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かなこ

作者: kawano_rin
掲載日:2026/03/20

かなこが死んだのが正確にはいつのことだったのか覚えて居ない。多分、二月の終わり頃東京では暖かい風がたまに吹いて来るような春の陽気の中だったから、学年の終わりのさなかで私が宗一郎と会っていたという事は思い出せる。

幼い頃から隣同士の家に住んでいた私と宗一郎が二人でひそかに続けて来た事はたくさんあったが、それが日の目を見る時には昔から少しの寂しさが伴うのだった。けどその時は他人から何かを言われるまでは私達は、とくに宗一郎の方は何も感じて居なかったらしい。

私はというと、確かにそれが自分にとって意味があった時、かなこに関するさまざまな思いや疑問に襲われて宗一郎の前でずっと泣いていたというのに、数日経てばそれが一体どういう意味を持つのかすら分からなくなっていた。

「なんで、そんな事するんだよお…」

部員の中西くんがそう言って、その時私もそれ以来初めてかなこの事を思い出したのだった。それは、ざわざわするみたいな、剥き出しの花弁をもいでるみたいな気持ちがした。それからそれが、自分達の遊びに対してというより、寧ろ宗一郎の身勝手さを責めてるのかもな、と思い当たったとき、それからそれが、ただこの部室に入って来た一昨年からの話とかではなく、私がわざわざ宗一郎という人間を認めているという事に対する怒りみたいなものかも知れないと思っていた。けれどだいたいの部員の方は、また始まったかという程度の認識で、私が密かに作り上げてた物語が部員全てに行き渡っていたとも到底思えなかった。

「ありがとう」

私は中西くんに向かって言い、かなこは、誰かからそう言って貰えて嬉しがってると伝えておいた。

宗一郎の方を見てみると、部室の椅子に腰掛けて、ゆうゆうと自分の作業をしているみたいだった。かなこが、居なくなって一番喜んでいるのは宗一郎だと思った。



先日、創作物の登場人物と、自分が持っている色々な仮面がもしかするとどこかで結び付いていて、それが外に出た時に他人の中にも現れる事がある、宗一郎と二人でいる時そんな話を始めた事があった。

「だから小説というのは、大人になってから読まないと面白くない。小さい頃はそんなもの持たなくても良いから。だから昔読んだ話って忘れてたりするんだよな」


「ふーん。」


「でも僕は、そういう願望を誰かが持ってると感じてるんだよね。世界っていうのは教えてもらったような単純構造でなく、複雑なものが幾つも重なり合ったあとの中に僕らが居る、って考えてるんだ。色んなもの、人がいて、その中で一人が理解できるものだけ掬い取って飲み込んでいる。その中では読者が、たまに自分が知ってる人と会ったりする。そう言う事もあるって」


「なに?それ」


「だから…この間読んだ本の話。初めて読んだけど、僕にとっては結構鮮明な体験だったんだ。既視感っていうのかな、それがどこから来てるかって考えてたんだ」


「ふうん。・・・じゃあ、その考えだと、人間ていうのは皆多重人格を持ってるっていう解釈でいいのかな。それとも、過去と未来と現在が、色んな形で自分に何かを投げかけている、そういうイメージ?」


「うん」

宗一郎はなんとなく納得がいっていないような返事をした。


「誰かと同じ経験をしたい、そういう体験をしてもっと周りの事をよくわかるようになりたい、そう思って普通は映画や小説を手に取るよね。同一化の願望を秘めて、経験を裁断している、そう出来る、それが俺らなのかなって」


「じゃあここにいる人達は、皆が誰かとの同一化を願ってるという事なのかな」


「さあ。そういう考えもあるかも。僕らは若くて、それにわがままだから。単純にそうしたいって奴もいるだろうし」


「ふうん」


「だから…良いこともあれば悪い事もある。」


宗一郎はそう言って黙った。私は多分こう話した。私にとって物語はその都度の虚構でしかない。誰かが作り出したフィクション。現実に向かって影響を及ぼすことは決してない。でも、それはいつも誰かと繋がりたがっている。何故なら、作者がそう深いところで願って作り出したものだから。それを宗一郎みたいな人が時々手に取って、影響を与えてたりもする。

