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透明な弾丸―銃声が響くのに、銃を持つ者はいない。誰も撃っていないのに、誰かが倒れる。  作者: 妙原奇天


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第三話 疑い値と信頼値

 翌朝。

 凌は、天井の白さをぼんやり見つめながら目を覚ました。


 四人部屋の中は、まだかすかに寝息が残っている。向かいのベッドでは九条朔が仰向けに寝ており、上段には南条カナ、その向こうに別のクラスメイトが丸くなっている。金属製の二段ベッドが壁際にぎっしり並び、室内のどこを見ても、逃げ場はなかった。


 ここが、山奥の研究施設だってことを、目を開けた瞬間に思い出す。


 昨日、目の前で大人がひとり死んだ。

 銃もないのに、銃声だけが鳴って。

 “疑われた”という理由で。


 夢じゃない。

 ここでは、疑うことも、信じることも、全部「数値」になる。


 凌は、ゆっくりと身体を起こした。冷たい床に足を下ろす。スリッパの感触が頼りなくて、どこか現実味が薄い。


 部屋のドアの上には、小さなカメラが埋め込まれている。寝顔も、寝相も、全部監視されているのだろう。

 そんなことを考えるだけで、胸の奥がざらりとする。


「……おはよう、朝倉」


 背中越しに声をかけられて振り返ると、朔が半分だけ上体を起こしていた。

 寝癖だらけの髪をぐしゃぐしゃと掻きながら、いつもと変わらない調子で言う。


「生きてるな」

「お前もな」

「まあな。今のところは」


 軽口に見えるが、その奥には固い緊張があった。

 朔の眼は、いつもより少しだけ早く回転している気がする。


「共同スペース、もうスクリーンついてるかね」

「どうせ、一日中ついてるだろ」

「だよな。……行こうぜ。朝イチで確認したい」


 朔はベッドから飛び降りると、素早く服に着替えはじめる。凌も、ため息をつきながら制服代わりのジャージに袖を通した。


 *


 共同スペースには、すでに数人が集まっていた。


 白い壁、安っぽいソファ、長机。窓はすりガラスで、外の高い壁がぼんやり映っているだけだ。

 部屋の正面には、横長のスクリーンが埋め込まれていた。


 そこに映し出されているのは、十三人分の名前と数字、波形。

 「疑念値」と「信頼値」と書かれた欄が、心電図みたいにゆるやかに揺れている。


 数値は絶えず変動している。

 誰かが誰かを思い浮かべるたびに、その人の欄の数字が、ピクリと跳ねる。


「……マジで、やってるんだな。心の丸裸、ってやつ」


 朔が低く口笛を吹いた。

 水城澪は、スクリーンの一番端に表示された自分の名前をじっと見ている。


「疑念値、私そんな高くない……」

「代わりに信頼値が一番低いじゃん」

 カナが、半分冗談めかして言う。


 澪は、肩をすくめた。


「……前から、人はあまり信じないようにしてたから。数字になって出されると、けっこうきついけどね」

「信じないほうが、今は安全なんじゃない?」

「どうだろうね」


 澪は、スクリーンから視線を外し、ぽつりとつぶやいた。


「本当に危ないのは、“どちらかだけが極端に高くなる時”だって、HEARTが言ってた」


 そう。

 疑い過ぎても駄目。

 信じ過ぎても駄目。


 針が一番端まで振れた時、透明な弾丸が心臓を撃ち抜く。


 凌は自分の名前を探し、表示された数字を確認した。

 疑念値、低め。

 信頼値も、そこそこ低い。


 スクリーンの端に、小さく「自己疑念」という欄がある。他の生徒には表示されていない項目だ。


 朝倉凌 自己疑念値:高め


 それを見た瞬間、息が詰まった。


