大した苦労はないのですから、気にしないで頂戴」
ネッドに優しく笑いかけた中年女性は、ぐりん!と首を回し薄毛を睨みつける。
「それにくらべてこのゴミは!」
「ひ、ひどい」
「何が酷いか!
おまえが有用なスキル持ちでないのは仕方ないとしても!ただでさえ優秀だと評判で、しかも良縁を引き寄せるスキル持ちのピュアリスに怪我をさせ!子を孕ませた挙句謝りもせずに、慰謝料を払いたくないとゴネまくったゴミの分際で!!」
「へ、平民がこの美しい私と一夜を共に出来たんだから慰謝料なんて払う必要な」
中年女性の視線から逃れるように下を向いて唇を尖らせて、ゴチャゴチャ言う薄毛の横っ面に扇が炸裂した。─あれは痛い。予期してなかった場所だろうから余計に痛いだろう。
薄毛は頬を押さえ悶絶していて、前に立つ中年女性は怒り心頭といった様子で、ぶるぶると身体を震わせている。
「おまえがそのような、古臭い価値観を曝け出すものだから、我が家がどれだけ汚名を返上する為に、苦労したと思ってる!」
「そんなのひらない!わらしはいなかひひゃくにむこひりさへられ」
ばちん!と今度は反対の頬を扇で叩かれる。
「持参金をつけても、瑕疵のあり過ぎるおまえを引き受けてくれる家が我が国にあるわけないでしょう!引き取ってくれた隣国子爵家に感謝するべきなのよ!!なのにこの穀潰しが!」
薄毛出腹ハゲが大人しく、頬を扇で何度も何度も殴られているのを見物しながらネッドは『物理的なスキルってやっぱり便利だよな、羨ましい』と関心していた。
ネッドのスキルは『任意の相手を自分の近くに呼び寄せる』だ。
ピュアリスの雇い主だった某貴族夫人である中年女性は、彼女がガヴァネスとして遠方に雇われると決まってからポリカード家を訪れ、ネッドに『もしアレがこの家に来ることがあったら例え夜中だろうとわたくしを絶対呼ぶのよ、わたくしのスキルはわたくしが殴りたい相手を心ゆくまで殴ることが出来るものなの。いいわね?』と、とても良い笑顔で教えてくれたのだ。
自分が心ゆくまで殴れるってどういうことだ?と疑問だったが、目の前の光景を見れば納得出来る。
扇で殴られるたびに、頬を腫らし情けない声をあげ涙目になりはするが、逃げたり避けたりはしないミヒャエル。
『本人が納得するまで相手が大人しく殴られてくれる』のが彼女のスキルなんだろう。
……これ力の弱い貴族女性が持っているからまだいいが、筋骨隆々のゴロツキなんかが授かっていたら大変だったんじゃないか?とネッドは、なんか殴ってるうちに、気分が高揚しちゃったのか、目が爛々と輝き頬に赤みがさしてきた中年女性を見ながら、背中に冷たい汗をかく。
「……ふう」
気が済むまで薄毛出腹ハゲを殴れたらしい中年女性は、額に滲んだ汗をぬぐった。
五分近く殴り続けたせいで扇は真っ二つに割れ、
扇の代わりに使われたトレーもベコベコに凹んでいるが、それについては何も言わないでおこうとネッドは心に決めている。
女性のスキルの効果で大人しく殴られていたミヒャエル(ちょっとだけ哀れなので名前で呼んでやる)は、顔面ボッコボコなうえ、せっかく腕で頭を庇っていたにも拘らず、ただでさえ薄い髪が更にまばらになっていた。
「迷惑をかけたわね」
「あ、いえ」
「そうだ!今ならこれを殴っても構わなくてよ。このあとどうせ連れ帰って……だから」
─中年女性の微笑みが怖い。
自分には優しい彼女がこんなに怒るのだから、この男は母にやったこと以外にも沢山余罪があるんだろうなあ。とネッドは製造元を眺める。
ひいひいと泣きながら、背を丸めソファの隅に蹲るミヒャエル。