私はそれから、宗一郎にキスをした。私の部屋の中で二人で話しをするのはいつも学校が終わってからごく当たり前の事で、ごく最近になってからこういう事をするようになった。正確には、私が宗一郎に対してそうしたいと思うようになったせいだった。


宗一郎はいつもみたいに目を瞑って、それから目を開けると私の頬に触れた。

「ノンフィクションは?」

宗一郎はそう言う。

「それは、剥き出しで置いてある経験」


「ふーん」


「…問題があると思うよ。そういう願いを込めて居るって事は、いつかそれが手に余るものになるって考えたりしない?」


「そうかな。私は、そんな風に考えた事がないな。」

そう言って、宗一郎が普段暮らして居るこの呑気な家庭の事を思い出す。犬が一匹に、ごく普通のサラリーマンのお父さんと、主婦として暮らしているお母さん。それから2つ離れた妹。宗一郎が、未だ読めないジャンルのものを私は沢山知って居る。


「宗一郎はそうやって、願いを込めたりした事はないの。自分の書くものが、いつか誰かに本当の意味で伝わってほしいって」


「勿論あるよ。いつもそう考えて書いてるだけだから。」

嘘つけ、と思い、私は次にどうするのかを考えている。私は宗一郎の太ももに手を置く。宗一郎は、気付いてないふりをしてずっと前を向いたままだ。


「ねえ、宗一郎ってさあ、長男でしょ。もしかして、ジャンプサンデーの括りを未だに気にしてたりする?」


「は?」


「だから、勉強ではトップを取りなさい、部活動では、委員長をやりなさい、その延長上に、こうやって生きて行く時にも、問題を立派に片付けなさい、周りから何も文句を言われてはいけません、そう進めるのが一番だって思い込んでるとこある?」


「あるわけないじゃん。俺、そんな優秀じゃないし。」

私は、苛々して来ていた。いつも、部室でも教室でも、良い顔を見せる為に何を差し置いても行動をするくせに、自分のことを卑下する事も手を抜かないなんて。

宗一郎は自分の事ばかり考え過ぎている。


「ふーん。じゃあ、してよ。…今日こそ」


「してって、何を」


「だから、分かってるでしょ。」

私は宗一郎の身体に手を回して抱き付く。それから、二人で座って居るベッドの布団へと、宗一郎の体を押し倒す。

「やめろって」

私は宗一郎の言うことを聞かずに耳に唇を付ける。くすぐったそうに顔を逸らすが、その気になって居るのかどうかは分からない。

私はというと、部屋に入って宗一郎の匂いを嗅いだ時から、ずっとこうする事しか考えて居なかった。学校終わりの汗くさい身体で抱き合って、宗一郎の硬いペニスで無理やり犯される。そう想像しては宗一郎の隣でペットボトルの水を繰り返し飲み下していた。

私は宗一郎の手を取って、自分の制服のシャツの下へと誘導していく。


「……ねえ。」


「何」


「した事ないの?」


「そんな事聞くなよ」

宗一郎の顔を見ると、いつもの通りに私の方を見て居るだけだった。

私はため息を付いて身体を起こして、ベッドの上に無様に横たわっている宗一郎の体を見る。近づいたせいで汗の臭いと、しょっぱい皮膚の感触が自分にまとわりついて居るみたいで、何も変化が起きてない宗一郎と比べて私はもう濡れて来てるみたいだった。