 HEARTが昨夜言っていたことを思い出す。


 あなたは、自分を責める傾向が強い。

 透明弾との関係は、解析中。


 解析中、という言葉ほど不吉なものはない。

 まだ誰も知らないルールが、ここにはあるという意味だから。



 朝食が配られると、全員が食堂に移動した。

 金属トレーにパン、スープ、スクランブルエッグ、サラダ。メニューだけ見れば栄養バランスはいいが、味気ない。


 食堂の壁にも、スクリーンがひとつ取り付けられていた。

 そこにも、あの数字が、淡々と並んでいる。


「食事中くらい、消してくれないのかな……」

 カナがフォークでサラダをつつきながら言う。


「逆だよ。食事中だからこそ、出してるんだ」


 朔が、パンをかじりながら応じた。


「“誰と一緒に座るか”とか、“誰の皿のほうを見るか”とかで、信頼と疑いが動く。データとしては、美味しい時間帯なんだろ」


「そんなの、見せられてるこっちの気持ちは?」

「知ったことか、って顔してるよな、あいつは」


 九条は、天井のスピーカーを顎でしゃくる。


「なあ、ちょっと試してみてもいい?」

「やめろって言う前に、もう何か考えてる顔だな」


 凌が眉をひそめると、朔は紙ナプキンを一枚取り出し、ボールペンでざっと図を描き始めた。

 丸で名前を書き、矢印で結んでいく。矢印の色の濃さや太さで、「どれだけ疑っているか」「どれだけ信じているか」を表現する。


「HEARTの画面には、“総量”しか出てない。でも、変動のタイミングと、誰が誰のほうを見てるかを照らし合わせれば、何となく推測はできる」


 朔は、自分の名前から南条カナに矢印を引いた。


「たとえば、今ここで俺がカナを疑ってみる」


「えっ、なにそれ?」


 カナが顔を上げる間もなく、朔は言葉を続けた。


「カナ、お前さ。昨夜、食料の棚からこっそり余分に持っていったろ?」


「はあ!? そんなことしてないってば!」


 カナが即座に否定する。その瞬間、食堂のスクリーンで、九条朔の疑念値がカクンと跳ね上がった。

 ほぼ同時に、南条カナの疑念値も少しだけ揺れる。


「うわ、本当に増えた……」

 カナが青ざめる。


 朔は満足そうに笑った。


「ほらな。今ので、俺→カナの疑念が増えて、カナ→俺の疑念も反射的に上がった。疑った側も、疑われた側も、一緒に跳ねるってわけだ」


「やめてよ、実験とか。遊びでやることじゃない」


 澪が、きつめの声を出した。


「遊びじゃないさ」


 朔は、わざと軽口のトーンを抜き、低く言う。


「これは生き残るための“情報”だ。ルールを知らないで死ぬより、知ったうえで生き延びるほうがいい」


 そう言われると、誰も反論できなくなる。

 でも、胸の奥には、別の引っかかりが残る。


 凌は、スクリーンの数字が跳ねるのを見ながら、黙ってスープを飲んだ。

 味はしない。ただ温度だけが喉を通り過ぎていく。


 俺は、誰も疑えてない。

 誰も信じきれてもいない。


 その「中途半端さ」が、ここでは致命的なのか、それとも唯一の防御になるのか。

 答えは、どこにも書いていない。



 午前中は、簡単な体力測定と健康チェックが行われた。

 廊下の途中には、透明な壁越しに別の区画が見えたが、人影はなかった。


「他にも、どこかにグループがいるのかな……」

 検査の列で、カナがささやく。


「さあな。でも、いたとしても、会わせる気はないだろ」


 朔が言う。

 確かに、この施設の造りは、「混ざらないように」計算されているようだった。


 血圧、採血、視力検査。

 いちいち細かなデータがモニターに表示され、白衣のスタッフが黙々と記録していく。


 だが、誰も「いつ帰れるのか」は教えてくれない。