薄毛とハゲはまあ仕方ないとしても、その腹はなんとかならないのか?確かコイツ自分を美しいとか言ってたよな?とネッドは疑問に思う。
ネッドの視線に気付いた中年女性に、何かと問われ疑問をそのまま口に出してみたら。
「ああ、これのスキルはね。『自分を全盛期の姿だと思い込む』なの」
「あ〜……」
迎えに来た馬車にミヒャエルを積み込んで、中年女性はネッドに礼を言い帰った。
「……何というか、すごく疲れる一日だった」
「ですねぇ」
とてもではないが今日はビーフシチューを消化出来る気がしないなと、ネッドは後に控えたメイドに夕飯はスープにしてくれ、と頼んだ。
数日後、ネッドの口座に中年女性から迷惑料だと、振り込まれた金額を見て彼は『ギャッ!』と叫んだ。
自分の口座に中年女性こととある貴族夫人から、迷惑料+αが振り込まれた金額を確認したピュアリスは『あ〜売ったんだ』と何かを納得した顔をして、その足で酒屋に寄ると、普段呑むより高価なワインを一本買い、勤務先であるビルマス家へと歩きだした。
それにしても、あのクソ男はまだ生きていたのかと、変に感心してしまった。
とっくに誰かに刺されて、地獄に落ちたとばかり思っていたのに。
「憎まれっ子世に憚るとは良く言ったものね」
ピュアリス・ポリカードは、学者でもあり王都に近いとある貴族の領地で管理人を務める、ザック・ポリカードの娘として産まれた。
一般的な平民よりは裕福だが、貴族よりはカツカツしているそんな家で、優しい母と学者の父と、物心ついた時には、自分の下にポコポコ産まれてくる弟妹に囲まれて育った。
ピュアリスのスキルは七歳で判明したが(スキルがいつ判明するかは個人差がある)、『良縁を引き寄せる』なんて、良くわからないものだったのでがっかりした。
二つ下の弟みたいに『五桁までの計算は間違えない』だったら、雑貨屋とかでお小遣いが稼げたのにと、道端の石を蹴り母に怒られた。
ところで銀色の髪に紫の瞳華奢で儚げな容姿に、たおやかな雰囲気を纏う彼女は、ある種類の男性の庇護欲を唆るらしく、まだ幼女の頃から、自分の養女に(して囲いたい)迎えたいとの気持ち悪い申し込みが、両手の指では足りないほど、成金ジジイや幼女趣味の貴族からあった。
中にはポリカード家は子沢山だから金がないと下に見てくる者もいたが、父母は頑として首を縦に振らなかった。……ピュアリス本人としてはいい人が、申し込んでくれるなら、養女に行くのは吝かではなかった。毎食の食事争奪戦に疲れていたので。
女学校の卒業してすぐに父が亡くなった。
普通に夜寝た筈なのに、朝には息をしていなくてなんで?と驚き泣く間もなく、葬式をあげあれよあれよと言う間に、父の居ないポリカード家は管理人用の屋敷から、二間の貸家へと居を移した。
母、ピュアリス、その下に八人の弟妹の十人が、二間の家で暮らすのだから狭いしうるさい。
もう少し広い部屋に移ろうとする母を、ピュアリスは止めた。父の遺した金はそれなりにあったが、一番下の弟がまだ二歳で母は働きに出られないし、下の弟妹たちはまだ、学校に通っているからだ。
幾許かの金を得る為には、自分が働きに出るしかなかろうと、ピュアリスは家庭教師派遣所に登録した。
女学校を成績優秀で卒業したばかりの、困窮家庭の見目麗しい娘。
派遣所の所員は、ピュアリスに同情の目を向けながらも、彼女が辿るであろう末路を想像しほくそ笑んだ。
程なくしてピュアリスは、近辺で一番の金持ちである商会の次女の学校入学まで一年間限定家庭教師として働き始めた。
家が近かったから住み込みでなく、通いだったのは不満だったが、昼食と夕食は出たし給金もそれなりに良かったので納得して働き始めた。