「私、帰るね。べつに、気にしてないから。」


私は立ち上がってそう言う。ドアの近くにまとめて置いてある荷物を手に取って、宗一郎の方を見る。


「前も言ったけど、別にしたくないわけじゃないよ。ただお前が全く状況とか見ないで来るから疑問でいっぱいになってるだけなんだよね」

そう言っている宗一郎の背中はなんだか寂しげに見えた。



「かなこ」というのは小説の中にいるキャラクターで、私が三年になって書き上げ賞を取った小説に出て来る人物だった。かなこは幼少時から性的虐待を受けて育ったせいで、周りの人のことを敵視するのを辞めない。普段は押し留めているものが現実に現れる時に、たびたびショック反応で記憶を失くす。そのせいでかなこはバラバラの記憶を持った大人になり、何故か、より男と深い関わりを求める為に夜の店で働き始める。

宗一郎は私の書いたものを読んだ後は眉を顰めて、それから少しだけ無口になった。部室では顧問の先生やら他の生徒達から私が褒められている間、何か居場所を無くした子供みたいな顔でこっちを見ていた気がした。


宗一郎と、小説や、物語について話したり、自分達だけが知って居る事について紙に書き留めたものを持ち寄っては交換する、そんな遊びを幼少のときからずっとしていて、両親も周りの人間も、それほどその事を気に留めなかった。私も、中学、高校に入ってからもまだ宗一郎とはそう言う事をしており、それを恥ずかしいとか依存していると考えるようなこともなかったのだ。そう言うことが出来る相手を見つけられるのは、例えば環境を変えられ、新年度の生活に慣れた後でもいつも起こるようなことではなく、隣同士の家でたまたま出会した同年代の子とそんなことが出来るなんて幸運だとしか思って居なかった。ただ宗一郎は、それが完璧に自分の長所だと思って居るところもあって、たしかに宗一郎の描くもの、考えていることは他の人が見たいというようなものが多く、けれど幾ら褒められてもそれが自分に取って特別な意味を持つとは思えなかった私と比べても、宗一郎とは何が違って居たのかはよく分からなかった。


「かなこが悪い」

宗一郎はそう呟いた。

夜中、私が宗一郎に電話をしてしまう事が増えて来た。

「いや、今の忘れて」

そう言った後でも、会話はなんとなくギクシャクしていた。



夜中にかけた電話にすぐに出た宗一郎は、最初は寝ぼけた声を出して居た。

「何か、上手くいかない事でもあるの」


「別に」


「でも何か変だよ。最近話もあまりできないし」


「……」


「でも、さっき言ったけどね…叔父さんがどうしても、うちに泊まりにくるって何回も言って聞かないの。その後でうちの両親も、もう血管立てちゃって。警察を呼んだんだよ。夜中、騒がしくなかった?」


「うん」


「宗一郎はそう言うことってない。家の中の誰かが、よく分からない事をしたがるって」


「…」


「ごめんね。夜中につまんない話、して」


「大丈夫だよ」


「……」


暫く、何も聞こえない。それから、冷たい音がドクドクと音を立てて居るみたいに、宗一郎がなにを考えているのかを聞き取ろうとしてみる。


「宗一郎はどうしたいの」


「ん?なにが」


「私たちの関係。何が邪魔してるって思う?」

そう言った後で宗一郎は呟いた。




私は電話をもう片方の耳に置き換え、それから何をどう言えばいいのかを考えている。


「ねえ、こんな話、誰にもしてないよ。家の事も、それからセックスの事も」


「…」


「そんなに気にしてるの?」


「気にしてる訳じゃない。ただ、嫌なんだよ。俺の目の前にそう言う話持って来られて、俺一体どうすればいいの。」


「怖いの?」


「誰が、そんな事言った?」


「だから、ねえ。私に取ってフィクションは、ただの虚構なんだよ。それは仮面でもなんでもなくて、対話する人が前に居るからこそたまに開く扉で、いつもは眠ってるだけ。嫌な事なんて何もしないよ」