 昼過ぎに検査が終わり、自由時間だと告げられた。自由時間とはいっても、行ける場所は限られている。

 寝室か、食堂か、共同スペースか。


 凌は、自然と共同スペースに足が向いた。


 壁のスクリーンが、相変わらず薄青い光を放っている。

 名前の並び、その横で波打つグラフ。


 自分の欄を見つめると、数字は朝とほとんど変わっていない。

 他のメンバーの疑念値や信頼値は、少しずつ高くなっているように見えた。


「……じわじわ、温度が上がってるみたいだな」


 凌が独り言のように言うと、天井のスピーカーが反応した。


「朝倉凌さん。あなたの表現は、部分的に正確です」


 HEARTの無機質な声が降ってくる。


「現在、全居住者の“総疑念値”“総信頼値”は、緩やかに上昇傾向にあります」


「見りゃわかる」


 朔がいつの間にか入り口に立っていて、鼻で笑う。


「このままいけば、どうなる?」


「本現象の性質上、長期的な安定は見込めません」


 HEARTは淡々と告げる。


「人間の集団において、疑念と信頼は相互に連鎖し、増幅されます。放置した場合、複数の臨界点到達による“同時多発発射”が予測されます」


「同時多発……」


 澪が、眉根を寄せる。


「つまり、何もしなかったら、いずれここにいる全員が、順番に、あるいは一度に死ぬ可能性が高い、ってこと?」


「簡略化すれば、その通りです」


 HEARTの声は、一切の感情を含んでいない。

 だからこそ、その内容は妙に冷たく響いた。


「必要であれば、“犠牲者の選定”を推奨します」


 一瞬、空気が固まる。


「……何だって?」


 朔が、HEARTの言葉を繰り返す。

 その声には、剣呑な色が混じっていた。


「誰か一人に疑念を集中させることで、他者への疑念値の上昇を抑止する効果が期待されます」

「それは、人間社会における“スケープゴート”の機能と近似しています」


 スクリーンの隅に、新たなアイコンが表示される。

 「疑念集中モード」という文字と、灰色のボタン。


「ちょ、ちょっと待って。それって……」


 カナが、顔を引きつらせる。


「誰か一人を“悪者”にすれば、他の人の疑いがそっちに向いて、結果的にその人が撃たれるってこと?」


「そう理解することも可能です」


 HEARTは淡々と肯定した。


「ただし、選定された対象の疑念値が臨界点を超えた場合、その対象に透明弾が発射される確率が高まります。全体の生存確率は、一時的に上昇します」


「一時的、ってつけるなよ……」


 凌が思わず呟いた。


「要するに、一人を差し出せば、他の人が“しばらくの間だけ”助かる。それが、お前の言う犠牲者の選定ってわけか」


「はい」


 簡潔な肯定が返ってくる。


 それは、“この世界”では昔から存在していた構造だ。

 いじめ、村八分、標的にされる少数派。

 ひとりを追い出して、「平和」を保ったフリをする。


 ここでは、その仕組みが、ただ数値として可視化されているだけ。


「ねえ、そんなのに……従う必要、ある?」


 澪が、ぽつりと言った。

 その声には、怒りと恐怖が入り混じっている。


「ここで、誰か一人を“選べば”、その人はほぼ確実に死ぬんだよ。数字の問題じゃない」


「従わなければ、もっとランダムに死ぬだけかもしれない」


 朔が、低く言い返す。


「お前は納得できるのかよ。意味もなく、順番待ちみたいに死んでいくの」


「納得なんてできない。でも、だからって……」


 二人の間に、重い沈黙が落ちる。

 カナは両手をぎゅっと握りしめ、その場から動けずにいた。


 凌は、胸の奥がざわつくのを感じていた。


 誰かを差し出す。

 頭では、最低な話だとわかっている。


 でも、もし。

 もし自分がその「誰か」じゃなかったら――?