勤め先は、金があるのを鼻にかけた性格が悪いテンプレ家庭ではなく、普通に良い家族だった。
彼等に仕える使用人も、ピュアリスに意地悪などしない良い人たちだったので、彼女は頂いている給金以上に次女を慈しみ必要な勉強を教えた。
ピュアリスが働き始めて半年ほど経った時、商会宅のメイドの結婚が決まった。
お相手はたまたま主人についてこの街に赴任した騎士で、田舎メイドのお相手としては上々だと騒がれた。
更に二カ月後、商会の長女が婚約をすることになった。お相手は派手さはないが堅実な領地運営をする男爵家の三男。貴族とのパイプが欲しかった商会長は大喜びで将来の婿を歓迎した。
更には学校入学前の次女にも、格上の商会の跡取りから結婚を前提として婚約を結びたいと話が。
一つの家で一年に三組の婚約が決まるのは、珍しいとこれまた騒がれたが、まあ降れば土砂降りとも言うし、まあめでたいことは重なるもんだと。
が。
二カ月後また商会の一家で婚約が決まった。
足が悪く一生オールドミスだろうと噂されていた商会長の末妹に、隣国で医院を開設をした幼馴染が婚約を申し込んだのだ。
めでたいと皆喜んだが、さすがに偶然にしてはおかし過ぎると、商会長の母は首を傾げた。
メイドの婚約はまあ、わかる。姉孫娘の婚約も。
けれど妹孫娘はまだ学校に通う前で、行儀作法や刺繍他国語ダンスなど未履修のものも多い。
基本的に一定レベルの家庭の令嬢は『使える』と判断されて始めて、婚姻市場に出荷される。
幼い頃に婚約が決まる貴族でもないのに、出荷前に他家と婚約を結べるほうがおかしいのだ。
更には自分の末娘の婚約。
足の悪い娘は婚姻市場に出荷さえ出来なかった。
幼馴染の男は十五年以上実家にさえ音沙汰なく、
居ない者として扱われていた。
それがなぜ医院開設した今になり娘との婚姻を望むのか?
なにかきっかけ……と考えたところで、行きついたのがピュアリスだった。
彼女が孫娘の家庭教師を始めてから、この家では女が良縁を掴んでいる。
彼女はピュアリスを呼び出し、こっそり聞いた。
『貴女のスキルはどんなものなの?』
ピュアリスは、
『良縁を引き寄せると言われました』
と、軽く応えた。
それからピュアリスは、適齢期の娘がいる金のある平民の間で引っ張りだことなった。
娘が良縁を得られるのだからさもありなんだ。
しかもピュアリスは、家庭教師としてとても優れていて、ピュアリスが教えた子女は瞬く間に婚姻市場を席巻した。
十年後。
金のある平民だけでなく、下級貴族の娘の家庭教師をも務めるようになったピュアリスに、とある上級貴族から、うちの娘の家庭教師を是非頼みたいと手紙が来た。
上級貴族かあ……とちょっと嫌な予感はしたものの、提示された年給が今までの倍だったので、彼女は『来年度からであればお引き受け致します』と丁寧な返事を、派遣所を通して貴族家に伝えた。
かくしてピュアリスは、自分の運命を捻じ曲げやがった糞野郎と出会った。
糞野郎ことミヒャエル・ハートマンは、ピュアリスが勤めることになった貴族家の居候だった。
一応貴族籍ではあるのだが、そこの家に住む女性─家長夫人から下働きの少女まで全員に嫌われているらしき素晴らしい特徴の居候である。
パッと見は艷やかな茶髪に通った鼻筋、鍛えられた身体。
物腰も柔らかそうで、嫌われる要素などなさそうだったが、口を開けば『ああこいつ嫌われるわ』とすぐ理解した。
なんせミヒャエルは、応接間に通されたばかりで、紹介されてもないピュアリスの手首を掴み『私の部屋に来い』などと宣ったのだ。