「ふーん。まあいいよ。別に何かを気にしてるってわけじゃないから。でも、俺にとってはかなこっていう人物が何かを邪魔してるっていうのは確かに本当なのかもしれない」


「……」


「フィクションだって誰かに影響を与えてると思うよ。それに、色んな経験をしてる人がいても誰もその事を知る由もない。その全てを分かち合う事なんてしちゃいけない」


「…どうして?」


「そんなの、わがままだからさ。全て分かってもらいたいなんて、親が子に向かってだってする事が難しいのに、色んな人にそれを求めるなんて…狂ってるよ」


「かなこがそういうこと、求めてると思ってるんだ」


「うん」


「でも宗一郎は、それを、知りたくない、そういうこと?」


「そうだね」


「……宗一郎はさ、かなこが単なるビッチだって考えてるの?」


「…は。」


「…」


「そんな風に言ってない」


「じゃあ…」


「ごめん。もう俺、寝る。」


「…」


電話は切れ、それから私はたった一人で携帯の電源を切る。布団を大きく被って、今起きた事をしばし考え直しているうちに、思っているよりもずっと胸の中が苦しくなって居た。

しばし、自分の書いた話を思い出し、それが硬い背表紙に包まれてフィクションとしてある時は、まさかと思っている周りもそれ程気にしていなかっただろうし、何より私自身が、書き上げたあとは綺麗さっぱり忘れて居たのだった。それでも、まさか宗一郎からそんな事を言われるとも思って居なかった私は、しばしそうしながら泣いて居た。次第に色んな事を思い出していた。周りに言うことのなかった出来事を、いつか自分は誰かに話す事が出来る、分かち合う事が出来るとそう思っていたに違いなかった以前の自分を思って、暫くはしゃくり上げながら泣いていたのだった。


かなこのことを殺そうと思ったのはその時が最初だった。それについて話すまでは、暫く時間がかかった。一ヶ月経った頃、宗一郎がまた自分の書いたものを私に見せてくれて居た。

宗一郎はジャンルを問わずに色々なものを書く。SFや恋愛、それからギャグなんかも書いては、顧問から「一体お前は、誰なんだ。宇宙からでも来たのか」と言われている。でもそんな宗一郎の面を知って居るのも部活動ではごく僅かで、一年なんかは宗一郎がごく保守的なものしか書かないと思い込んでいる部員が多い。

その日は宗一郎が書いたラブストーリーを読んだあとで、なんと言おうか考えている時だった。

「宗一郎がさ、今一番したいことってなに」

宗一郎は私の方をチラと見る。

私が宗一郎に、妙なことをしなくなってから一ヶ月が経過していた。


「新しい小説を書くことかな」


「ふーん。今度は、どういう場所を舞台にして書くの?」


「え?別に、場所から決めてるわけじゃないよ」

ふーん、私はそう言い、自分のベッドの上に腰掛け隣にいる宗一郎を見る。


「…言っても良い?あのさ。私、もし邪魔だって思うなら、あのこと、なかった事にしてもいいの」


「あのことって?」

眉を吊り上げて宗一郎は言う。


「だから、……

かなこの事。それから、電話、夜中にかけるのも辞める」


「うーん。一体どうしたの?」


「ん。だから、言ったでしょ。私に取って、虚構は虚構なの。現実に向かっては何の影響ももたらさない。

でも少し、私がよくない甘え方したから、宗一郎ビビっちゃったんでしょ」


「……」


「だから、もし気になるっていうんなら、宗一郎のなかで、かなこはもう居ないんだって、そう思ってても良いよ。

それか、かなこが死んだって事にしても、別に、いい。」


「何、それ?どういうこと?」


「ん…だから、私に取っては、今ここにいる事の方が大事なの。かなこは、私が勝手に作り出したフィクションだから、その後の話で…居なくなったって言う事にしても、いい。」