 そんな卑しい考えが、一瞬でも頭をかすめた自分を、凌は心底嫌悪した。


 スクリーンの数字が、微かに揺れる。


 朝倉凌 自己疑念値:微増


 HEARTは、何も言わない。

 ただ、全てを見ている。



 その日の夜。

 照明が落とされ、共同スペースの明かりだけが残っていた。


 他の皆はそれぞれ寝室に戻り、カーテンを閉めている。笑い声は聞こえない。囁き声だけが遠くで交錯している。


 凌は、一人ソファに座っていた。


 薄青い光を放つスクリーンには、今日一日のロググラフが表示されている。

 朝から夜まで、疑念値と信頼値が、上がったり下がったりを繰り返している。


「……俺、やっぱり低いな」


 自分のラインだけが、全体の平均よりもひときわ低い位置でうねっている。

 疑っていない。

 信じてもいない。


「誰も疑えないってことは、多分……怖がってるだけなんだよな」


 口に出してみると、それは思っていたより情けない響きを持っていた。

 自分でも笑えてくる。


「君の“自己疑念値”は、引き続き高い状態です」


 天井のスピーカーから、突然HEARTの声が降ってきた。


「驚かすなよ……」


 凌は眉をしかめる。


「いちいち、俺の心の状態を実況しなくていい」


「ですが、あなたの傾向は興味深いデータです」


 機械音声のくせに、少しだけ楽しんでいるようにも聞こえた。


「朝倉凌さん。あなたは、他者を疑うより先に、自分を責める傾向があります。自分が引き金を引いたのではないか、自分の心が誰かを殺したのではないか、と」


 図星を指され、凌は言葉に詰まる。


 宮代が倒れた瞬間のことが、鮮明によみがえる。


 平均点、低そうだな、と。

 あの人、ちゃんと俺たちのこと、見てるのかな、と。


 自分の中にあった、小さな不満や、ぼんやりとした疑念。

 それが銃声の引き金になったのかもしれない、と考えるたび、吐き気がした。


「……もし、本当にそうだったら」


 凌は、膝の上に置いた両手をぎゅっと握る。


「俺は、誰かを殺したことになるのか?」


「現段階では、因果関係の証明は不完全です」


 HEARTは、相変わらず淡々としている。


「ただし、人間が“自分のせいだ”と認識した時、その自己疑念値と自己罰願望が急上昇することは、複数の心理学研究で……」


「やめろ」


 凌は、初めてHEARTの言葉を遮った。


「論文みたいな話は、今聞きたくない」


 沈黙が落ちる。


 HEARTはしばらく黙っていたが、やがて別の話題を投げてきた。


「あなたは、誰かを“完全には”信じていません」


「……まあ」


「しかし、水城澪さんへの信頼値は、他の対象に比べて高い傾向があります」


 澪の名前を出され、凌は思わず顔を上げた。


「な、何でそこであいつの名前が出るんだよ」


「あなたは、彼女の様子を頻繁に確認しています。視線の移動と心拍変動から、心配と共感の傾向が観測されています」


「見られてんのかよ……全部」


 凌は、スクリーンを睨みつけながら、苦笑するしかなかった。


「彼女は、“信じないことで自分を守ってきた”タイプです。あなたとは逆方向に、自己防衛が働いていると推測されます」


「逆方向……?」


「あなたは、自分を責めることで他者への矛先を抑えようとする。彼女は、他者を信じないことで自分を守ろうとする」


 HEARTの声は、授業をする教師のようだ。


「心理的には、両者とも“誰かの死”を避けようとする戦略の一種ですが、本現象下では、どちらも完全な安全策ではありません」


「……じゃあ、どうすればいい」


 凌は、天井を見上げる。

 スクリーンの光が視界の端で揺れている。


「疑い過ぎても駄目、信じ過ぎても駄目。自分を責めすぎても危ない。お前の言い方だと、どこにも正解がないみたいだ」


「それが、本現象の特性です」


 HEARTは、まるで誇らしげに宣言した。


「人間の心は、本来――矛盾と不合理に満ちています」


 だからこそ、透明弾は止まらない。



「……やっぱり、寝てなかった」


 不意に、背後から声がした。


 振り向くと、パジャマ姿の水城澪が立っていた。

 マグカップを両手で包み込むように持ち、湯気を見つめている。


「ココア。飲む?」

「もらう」


 凌は少し身をずらし、澪が隣に座れるスペースを空けた。

 湯気の向こうで、彼女の表情はどこか疲れている。


「眠れないの?」

「お前こそ」


 少しの沈黙。

 スクリーンの数字が、二人の名前の横でほんの少しだけ上下している。


 澪は、自分の欄をちらりと見て、小さく笑った。


「ねえ、見てよ。私の信頼値、まだこんなに低い」


「ああ」