近くにいた家政婦が従僕を呼びつけ、ピュアリスをヤツから引き離し、目を白黒させるピュアリスに家政婦はこう言った。
『部屋の鍵は三重に掛けろ』と。
このことは、主人夫妻の耳にも入り、夫人が夫に『あの✕✕✕✕野郎を追い出せ!』と迫ったが、人が良いのだか、アホなのかわからない主人は『実害出てないし(まだ)』などと言って、ミヒャエルを庇った。
自分の夫が何の役にも立たないと憤慨した夫人は、ピュアリスの部屋を自分の隣の部屋に移した。
✕✕✕✕野郎が手を出さないようにと、最大限の配慮をしてくれたのである。
しかしピュアリスにとって不運で、ミヒャエルにとって幸運だったのは、屋敷の主人夫妻が揃って十日ほど、家を空けなければいけない用事が出来たことだった。
勿論、主人の留守に大事があってはならぬと留守を守る副執事も家政婦もメイドも従僕もピュアリスが、✕✕✕✕野郎の魔の手に掛からないよう気をつけていてくれた。
彼女に懐いていた跡取り娘も『先生、お母様が帰ってくるまで私のお部屋で寝ましょう』と、幼いながらに、ピュアリスを守ろうとしてくれていた。
けれど彼等の努力虚しく、ミヒャエルは厠へと起きたピュアリスを、使われていない客室へ引き摺りこんだ。
だがピュアリスだって、恐怖に身を震わせ泣くだけではなく、ミヒャエルの顔を引っぱたき腹も足も蹴り髪も引っこ抜いた。
しかしピュアリスは外見通りの華奢だった。
殴る力も蹴る力もさほど強くない、顔を殴られ押さえ込まれてしまえばなす術もない。
怒りと屈辱に塗れた数分間が過ぎようとする頃、ピュアリスが部屋にいないことに気付いた娘が騒ぎ、ほどなく客間のドアを従僕達が蹴破り─。
畜生にも劣る行為を行なったミヒャエルは、従僕達に取り押さえられてなお平然としていた。
美しい自分と身体を重ねられたピュアリスは、泣いて喜ぶべきだと持論を喚き散らし、その声を聞いた娘は、両親が帰宅するまで、この悪魔を縛り上げて地下倉庫に叩き込めと副執事に命令した。
ミヒャエルがこの貴族家に居候していたのは、自分の家の使用人に、手を付けたのが原因だ。
一人二人なら揉み消すことも出来たが、相手は片手の指より多く、泊まりに来た他家の使用人にも手を出し領地にいられなくなり、遠縁のこの家に預けられたのだ。
ここでは絶対問題を起こさないと、念書を書かされたのにも拘らず、ピュアリスを襲ったことに貴族夫人は激怒した。
更に言えばピュアリスは平民ではあるが、父親は名の知られた学者であり扱いは準貴族に等しい。
その上スキル『良縁を引き寄せる』は、とても有用で、今までピュアリスが勤めて来た家の娘達は、八割が良い婚姻を結べている。
残りの二割の家の娘たちは、ピュアリスを不当に扱ったせいで良縁を得られなかった。提示していた給金を渡さなかったり、与えられた部屋が屋根裏だったり、メイドの真似事をさせられた家では、彼女のスキルは発揮されないということも、この十年の間に知られたことだった。
ということは。
高い倍率を勝ち抜き、相場よりも高給を出し雇ったピュアリスのスキルは、自分の娘には使われることがない可能性が高い。
遅くに出来た可愛い娘には、幸せな結婚をしてほしいと、自分の資産から結構な金額を出した貴族夫人としては、とても許せることではなかった。
そもそも夫人は、ミヒャエルをこの家に居候させることに反対していたのだ。
怒りと憐れみ落胆とでぐちゃぐちゃな感情を隠し貴族夫人は、ピュアリスが療養している部屋のドアを開け、ベッドに横たわる彼女の姿を見て泣き崩れた。
そこにいたピュアリスが、あまりにも痛々しかったからだ。
彼女の細い腕には幾つもアザがあり、目元と口元は青黒く腫れ上がり、自分を呼ぶ声はがらがらに掠れて。
