第2話「弾丸は心の中にある」
山奥へ向かうバスが停まったのは、夕暮れの色が沈みかけた頃だった。
霧のような湿気が漂い、視界のほとんどが灰色の壁に遮られている。
研究施設──そう呼ぶには、外観はあまりにも無機質だった。
高いコンクリートの壁。
窓のない巨大な門。
監視用と思われる黒い球体カメラが四方を見張っている。
まるで、自然の中に落とされた巨大な金属の棺だった。
凌たち十三人はバスを降り、白衣のスタッフに誘導される。
入口で荷物を渡し、金属探知機をくぐる。
まるで空港の保安検査だが、こちらのほうがずっと厳しい。
ポケットナイフも、ガラスのアクセサリーも没収。
爪切りさえ持ち込み禁止だった。
「ここでは、外界と完全に遮断して生活してもらう。期間は未定だ」
白衣の男――細身で、どこか目の奥に影がある研究員風の人物が言った。
その言い方に、クラスの誰もが顔をしかめる。
避難施設と言われたが、どう見ても収容所だった。
「透明な銃声と、関係あるんですか?」
真っ先に質問したのは水城澪だった。
澪は緊張の色を浮かべつつも、声はぶれなかった。
それだけで、この場所の不気味さと疑問を代弁してくれた気がする。
白衣の男は一瞬だけ黙り込み、
「詳細は後ほど」
と言い、視線をそらした。
その目の動きに、明らかな「言いたくないことがある」という気配が漂っていた。
*
案内された区画は、想像以上に簡素だった。
四人部屋の寝室が三つ、二人部屋がひとつ。
共同スペースには長机とソファが置かれているだけ。
シャワールームと食堂はあるが、窓の外は高さ十メートルほどの灰色の壁しか見えない。
空は見える。
しかし空以外は、すべて遮断されている。
出入口は厚い金属扉で、監視カメラと警備用の赤いランプが常に光っていた。
「ここ、本当に避難施設なの……?」
南条カナが震える声で言った。
半分笑っていたが、それは不安をごまかすためのものだった。
誰も返事をしなかった。
そう答えてしまえば、ここが「避難所」ではなく「監禁場所」だとはっきり認めることになってしまう。
*
夜になり、共同スペースに全員が集められた。
天井に埋め込まれたスピーカーが、機械的な起動音を鳴らす。
そして、合成音声が流れ始めた。
「こんにちは、居住者の皆さん。わたしは、システム管理用音声インターフェース“HEART”です」
低く、平坦で、感情のない声。
女でも男でもない、無機質な電子音。
「これから透明弾現象と、皆さんの心的状態の観測を開始します」
「観測……?」
誰かが呟いた。
HEARTは続ける。
「現在、世界で発生している“銃声のみが聞こえる突然死”について、複数の仮説があります。その中でも有力なのが、“人間の心の状態が引き金になっている”という説です」
その瞬間、凌の体温が一気に下がった気がした。
あのバスの中で見たメッセージが蘇る。
《弾丸は、心の中にある》
あれは偶然でも悪戯でもない、と直感が言っていた。
「本施設では、皆さん十三人をモデルケースとして、心的状態と死亡事例の因果関係を検証します。ここで起こることはすべて、世界の救済のために役立てられます」
「ふざけるなよ……」
九条朔が、やや乱暴に椅子を蹴るようにして立ち上がった。
「俺たちはモルモットってことか? 透明弾ってなんだ、お前らが説明もしないで……!」
怒号が反響する。
しかしHEARTは、朔の怒りすら計算済みのように無視した。
「透明な弾丸は、外部から発射されていません。銃器も存在しません。犯人も存在しません」
機械音声は淡々と言葉を積み重ねる。
「弾丸は、心の中にあります」
その一言で、空気が凍りつく。
「強い疑念と、強い信頼が、そのトリガーとなります」
今度は水城澪が声を上げた。
「信頼でも……死ぬってこと……?」
信じたら、死ぬ。
そんな理不尽な話があるか、と誰もが思った。