宗一郎は私の方をじいっと見ている。私は徐々に、体が熱くなるのを感じていた。

宗一郎はきっと、気付いてるに違いない。私が今、一番何をしたいかなんて、この間からずっと明白だった。


「じゃあ、どうなるの?その後の話」


「まだ、そんなに考えては居ないんだけど、でも大体のプロットは自然と出来てるよ。」


「そうなの?じゃあ、教えてよ」


「うん。だから…」



宗一郎は少し私の方へと近づいたかと思うと腕を伸ばして私を抱き寄せて、キスをする。それから、私の頬に手を当てる。

私と宗一郎は見つめ合っている。

「まだちゃんと考えてないんだけど」


「ふーん。別に、急がなくてもいいよ。でも何か決まったら聞いてみたいな。」

そう言って宗一郎は身体を離す。私はまだどこか物足りなかったが、でもこれまでよりもずっと満たされたような気持ちがしている。



そうは言ったものの、部室に一人で寂しそうにしてた中西くんからため息混じりに言われた後で、そんな事自体忘れていたなと思っていた。

「勝手なこと、するなあ。」

単純にそれで、わたしもその思いに感じ入ることが出来た。寧ろそう言われなければ、かなこが確かに居たという事がよく分からなくなっていく。

確かにフィクションというのは、ある意味では人と同じようなものなのかもしれない。私が傍に避けたかった思いを大事に手に持って歩きたい人もいて、それに対して全く別の考えをもっていたりして…


それで私は、宗一郎がそもそも、物語に対してどう感じているのか、私自身もどう思っているのかを考え直してみた。

―わたしに取ってフィクションは、現実以上の意味はない

紙の上のペンをふらふらさせながら、本当にそう思っているせいで、部室で互いの感想なんかを話す事自体どうしても白々しいと思ってた事さえ思い出して居た。

宗一郎は普段そういう私を見て、おかしそうに笑った。それでも、宗一郎は私が描くものが好きなんだと言ってくれていた。だから、一体どうしてかなこやその小説が受け入れられなかったのか、今一つ分かりかねていたのだった。

宗一郎は、フィクションをフィクション視して居ないんだ。

寧ろ、その中に本当があると感じているのかも。


そう、感じてから宗一郎のことを思い出してみた。一昨日の放課後に、また宗一郎の部屋に居て、二人でベッドの上で服を脱ぎあった。私が宗一郎の体に触れると、真面目な顔でわたしの背中を撫でていた。私は宗一郎の肌に鼻を付け、それから皮膚を舐める。宗一郎はきっと、処女らしくないと思ってビビっているのかもしれない。でもそうやって宗一郎の事を最初から、めちゃくちゃにしてやりたいとずっと思って居た私は、イヤらしく、純粋なセックスを求めてるだろう宗一郎が嫌がるような方法を辞めない。宗一郎が変な声を上げた時、私は宗一郎の事を抱きしめたくなる。

それからーー

そう思い出しているうち、宗一郎の事がいとしく思えていた。

私が、真夜中にしか書きつけないような事に宗一郎が日々怯えていたのかと思うと、その事が可愛くていじらしくてしょうがないと思えていたのだった。


私はかなこが、一体どんな形で世間とお別れするのか、具体的な方法でようやく考え始めた。薄暗い夜の部屋で机の上のスタンドに照らされている。さっきまで飲んでいたお茶はもう空になり、机の隅に置きっぱなしのコップがある。




かなこはいつも通りに花屋のアルバイトが終わり、そこから帰る途中だったが、そこで通り魔と出くわす。見知らぬ誰かが持ち歩いていた、他の誰かに当てられる恨みつらみを、かなこはたまたまそこに居合わせたせいで全て受け止めてしまう。

私はそこまで書き入れて行く。


ナイフが体から離れ、かなこがそれを見たとき、周りから悲鳴が上がる。

けどかなこは、何の感情も抱かない。もうこれから、誰かと会ったり何かを経験する事はもうないんだと思う。それはドラマや小説の中では悲しいことと描かれているのに、でもかなこにとっては何ももたらさない。それほど、悲しくなかった。家族のことを思えば、幸福だと何故か思った。知らぬ間に、これまで身の回りで起こった事―両親の行き違いや親戚の諍い、それを幼い頃から自分に向かってだけ当ててくる兄弟、それから自分勝手な友人、それらを受け止める事自体が、自分がより上手く生きる方法を奪い取っていたのだ。(もう一度やり直したい)かなこはそう思う。

