第十話 外の世界に残った弾痕
HEARTが、新しい画面を表示したのは、昼食後すぐのことだった。
食堂の照明が落とされ、代わりに壁一面のスクリーンが明るくなる。
残っている椅子は五脚。座っているのは四人と、一人の職員だけだ。
朝倉凌。
南条カナ。
鴻上仁菜。
そして、東雲空良。
水城澪は、少し離れた位置でスクリーンを見上げている。
その目は、最初にここへ来た時と同じように、状況を「読む」モードに入っていた。
「新たなシナリオを提示します」
HEARTの合成音声が響く。
「残存居住者のうち一名を、外界視察要員として一時的に解放します。外の世界の状況を確認し、報告することで、本実験は最終段階に移行可能です」
全員の視線が、一斉にスクリーンへと向かう。
外界視察要員。
一時的に解放。
その言葉だけで、空気がざらりと揺れた。
「なお、要員は任意の立候補、もしくは投票によって決定されます」
表示されたシナリオの項目を、凌は食い入るように読む。
一、視察時間は二十四時間を上限とする。
二、視察中も透明弾現象の影響を受ける。生命保障は約束されない。
三、視察要員は、施設との専用通信ラインを通じて外界の情報を報告する義務を負う。
四、要員の生死は、残留者の疑念値、信頼値に大きな変動をもたらすことが予測される。
「……行かなくてよくない?」
カナが、苦い顔で呟いた。
「どうせまた、誰かを外に出して、その反応データを取るだけでしょ。死ぬリスク負ってまで、外の空気吸いに行くとか、割に合わなすぎ」
その言い方は乱暴だったが、正直な本音でもあった。
ここに閉じ込められてから、もう何日が経ったのかわからない。
壁に刻まれた日数の線は十本を越えているが、途中から誰も数えなくなっていた。
外は怖い。
でも、外を知らないまま死ぬのも、別の意味で怖い。
「……私が行く」
その中で、澪が、迷いなく手を挙げた。
「は?」
カナが振り向くより早く、凌の口から声が出る。
「ちょっと待て、水城。何でお前が真っ先に──」
「理由なら、ある程度ある」
澪は、落ち着いた口調で言う。
「今までのログも、ルールも、全部じゃないけど整理してきた。朔の残した解析も、仁菜のノートも、ほとんど目を通してる。観察者としては、多分、私が一番向いてる」
淡々とした自己評価。
でも、その目にははっきりとした覚悟が宿っていた。
「それに」
澪は、少しだけ笑う。
「こういう時に“自分が行くべきだ”って思うタイプの人間が、ここでじっとしてるのは、性格的に無理」
「性格の問題で決めないでほしいんだけど」
カナが思わずツッコむ。
「でも、ほんとに行くなら、外の医療状況とか、症例データを取ってきてくれると助かる」
仁菜は、震える手でノートを抱えながらも、現実的なことを言った。
「外でどんなガイドラインが出てるか、どのくらいの頻度で弾が撃たれてるか。医療機関の対応。……できれば、心臓関係の研究データも」
「さすが保健委員」
カナが苦笑する。
「いや、保健委員じゃないけど」
仁菜は、小さく否定したが、その頬は少し赤くなっていた。
「確認します」
HEARTが、淡々と告げる。
「外界視察要員に立候補しているのは、水城澪さん一名で間違いありませんか?」
「間違いない」
澪ははっきりと答えた。
「他に立候補希望者は?」
HEARTの問いに、誰も手を挙げない。
凌は唇を噛んだ。
本当は、「自分が行く」と言うべきなのではないか。
自分は、このシステムの“基準モデル”だと告げられた。
ならば、最後に外の世界を見てくる役目も自分が負うべきなのではないか。
でも、その言葉は喉の奥で固まってしまった。
ここから出て、再び弾丸が飛び交う街に足を踏み入れる想像をした瞬間、足元がすくむ感覚に襲われる。
ゼロに近い心。
撃たれにくい心。
それでも、自分が「不死身」だなんて、まったく思えなかった。
「条件を提示します」