夫人の後ろから部屋を覗いた夫も、これには絶句しピュアリスに謝罪した。
そしてこの謝罪をした夫に、夫人はキレた。
被害者であるピュアリスも、止めようとするくらいキレた。
まず、その場で夫を物理的に締め上げ、ミヒャエルをこの家から追い出すことを決めさせた。
初めは『親族との兼ね合いがある』と、渋った夫だったが、両親の言い合いに駆けつけた娘からも、冷たい態度を取られ、夫人からは離縁すると迫られ、承知した。
次に夫人はミヒャエルの親に、彼の個人資産を慰謝料として全額差し出すことを約束させた。
このあたりで、ようやくベッドから起き上がれるようになったピュアリスの妊娠が発覚。
それを聞いたミヒャエルは『平民がこの美しい私と一夜を共に出来たんだから、慰謝料なんて払う必要ない』と言い放ち、自分の個人資産からビタ一文ピュアリスには払う気はないとゴネたと、見張りにつけた従僕が、憤慨しつつ伝えてきたので、夫人の怒りに油が注がれた。
止める夫を引き摺りながら、ミヒャエルを軟禁している別邸に行き、どういうつもりだと尋ねれば、
彼は自分が雇った弁護士や友人に囲まれてニヤニヤ笑い言った。
『なんだアンタも私と寝たかったのか?
残念だが、年を取った女は趣味じゃないんだ』
ミヒャエルの周りに侍る男達も、下品なからかいと下卑た笑いを夫人に浴びせる。
ぼんやりしている夫もさすがにこれには怒り、ミヒャエル一派を怒鳴りつけようとしたところで、夫人がキレた。
人生でこれ程怒ったひとを見たことないと、夫が証言するくらい静かにキレた。
即座にスキルを発動させ、夫の手からステッキを奪い取り、惚れ惚れするようなスイングで、ミヒャエルの急所を殴った。
悶絶するミヒャエルと、青褪める男性陣を睨めつけ夫人は、この場の誰よりも上位である自分を侮辱したとして、ミヒャエルの実家と取り巻きの家からも迷惑料を徴収した。
それはもう鮮やかな手口で。
息子のやった犯罪を十件近く、隠してきたミヒャエルの両親も、『あの』貴族夫人に楯突いた馬鹿をこれ以上庇うことは出来なかった。
親族会議の結果、遠縁である隣国の子爵が『見た目が良いなら引き取ってやってもいい』と名乗り出てくれたので、たっぷり持参金をつけて送り出した。これ以上問題を起こさないようにと断種をしてから。
一方当事者であるピュアリスは、貴族夫人の実家がもつ別宅で、管理人夫妻に世話され、妊娠期間を意外と快適に過ごしていた。
医療レベルの問題で堕胎は推奨出来なかったが、産んだあとは安心して良いと、夫人が約束してくれたおかげで、十年ぶりに働かなくて良い生活を満喫していた。
自分の身に起こったことは、世間的に見てかなりキツいものだとは思うが、ピュアリスはどこか冷めていた。
あの✕✕✕✕✕野郎については、殺しても殺し足りないくらい憎んでいるけど、妊娠という珍事自体は結構楽しんでいた。
自分は一生独身でガヴァネスとして、生きて行くと思っていたので、腹に子が出来たのが嬉しくもあったのだ。
それに腹に子が発生してからは、いつもは食べたくても量を食べられなかったのに、いまや食べたいものを食べたいだけ食べられるし、それに伴い(?)洗濯板……と嘆いていた胸が半割りキャベツくらいに膨らんでくれて、枝みたいで嫌だなと思っていた手足にも肉が着いた。
変化していく身体を楽しんで九ヶ月過ごしたのち、ピュアリスは息子を産んだ。
息子がふにゃあと弱々しく泣いた瞬間、ピュアリスの頭に『あ、これは私が絶対育てなきゃ』と天啓が閃いた。
自分は淡白な人間だと思っていたピュアリスが、自分でも驚くくらい母性愛が溢れて仕方なかった。