「ある対象への強い疑いが臨界点を超えた時、その対象の心臓に向けて透明な弾丸が発射されると仮定します。同様に、強い信頼が臨界点を超えた時、その弾丸は信頼者自身に戻ってくると仮定します」
疑っても、信じても、死ぬ。
まるで、人の心そのものが武器に変わる世界。
「ちょっと……それって……」
仁菜が震える声でつぶやく。
「誰かを疑っても、誰かを信じても、誰かが死ぬって話じゃない……?」
「その通りです」
HEARTは、肯定するように短く電子音を鳴らした。
次の瞬間、壁のスクリーンが点灯した。
そこには十三人の名前と、数十本の波形。そしてその横に、
「疑念値」
「信頼値」
と書かれた数値がリアルタイムで変動していた。
見慣れない数値が上下し、名前ごとのラインが波打っている。
まるで株価チャートのような不気味な映像だった。
「当面のルールを説明します。本区画からの外出は禁止。食事と生活物資はこちらが提供します」
「暴力行為は、透明弾の発射確率を高める可能性があります」
「全員の心的データは常に収集され、記録されます」
まるで「人間」を扱っているのではなく、「実験動物」を扱っているようだった。
「質問は──」
HEARTが言いかけた、その瞬間だった。
パン。
乾いた、耳に残る破裂音が施設内に響き渡った。
誰もが反射的に振り返る。
入口付近に立っていた、警備スタッフの男が胸を押さえて倒れ込んでいた。
つい数分前まで、凶悪犯を前にしたような警戒した目で立っていた男だ。
「う、そ……」
「なんで……?」
悲鳴が複数重なった。
スクリーンの横に表示された彼のデータが、一斉に赤く点滅する。
「他者からの疑念値・急上昇」
赤い文字が明滅し続けていた。
――誰かが、この男を疑った?
いや、全員だ。
ここにいる全員が、彼に対して不信感を抱いていた。
閉じ込められた直後から、彼の厳しい視線が怖かった。
だからこそ、彼への疑念が場全体に満ちていた。
「……誰か、今、あの人を疑った……?」
南条カナが震える声で呟いた。
誰も答えない。
答えるはずがなかった。
心当たりが、全員にあったからだ。
HEARTが静かに告げる。
「記録します。第一の透明弾発射事例」
その声は、まるで儀式の開始を告げる鐘のようだった。
*
倒れた職員は動かない。
医療スタッフが駆けつけるが、結果は変わらなかった。
「死亡確認」
短く冷たい言葉が区画に響きわたる。
澪は両手を胸にあて、震えていた。
朔は歯を食いしばり、何かを抑え込むように拳を握っていた。
カナは泣きそうな顔で壁際に立ち尽くしている。
凌はただ、見つめるしかなかった。
人が倒れる瞬間を再び見た。
そして、その原因が人の心だと――HEARTは言う。
「心の中の弾……」
凌はつぶやいた。
あのメッセージが脳裏に焼きついたままだ。
《弾丸は、心の中にある》
差出人不明の通知。
あれは警告だったのか。
*
その後、HEARTは説明を続けた。
「透明弾現象は、集団の心理状態に依存します。皆さんの心的変動が、互いを殺す可能性を決定します」
「これは管理実験ではありません。皆さん自身が、互いの生死を左右します」
淡々とした声が、耳の奥に張りつく。
「最後に残る者が、生存者です」
誰かが息を呑んだ。
部屋全体が、重い沈黙で支配される。
「どういう……こと……?」
澪の声は震えている。
「この区画で起こる全ては記録されます。透明弾を回避する唯一の方法は、心の動きを正確に理解し、制御することです」
スクリーンには十三人の名前が並んでいる。
そのうちの一つのラインには、赤い点がついたままだ。
先ほど死んだ男の名前の上に。
その赤点を見て、凌は思う。
次は、誰だ。
疑われた者か。
信頼された者か。
それとも――自分か。
沈黙を破ったのは、HEARTだった。
「では、観測を開始します。皆さんの心を、どうぞ自由にお持ちください」
自由。
この閉じられた箱の中で。
十三人の心には、すでに弾丸が装填されていた。