HEARTが、再びスクリーンを切り替える。
「一、外界視察要員の生命保障は約束されません。視察中も透明弾現象の影響を受ける可能性があります」
「わかってる」
澪は、短く答えた。
「二、視察要員の死亡は、残留者の疑念値、信頼値に大きな変動をもたらすことが予測されます。特に朝倉凌さんとの相互信頼値の高さから、心的ショックは甚大と推定されます」
「ちょっと余計なデータ出さないでくれる?」
カナが、顔を真っ赤にしてHEARTをにらむ。
「三、外界視察から帰還できなかった場合に備え、事前に“最終ログ”の録音を推奨します」
スクリーンに、マイクのアイコンが表示される。
「遺言録音勧めんな」
カナのツッコミは、もう半分涙声になっていた。
「四、視察中は、外界専用カメラおよび生体センサーを通じて、心的状態と環境情報がリアルタイムで記録されます」
逃げ道はない。
澪が外に出た瞬間から、彼女のすべては「観察対象」になる。
「それでも、行きますか?」
HEARTの問いかけに、澪は迷いなく頷いた。
「ここで、何も知らないまま死ぬよりはマシ」
その言葉は、嘘ではなかった。
*
出発までの準備時間は、一時間だけ与えられた。
といっても、荷物検査の厳しいこの施設で持ち出せるものは限られている。
スマホ、薄いタブレット、ICカード付きのID。
武器になりそうなものは、もちろん一切禁止だ。
「寒かったらこれ着て」
カナが、自分のパーカーを無理やり押しつける。
「え、でも──」
「いいから! 私のファッションセンスの結晶だから!」
「それ、ちょっとダサ……」
「ああ?」
「ごめんやっぱ最高にかわいい」
くだらないやりとりが、妙に胸に刺さる。
「外の医療資料、優先度高めでお願い」
仁菜が、メモをびっしり書いた紙を渡す。
「全部は無理でもいいから。ガイドラインとか、心臓関係の症例データとか」
「了解。医療系、最優先」
澪は、紙を丁寧に折ってポケットに入れた。
最後に、東雲空良が小さな箱を差し出す。
「外部通信の端末です」
彼の声は、いつもより少し硬かった。
「街中に出るときは、必ずポケットに入れておいてください。映像と音声が、リアルタイムでこちらに送信されます」
「了解、職員さん」
「空良でいいです」
不器用そうな顔で訂正する。
「空良」
澪は、小さく笑った。
「外の空気、何パーセントくらい人間が残ってるか、ちゃんと見てくる」
「……お願いします」
東雲は、深く頭を下げた。
*
出発直前。
HEARTは、「二人きりで話す時間」を五分だけ許可した。
指定された小さな面談室に、凌と澪が入る。
ドアが閉まり、HEARTが「音声記録をオフにします」と告げた。
本当にオフになっているのかは、誰にもわからない。
けれど、それでも「二人きり」と言われると、空気が変わる。
「……本当に、行くんだな」
凌は、ベンチに座りながら言った。
「うん」
澪は、向かいの椅子に腰を下ろす。
スウェットの上に、カナから押しつけられたパーカーを羽織っていた。
「怖くないわけじゃないよ」
「ならやめろよ」
「でも、行かなかったら一生後悔する」
即答だった。
「私、最初から“観察者”でいることを選んできたから」
「観察者?」
「うん」
澪は、少しだけ目を細めた。
「感情を捨てるんじゃなくて、全部ちゃんと見て、記録して、意味を与える役割。誰かがやらないと、死んでいった人たちが、ただの数字になっちゃう」
宮代の死。
ガードマンの死。
白川の死。
秋庭の死。
吉岡の死。
朔の死。
その全てに、ログという形で「説明」がついた。
HEARTの画面上で表示される、「原因」「要因」「相関」。
でも、それだけでは足りない。
「“心的評価と生理反応の相関研究”とか、“疑念値がどう”とか、そういうのはHEARTがやればいい」
澪は、静かに続ける。