本当にもう全身舐めたいくらい息子は可愛くて可愛くて仕方なかった。産婆と手伝いに来た妹はドン引きだった。今考えると、完全に産後ハイだったんだなと思う。
里子先を探していてくれた夫人に、自分が育てたいと頭を下げながら、今の貯金が幾らあるか計算し、街中では厳しいが故郷の村でなら、赤子を抱えても、親子二人、四、五年は暮らせると算段がついたところで、夫人からミヒャエルからふんだくった慰謝料+αを記した小切手を見せられ、目玉が飛び出るかと思うくらい驚いた。……いや五センチくらいは飛び出てたような気がする。
これでも足りないくらいだと、悔しさを滲ませる貴族夫人にピュアリスはいたく感激し、この時初めて自分の意志で、この人の娘にすっごい良縁がありますようにとスキルを使った。
自分たちの近くにいては嫌なことを思い出すかもしれないからと、誰も知らない土地でピュアリスは息子と貴族夫人が身元をしっかり調査した使用人たちと、慰謝料で買った部屋数五つのこぢんまりした家で、再スタートを切ることになった。
幼い頃から弟妹の面倒を見ていたおかげか、息子の育児にかんしては特に悩むこともなかった。
ネッドが丈夫で、育てやすい子だったこともプラスに働いた。
茶髪以外はピュアリスに似たネッドは、本当にすくすくと健全に堅実に、自慢の息子へと成長してくれた。
ネッドから手が離れかけたところで、昔の生徒から、娘達の家庭教師を頼みたいと連絡があった。
少し逡巡してピュアリスは、その誘いを受けることにした。
久しぶりに、家庭教師としての自分がどこまでのレベルか確かめたかったし、自分のスキルはまだ使えるものかどうかも確かめたかったからだ。
「それが回り回って、こんなことになるなんてね」
ビルマス家から尊敬するポリカード先生へと、与えられた豪華な部屋で、息子と貴族夫人から同日届いた手紙に書かれた、事件の顛末とミヒャエルの末路を、ワインのツマミにしながら呟く。
あの✕✕✕野郎は、何を思ったかネッドに一方的な婚約を押し付けようとしたらしい。
自分の発生元とは言え、顔も声も聞いたことない養育費も一銭も寄越さない男を、なぜ血の繋がりしかない息子が、歓迎すると思えるのか理解に苦しむ。
「まあ馬鹿だったからかしら」
実際ミヒャエルは馬鹿だった。
年をとってからも若い頃の美しい自分のままだと、スキルを使ってまで思い込むような馬鹿だ。
自分が隣国子爵家に引き取って貰えたのは、『容姿が良い』おかげだったのに、それがなくなればお払い箱になるとわからないくらい馬鹿だ。
自分がこの国で、蛇蝎よりも嫌われている人間だと忘れるくらい馬鹿だ。
自分が迷惑をかけた貴族家が、汚名を返上するまで十年以上かかったのだと、知ろうともしないくらい馬鹿だ。
自分を庇っていた両親が、あのあと平民に落とされたことが自分のせいであると、気づかないくらい馬鹿だ。
極めつけは、貴族夫人が位の低い側室の子とは言え王家の出身だと、忘れるほどの馬鹿でもあった。
王家に連なる方に二度も楯突いたのだから、ミヒャエルは、もう二度と陽の下を歩くことはないだろう。
今までの人生で何一つ人の為になることをしてこなかったのだから、これから数年くらいは、医療研究所で、色々と人の為になることに協力したらいいと思う。
二十年ぶりに追加で振り込まれた慰謝料が、印刷された通帳を開き、ピュアリスはあの日のことを思い出しながら、ワインをグラスに注いで呟いた。
「ほんとにあの男、下手なうえ早かったのよね」
文中の✕✕〜はお好きな言葉を当てはめるとたのしめます( ̄ー ̄)ニヤリ




