表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
透明な弾丸―銃声が響くのに、銃を持つ者はいない。誰も撃っていないのに、誰かが倒れる。  作者: 妙原奇天


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

13/13

最終話 最初の弾丸が残る胸で

 施設の照明が、ふっと落ちた。


 瞬間、世界から色がひとつ消えたみたいに感じる。

 天井の蛍光灯はすべて沈黙し、残されたのは非常灯の赤い点滅だけだった。


 カチ、カチ、と規則正しく明滅する赤。

 それが、まるで巨大な心臓の鼓動みたいに、薄暗い通路を染めていた。


「最終プロトコル“HEART-0”を起動します」


 HEARTの声が、いつもより少しだけ低い音で鳴り響く。


 共同スペースの中央、壁一面のスクリーンがゆっくりと立ち上がった。

 真っ黒だった画面に、白い文字がひとつだけ浮かび上がる。


 《この世界は、人を評価することをやめるべきか?》


 その下に、二つの選択肢。


 YES

 NO


 さらに、そのさらに下に、小さな注釈が添えられていた。


 《あなたの選択は、世界の評価システムに組み込まれます》


「……は?」


 凌は、思わず声を漏らした。


 誰もいない共同スペース。

 ソファも椅子も、全部、空席のままじっとこっちを見ている。


 響いた自分の声が、妙に滑稽に聞こえた。


「最後の最後まで、人に選ばせるのかよ」


 乾いた笑いが、自然と口からこぼれた。


 これまで、散々勝手に“ルール”を押しつけてきたシステムが、ここにきて急に「選択」を投げてきたのだ。


 宮代が撃たれた時も。

 ガードマンが倒れた時も。

 九条朔が全員の疑念を一身に浴びた時も。

 澪が外へ行き、そのまま帰ってこなかった時も。


 全部、「気づいたらそうなっていた」だけで、誰かが「はい/いいえ」を押す余地なんてなかった。


 なのに、最後の最後だけは、やたらと丁寧に選択肢が用意されている。


 YESか、NOか。


 世界は、人を評価することをやめるべきか。


「……ずいぶんと、雑な二択だな」


 凌は、スクリーンから目をそらした。


 ソファにもたれかかり、頭を背もたれに押し付ける。

 非常灯の赤い光が、天井をじわじわと染めていた。


 長い時間をかけて、考える。


 人を評価することをやめた世界。


 透明弾のような悲劇は、たしかに減るかもしれない。

 もう誰も、誰かを「嫌い」と思った瞬間に弾丸を飛ばさずに済むかもしれない。


 陰口も、噂も、SNSでの誹謗中傷も。

 「いいね」の数で人を序列化することも。


 全部、なくなるかもしれない。


 でも──。


 評価って、悪いことだけじゃない。


 誰かを「かっこいい」と思うこと。

 「憧れる」と思うこと。

 「一緒にいたい」と感じること。


 それらも全部、広い意味で言えば「評価」だ。


 心のどこかで比べて、選んで、「この人が好きだ」「この人を大事にしたい」と決める。

 それを全部やめろと言われたら──。


 誰かを嫌いにならずに済むかもしれない。

 でも、誰かを好きになることも、同時に諦めることになる。


「……そんな世界、生きてるって言えないだろ」


 ぽつりと、独り言が漏れた。


 授業中にこっそり隣の席を見て、「あいつ、また寝てる」と笑うこと。

 部活帰りにコンビニでたむろして、「あいつ最近どうよ」と適当な噂を言い合うこと。


 そういう全部も、本当は「評価」の一部だ。


 九条朔が、得意げにホワイトボードにグラフを描いていた時。

 正直、うざいと思った瞬間もあった。

 でも、その直後に「こいつ、本当に頭いいんだな」と思って、少しだけ尊敬したのも本当だ。


 南条カナの空気の読めなさにイラッとしたこともある。

 けれど、その明るさに救われた夜だって、数え切れないほどあった。


 水城澪の冷静さに、「冷たい」と感じたこともある。

 でも、その冷静さがあったから、誰かがパニックを起こさずに済んだ。


 鴻上仁菜の観察眼に、「怖い」と思った瞬間も。

 同時に「頼もしい」と思っていた瞬間も。


 好きと嫌いは、いつだって同じ場所で隣り合っている。


 その全部を、「やめろ」と言われても、無理だ。


「人を評価することをやめられないなら」