これでもう、居なくなれる。もう一度、別の人生に生まれ変わってやり直せる…

そう思い、これまで身の回りに居た家族や、周りで起こった色々なことを思い出すが、その最中に事切れてしまう。

私は、原稿用紙にそこまで書き付けながら、それからかなこの周りに人だかりが出来ている様子を思い浮かべ、パトカーや救急車が詰めかける様子を書き入れて行く。

ドキドキしながらそれを書き終えた後で、私は原稿用紙を机の上で揃えて息を吐いた。

もう空になったコップに口を付けて、けれどまだ、いつもと同じ事を考えている。


明日、これを宗一郎に見せよう。

宗一郎はいったいなんて言うのかは分からなかったが、宗一郎の部屋の中に二人きりでいるときに見せてみよう。


そう考えてから、ベッドの上で横になった。


一体なんて、ずるいのだろう。そう考えると可笑しかった。

わたしも、宗一郎も自分の事しか考えてない。ただ昨日みたいな事が、自分達の身から離れることが怖くって何も選べなくなっただけなのだった。


「かなこ」が確かに自分の中にいた日々と、そうでなくなるこれからの日々が、どう違うのかは考えてもよくわからなかった。ただ思い出すのは、電話を切った後ではっきり、その意思すら潰えて無くなってしまったということだ。いったい誰も、あれを読んだあとの部員や顧問すら、かなこに向かっては何も手を差し出さなかったのが最後だったような気がしていた。

かなこは死んだ、

…(路上でたったひとりで)




わたしはそれを宗一郎に見せる。宗一郎は「ふーん。そうなるんだ」そう言って、それから微笑んでいる。


全くもって、不思議な感じがした。けれど、わたしが創作を始めた当初から、それは何度も起きたことでもあった。

「どう思う?」


「うん、いいと思うよ」


「…うん。」


「でもこの、死に方はどうやって決めたの?」


「うん。登場人物のかなこは、すごく寂しい人間で、世を儚んでいたと一見思いがちでしょ。でも本当は、すごく強かったの。精神的にはね。だって、そんなに辛い状況をたった一人で乗り切ったんだから。」