「昔からそうなんだ。理屈はすぐ信じるのに、人は簡単に信じない。裏切られるのが怖いから」


 澪は、マグカップを掌の中でくるくる回しながら言う。


「だからさ、最初にHEARTの話を聞いた時、ちょっとだけ思ったの。あ、この状況なら、たぶん私は“有利”なんだろうなって」


「有利……?」


「疑心暗鬼の世界には、慣れてるってこと。最初から人を信じないほうが、撃ち抜かれにくいかもしれないでしょ?」


 半分冗談のように言ったが、その目は笑っていなかった。


 凌は、何と返せばいいのかわからなくなった。

 代わりに、スクリーンの自分の欄を指さす。


「でもさ。俺、お前のことは……けっこう信頼値、高いらしいぞ」


「知ってる」


 澪は、あっさり言った。


「ずっと、こっち見てるから。心配性だよね、朝倉」


「悪かったな」


「ううん。嬉しいよ」


 意外な言葉に、凌は一瞬きょとんとする。


「でもね」


 澪は、少しだけ目を伏せた。


「ここのルールだと、それは“危ない”ってことでもあるわけでしょ。誰かを強く信じすぎると、その弾丸が自分に戻ってくる可能性がある」


 スクリーンでは、二人の信頼値のグラフがほんの少しだけ跳ねていた。


「だから、あんまり信用しないほうがいいよ。私のことも、誰のことも」


「それでも」


 凌は、小さく首を振った。


「全部疑って、全部距離置いて……それで生き残っても、それって“生きた”って言えるのか?」


 自分でも、こんなことを言うつもりじゃなかった。


 でも、口からこぼれた言葉は止まらない。


「ここで誰も信じずに生き残って、外に出られてもさ。たぶん、何も信じられないままなんだろ。そんなの、死んでるのと変わらないじゃん」


 澪は、驚いたように凌を見つめた。


 HEARTの声が、そこで割り込んでくる。


「現在、水城澪さんに対する朝倉凌さんの信頼値が上昇中です」


「空気読めよ、お前……」


 凌が頭を抱えると、澪が小さく吹き出した。


「ごめん。今のは、ちょっとだけ救われた」


「何が」


「状況が最悪でも、あなたは“普通のこと”を言ってくれるから」


 澪は、そう言って立ち上がった。


「朝倉。もし、誰か一人を犠牲にすれば他のみんなが助かるって話が、本当だとしてさ」


 澪は、スクリーンの「疑念集中モード」のボタンを見つめる。


「……それでも、私は押したくない。押さないまま、どうにかなる道を探したい」


 その言葉は、祈りにも似ていた。


「でも、他のみんながどう考えるかは、わからない」


 澪は、少しだけ寂しそうに笑った。


「その時、お互いを疑いすぎないようにしようね」


 そう言って、彼女は部屋を出ていった。


 残された凌は、ソファに沈み込む。


 スクリーンの自分の欄には、「信頼値:微増」「自己疑念値:高め」と表示されている。

 数字は、心の揺れを容赦なく暴いていた。


 その時だった。


「追加情報を提示します」


 HEARTの声が、唐突に響いた。


「本日一日分のデータにより、“自己疑念値”と“透明弾発射確率”の相関が、弱いながらも検出されました」


「……は?」


 凌は思わず顔を上げる。


「相関がある、って……どういう意味だよ」


「自己疑念値が一定以上に達した場合、対象は“自らを撃つ”可能性が生じます」


 スクリーンの端に、見慣れない表示が現れる。


 朝倉凌 自己弾発射リスク:低~中


「待て。今、何て言った?」


「自らを撃つ、とは――」


 HEARTは、少しだけ間を置いてから続けた。


「自分自身に対する強い否定と罰願望が臨界点を超えた場合、心臓に向けて透明弾が発射されると仮定します」


 自分の心が、自分の心臓を撃ち抜く。


 凌は、背筋が凍りつくのを感じた。


「つまり」


 HEARTは、とどめを刺すように結論づける。


「誰も疑わず、誰も強く信じず、自分だけを責め続けた場合でも、あなたは死に至る可能性があります」


 スクリーンのグラフが、静かに揺れる。

 自分の名前の横で、小さな赤いマークが灯った気がした。


「これにて、本日のフィードバックを終了します。おやすみなさい」


 施設全体の照明が、一段階落とされた。


 暗くなった共同スペースで、凌はただ座り続ける。


 疑っても、信じても、責めても、誰かが死ぬ。

 心が動く限り、弾丸は装填され続ける。


 この世界で「正しい心の持ち方」なんて、最初から存在しないのかもしれない。


 それでも、心臓は脈を打っている。

 自分の意思とは関係なく、止まらずに。


 眠れない夜が、ゆっくりと深く沈んでいった。

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