「でも、“あの時あの人が何を思ってたか”とか、“どんな顔で死んだか”とか、“誰に何を残したか”とかは、HEARTじゃ記録できない。……人間が見て、人間が話さないと、どこかに消えていく」
観察者の心。
ゼロにはなれない。
でも、ゼロじゃないからこそ、見えるものがある。
「朝倉が“ゼロの心”に近いなら」
澪は、少しだけ笑った。
「私は、“観測者の心”ってやつを最後までやってみたい」
「……そんな格好いいもんじゃないだろ」
「自分で言っててもそう思う」
そこで、二人は小さく笑った。
ほんの一瞬だけ、透明弾もHEARTも忘れるような笑いだった。
「戻ってこいよ」
凌は、やっとのことで言った。
「報告して、文句言って、俺のこと殴って。……それから、言いたいことがあるから」
言い終わってから、顔が熱くなる。
澪は、目を見開き、それからゆっくりと立ち上がった。
椅子の前まで歩み寄り、凌の前に立つ。
「今はまだ、言わないで」
耳元でささやくような声。
「何も」
「……なんでだよ」
「言われたら、多分、私、戻れなくなる」
澪は、冗談ではない表情で言った。
「外に出ても、戻ってくることだけ考えて走りたい。『最後の言葉』なんてもらったら、嫌でもそれを抱えて歩くことになるから」
それ以上続けたら、きっとグラフが跳ね上がる。
そう直感して、凌は口を噤んだ。
「戻るつもりだよ」
澪は、はっきりと言った。
「だから、帰ってきてからちゃんと聞く。今あんたが飲み込んだ言葉、全部」
そう言って、彼女は一歩下がる。
「時間です。面談を終了します」
HEARTの声が、空気を切った。
*
施設の出入口は、厚い金属扉で二重に塞がれていた。
内側の扉が開き、澪が立つ。
その後ろで、凌たちが見送っている。
「通信、ちゃんとつないでおけよ」
カナが叫ぶ。
「外のコンビニ事情とかも報告よろしく」
「優先度低」
澪は振り返り、小さく手を振った。
「じゃ、行ってくる」
扉が閉まり、ロックされる。
その向こう側で、外の扉が開く音がした。
ここから先は、映像でしか追えない。
スクリーンが切り替わり、澪の視界が映し出される。
眩しい光。
コンクリートの坂。
山間の細い道路。
空は、やけに青かった。
*
街に着くまで、車で一時間弱。
運転席には、無言の自衛隊員が座っている。
澪は後部座席から窓の外を眺めていた。
途中の集落は、人影がほとんどなかった。
家々の窓はカーテンで閉ざされ、庭に出ている人もいない。
たまにすれ違う車の運転手も、マスクとサングラスで顔を隠していた。
「外界の空気はどうですか?」
耳元のイヤホンから、HEARTの声が聞こえる。
「悪くない。少なくとも、シェルターの空気よりは」
澪は、窓を少しだけ開けた。
風が入ってくる。
土と草と、排気ガスの匂い。
「ああ、生きてる世界だ」と思わせる匂いだった。
「心拍数、平常範囲。疑念値、わずかに上昇。信頼値、微量変動」
「実況いらないから」
「記録用です」
街に入ると、光景は一変した。
駅前のロータリー。
シャッターの閉まった店。
入口にテープを張られたカフェ。
営業している店舗にも、透明な仕切りが設置されている。
レジと客、客同士の間に、薄いアクリル板がいくつも立っていた。
歩いている人々は、皆マスクにサングラス、帽子やフードで顔の大半を覆っている。
表情が読み取れないように。
すれ違っても、誰も目を合わせようとしない。
スマホの画面だけを見つめて、早足で通り過ぎていく。
「対人評価の抑制行動ですね」
HEARTが分析する。
「他者の表情を“読み取る”行為そのものが、疑念値、信頼値の変動を招くため、外界では“顔を見ない”文化が推奨されています」
「……推奨って言葉、便利だね」
澪は小さく息を吐いた。
見ないようにする。
比べないようにする。
でも、本当にそれで止まるのか。
駅前の大画面には、政府の広報映像が流れていた。
スーツ姿のアナウンサーが、真剣な表情で訴える。