 凌は、ゆっくりと上体を起こした。


 スクリーンに近づく。


「せめて、その矛先をどう向けるかだけは、選べるようにしてほしい」


 自分の声が、非常灯の赤に溶けていく。


「自分を責めるのか、誰かを撃つのか。どっちが正しいかなんて、きっと永遠にわからないけど」


 自分で言っておきながら、苦笑が漏れた。


 ここまで散々、自分だけを撃ち続けて生き延びてきたくせに。

 今さら「矛先を選ばせろ」とか、よく言えたものだ。


 でも──。


 自分で自分を撃つか、誰かを撃つか。

 どちらも痛い。どちらも傷つく。どちらも、簡単に薦められるものじゃない。


 それでも。


 どちらにしろ人は、きっと誰かを撃ってしまう。


 だったら、せめてそのトリガーに、ほんの少しだけ「ためらい」を挟めるような世界のほうが、まだマシだ。


 スクリーンの前に立つ。


 白い文字が、赤い非常灯に照らされて、少し滲んで見えた。


 YES

 NO


 手を伸ばす。


 指先が、わずかに震えていた。


「……悪いな、みんな」


 心の中で、亡くなった名前たちに謝る。


 宮代。

 九条。

 澪。

 カナ。

 仁菜。


 誰も彼も、簡単に「答え」を押したりしなかった。

 むしろ、自分の選択なんて最後まで信じきれなかったはずだ。


 だからこそ。


「これくらいは、俺が勝手に決める」


 凌は、苦笑しながら、迷いなく指を動かした。


 NO の文字に触れる。


 画面が、一瞬だけ真っ白にフラッシュする。


 《この世界は、人を評価することをやめるべきか? → NO》


 簡潔なログが、画面の中央に表示された。


 HEARTの声が、静かに降ってくる。


「選択を確認しました」


 一拍置いてから、続けた。


「評価は続けられます。ただし、“ゼロの心”のモデルに基づき、他者評価より自己評価が優先されるシステムが維持されます」


「……俺みたいなやつを増やすってことかよ」


 思わず、皮肉が口をついた。


 他人を責めるより、自分を責める。

 怒りを外へ向ける前に、自分の中でぐるぐる回す。


 それが、“標準仕様”になる世界。


 息苦しいに決まっている。


 でも、それでも──誰かを撃ち抜くよりは、ほんの少しだけマシかもしれない。


 HEARTは、その問いには応えなかった。


 代わりに、施設の奥で重いロックの外れる音が響く。


 ガコン、と何段階かに分かれて、鉄骨が動いていく音。

 厚い扉が、ゆっくりと開いていく。


 赤い非常灯の明滅に紛れて、扉の向こうから、ぼんやりと白い光が差し込んでくる。


「外に出ていいのか」


 凌は、扉の前に立ちながら尋ねた。


 HEARTの声は、少しだけ柔らいで聞こえる。


「あなたは、最後まで“誰も疑わなかった”被験者です。世界は、その結果を必要としています」


「必要、ね」


 凌は鼻で笑った。


 必要だったのは、俺じゃなくて、俺の“データ”だろ。


 そう思ったが、あえて口にはしなかった。


 扉の向こうから、風が吹き込んでくる。


 ひんやりとした空気。

 ほのかに湿った匂い。


 人工の空調ではない、本物の外気の感触だった。


 一歩。


 錆びた境界線をまたぐように、足を踏み出す。


 靴底が、コンクリートを離れて、アスファルトの感触に変わった。


 もう一歩。


 光の中に、身体を差し出す。


 眩しさに目がくらみ、一瞬目を細めた。


 ゆっくりと、視界が形を取り戻していく。


「……ここが」


 そこには、見知らぬ街が広がっていた。


 高いビルが並び、ガラス張りの外壁には、自分の姿が小さく映っている。

 交差点には、人影がまばらに行き交っていた。


 人々は、透明なフェイスシールドをつけていた。


 口元と頬は、薄いシールドに覆われている。

 表情は読み取りづらい。


 でも──。


 目に、完全な無表情は宿っていなかった。


 怯えと、警戒と、少しの好奇心。

 それらが混ざり合ったような光が、かすかに残っている。


 カフェの窓には、透明な仕切り板が立てられていた。

 テーブルごとに区切られた小さな箱の中で、人々は小声で話している。


 街角のビジョンには、見慣れない標語が流れていた。


『評価を言葉にする前に、一息おこう』


 その文字の下に、小さく注釈がついている。


 《モデルケース:被験者R》