「うん」


「だけど、それからも、いったいどうしてかうまくいかない。その、うまくいかないのが何故なのか、一人では一生分からない。それが、一番不思議なことだった。」


「…ふうん」


「そこにたまたま、事故でもなくって、多分もっと不幸な他人が来るのね。それをかなこは、避け切れなかったんだと思う。だから、通り魔ってことにした」


「ふーん。うまいね。面白いって思っちゃった」

宗一郎はそう言って笑う。その笑顔を見て、やっぱり、宗一郎はきっと、何か隠したままに違いない。そう思い、持ってきた原稿用紙を目の前で畳み、それを傍らに置いた。


「…じゃあ、代わりに教えてくれる?宗一郎がいま、本当にやりたい事」


「…」


暫く沈黙が流れる。それから、ようやく宗一郎は私の肩に手を伸ばし、私の体を抱き寄せる。


それから、三日前にして居た事の続きのようにベッドの上へと体を倒す。

暫くそこで二人でキスをしている。


「こういうこと?」


「わかんない」


「わかんない、って…」

そう言った後で、二人で声を出して笑う。暫く顔を見合わせたまま、宗一郎は自分の体を支えたまんまでそこで笑っている。

「よくわかんないんだけど、前が見えないままなのは嫌だなって」


「…」


「でも、よかった」


「…何が?」


「ん?」

宗一郎は、また私の頬に手を伸ばす。「前に言ってたでしょ。君が強情なことを。

俺、そういうの考え出すとき、どうしようもなく孤独な気持ちになるんだ。絶対に変えられない、って怖い事じゃない?」


「そうかな。わたし、そんな事いったっけ」


「言ってたよ。起きたことは変えられない、それでそれを…何より大事に抱え込んでるみたいな姿」


「私そんな事、言ってないのに。ただ、かなこは…」

そう言って、口を噤む。


「じゃあ、…それじゃあ、宗一郎が本当に怖いことって、いったいなんだったの」


私は宗一郎のを見上げながら、そう言う。

宗一郎は私の方へ倒れ込む。それから、耳の近くにくっつけた口元から、小さな声で「妹…と、母親」

そう言って私の身体を抱き寄せる。

私は、宗一郎の呼吸を感じながら、宗一郎の体に手を伸ばす。

「どうして」

私が呟くと、宗一郎は「それは言えない」と言い、寂しそうな顔で笑う。


宗一郎は私の服に手を伸ばし私の肌にようやく触れる。もつれるみたいに二人で何度もキスしているうち、体の中が熱くなってくるのが分かった。




そんなふうにして、自分達の中で一人に対してする小さな葬式が終わったのだった。


勿論、宗一郎の事を全て許し、私のことを宗一郎が全てわかり切っているとは言えなかった。それからも何度か宗一郎とはセックスしたが、そこから離れた後一人きりで私は何度か泣くことがあった。あれから、宗一郎に抱き締められながらも、私の中にある「かなこ」の思いが悲鳴をあげているような時もあった。…けど時が過ぎてみれば、あらゆる創作物と誰かが対面した時に起こる私にとっての不可解とそれは同じようなものであって、私が今見ている景色や、宗一郎の怖い思い出とは比べようもなく、それはただ体の片隅にくっついて居たちっぽけな残滓、だったのかもしれない…





放課後、私たちは学校へ向かって歩いている。忘れ物を取りに行くから遅れると言ったあと、連絡もせずに二人で並びぶらぶらと歩いている。


「ねえ。そういえば、あの時、いったいどうして笑ったの。

かなこが、もう居ないって言ったとき」


私は、宗一郎の隣に並んだままそう尋ねる。


「…ん。そんな事、あったかな」


「うん。」


「わかんない。」


「覚えてないの?」


「いや、そういうわけじゃなくって…」


私は、部室に行った後でいったいどんな言い訳をしようかと考えている。

また、こんなに時間に遅れてしまった事を周りはもう、なんとも思っていないだろうか。

「だけど私も色々、分からなくなるの。あの時なんであんな気持ちになったのかとか、なんであんな事言ったのかとか」


「うん」


宗一郎は私の手をぎゅっと握る。


「別になんだっていいの。伝わって欲しいのは、話した事とか、言ってる事が全てってわけでもないし。」



…きっと宗一郎も、思い出したくないに違いない。私だって、思い出したくないことだらけで生きているんだし。


「…僕は、そんなに話すのが得意なわけじゃないし」

宗一郎はそう言って微笑む。私が宗一郎の方を見る。

「うん」



「…でも、そうでしょ?色んな事を解決出来るのが、私たちじゃないもの。」

「まあ、そうだね。

色んな事があっても、それでいいんだと思うよ。

でも僕たちは、何が起きてもどうしようもなく他人っていうこと。その事は、たまに思い出して欲しいな」


「……」

ああ、また。

何となくつまらなくなって、その辺の小石を私は思い切り蹴る。


「いやなんでしょ?傷付けられるのが」


「……なに?」


「僕だってそうなんだよ。」


「…うん」


「…」


「ごめんね」

うん、と宗一郎は言い、少しだけ微笑む。

「あの時…僕多分、嫉妬していたんじゃないかな。きっと」

宗一郎は隣でそう呟く。


嫉妬?


私が、不可解な顔を向けると、宗一郎は恥ずかしそうな顔をして私の方を見つめ返していた。

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