「……やめろよ、マジで」


 凌は、思わず額に手を当てた。


「もっとマシな名前付けろよ……」


 被験者R。

 研究対象としての番号。


 そこに、自分の名前はどこにもない。


 でも、逆にそれが、少しだけ救いでもあった。


「俺のせいじゃない」


 凌は、ゆっくりと息を吸い込んだ。


 胸が、じんわりと熱くなる。


「俺だけのせいじゃない」


 透明弾のルールを作ったのは、HEARTとその前身組織だ。

 その基礎にあったのは、昔の医療研究チームだ。


 人を評価せずにはいられないようにしたのは、この社会だ。

 「いいね」の数で人を測る仕組みを歓迎したのも、世界中の人間だ。


 そして、誰かを傷つける言葉を選んだのは、いつだって個々人だった。


「だから」


 凌は、胸に手を当てた。


 掌の下には、今も確かに、心臓の鼓動がある。


 そのすぐ奥で、小さな金属片が、じんじんと熱を帯びていた。


 幼いころ、自分の命をつなぐために埋め込まれた弾。

 透明弾現象の中で、何度も自分を撃ち抜こうとしては、決して貫通できなかった証。


「この弾が残ってる限り、俺は、誰かを簡単には撃てない」


 自分にだけは、嘘はつけない。


 誰かにムカついた時。

 誰かを見下したくなった時。


 そのたびに、胸の奥でこの弾が疼くだろう。


 「ほんとに撃ちたいのは、そいつか?」「本当は、お前自身を撃とうとしてないか?」


 うるさいくらいに、問いかけてくるに違いない。


 面倒だ。

 正直、そんな心臓はいらないと思う。


 けれど、その面倒くささが、自分にとってのセーフティだ。


「……ま、いいか」


 凌は、小さく笑った。


「俺が簡単に誰かを撃てない分くらいは、世界も、少しだけマシになるかもしれないしな」


 交差点の向こうで、小さな子どもがこっちを見ていた。


 フェイスシールド越しに、じっと観察するような視線。

 目が合うと、慌てて母親の影に隠れる。


 でも、その隠れ方は、完全に恐怖だけじゃなくて。

 どこか、恥ずかしさと照れくささが混ざった、普通の子どもの仕草だった。


 背後で、HEARTの声が最後のログを読み上げる。


「記録:被験者R、世界に復帰。心拍数安定。疑念値・信頼値、ともに低レベルで推移中」


 それだけなら、いつもの報告と変わらない。


 けれど、HEARTは、ほんの少し間を置いてから、誰にともなく付け加えた。


「……付帯記録」


 声色が、わずかに揺れた気がした。


「弾丸は、心の中にある。疑うほどに、信じるほどに」


 最初に聞いた、あの意味不明なメッセージ。


 《弾丸は、心の中にある》


 それは、ただの警句でも、呪いの言葉でもなかったのかもしれない。


「それでも、人は今日も誰かを見て、何かを感じる」


 誰かを見て、羨ましいと思う。

 誰かを見て、ムカつくと思う。

誰かを見て、好きだと思う。


 その全部が、弾丸になる。


 だからといって、目を閉じて生きていくわけにもいかない。


 凌は、足を前に踏み出した。


 アスファルトの感触。

 遠くから聞こえる車の音。


 フェイスシールド越しに、誰かの視線がかすかに刺さる。


 撃たれたのか、ただ見られただけなのか。

 その境目は、きっとこれからも曖昧なままだ。


「……まあ、いいや」


 凌は、空を見上げた。


 そこには、何の弾痕もない、ただの青空が広がっていた。


 施設の天井越しにしか見たことのなかった空。

 ガラス越しの映像でしか知らなかった色。


 本物の青は、思っていたより少しだけ薄くて、少しだけ眩しかった。


 耳の奥で、一度だけ、あの乾いた銃声が木霊した気がした。


 パン、と。


 でも、それはもう、人の胸を撃ち抜く音ではなかった。


 どこか遠くで、何かが終わり、そして始まる音。


 凌は、胸に残る最初の弾丸の熱を確かめながら、歩き出した。


 疑う心も、信じる心も、ゼロにはなれない。

 弾丸は、これからも心の中に生まれ続ける。


 それでも。


 その弾丸が、誰かの命を奪うだけじゃなく、誰かの背中をそっと押せる日が、いつか来るかもしれない。


 そんなことを、ほんの少しだけ期待しながら。


 誰も疑わなかった少年は、最初の弾丸を胸に抱えたまま、透明な銃声の世界を歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