「“見ない・比べない・決めつけない”週間、現在継続中です。他者の行動を過度に評価しないことが、透明弾現象の抑止に繋がります」
その下には、テロップが流れている。
「対人評価の自粛を」
「“信じてほしい”という言葉に注意」
「SNSでの誹謗中傷は、透明弾発射リスクを高めます」
澪は、ロータリーのベンチに腰を下ろし、タブレットを起動した。
SNSのタイムラインを開く。
そこに乗っているのは、相変わらず誰かへの批判や、誰かを称賛する言葉だった。
「相変わらずだね」
澪は、小さく笑う。
「“評価するのをやめろ”って標語を出しながら、数字とランキングは残してる」
フォロワー数。
いいね数。
リツイート数。
それらは、相変わらず画面の端でじっとりと光っている。
「結局、人は誰かを評価せずにはいられないんだ」
「人間の社会行動において、評価は不可欠な機能です」
HEARTが答える。
「協力関係の形成、危険人物の識別、パートナー選択。あらゆる局面で、“誰かをどう見るか”は必要です」
「わかってる」
澪は、空を見上げた。
「その“必要な評価”を、“必要じゃない攻撃”に変えない方法、探してるんでしょ」
「はい」
短い肯定。
駅前の歩道には、小さなステッカーが点々と貼られていた。
人型のシルエットと日付。
その横に、小さな穴のマーク。
「それ、何?」
「透明弾による死亡現場の印です」
HEARTが投影する情報と、街の表示が重なる。
「目に見えない弾痕を可視化するための、行政施策です」
澪は、思わず息をのんだ。
ベンチのすぐそばにも、一つステッカーがあった。
三十代女性。
通行中に突然倒れる。
周囲に銃器や加害者の姿はなし。
“原因不明の心臓の内破裂”。
「……ここでも、誰かが撃たれてる」
透明な弾痕。
目には見えないのに、こうして「後から貼られる印」で、かろうじて存在を主張している。
澪はスマホを取り出し、施設との通信アプリを立ち上げた。
「報告する」
カメラを街に向ける。
「外の世界は、生きてる」
スクリーンの向こう、施設の共同スペースでは、凌たちがその映像を食い入るように見ていた。
澪の声が、スピーカーから流れる。
「壊れながら、なんとか形を保とうとしてる。人を見ないようにしながら、人を求めてる」
街を歩く人々。
顔を隠しながら、隣の人との距離を測るように歩く姿。
カフェの窓際、アクリル板越しに黙ってコーヒーを飲む男女。
互いを見ないようにしながら、同じ空間で時間を過ごしている。
「学校は、ほとんどオンライン。部活も中止。……でも、教室という箱がなくなっても、評価は消えてない」
タブレットのニュース記事が表示される。
「オンライン授業中の“ミュート外し”が晒される動画」
「透明弾現象と“バズり文化”の関係」といった見出し。
「人との接触を避ければ避けるほど、画面の中での評価が重くなる。透明弾は、対面より先に、心の中で大量生産されてる」
凌は、拳を握りしめていた。
ヘッドセット越しに聞こえる澪の声。
その一言一言が、胸に刺さる。
「……どうすればいいんだ」
思わず漏れた言葉に、誰も答えられない。
*
夕暮れが近づく頃。
澪は、公園のベンチに座っていた。
遊具の周りには、人影がほとんどない。
たまに、小さな子どもがマスクをつけたまま砂場で遊んでいるが、親は遠くから見守るだけだ。
スマホの画面に、施設からのメッセージが届く。
「水城さん、体調に変化は?」
仁菜からだ。
「今のところ問題なし」
澪は、短く返信し、写真を一枚添付する。
アクリル板だらけのカフェ。
歩道に貼られた弾痕ステッカー。
それを見た仁菜は、きっとまたノートに何かを書き込むのだろう。
「心拍数、やや上昇。疲労度も蓄積しています」
HEARTが、静かに告げる。
「施設への帰還まで、およそ三時間。そろそろ安全なルートを──」
その時だった。
パン。
乾いた音が、公園の空気を裂いた。
聞き慣れた音。
聞きたくなかった音。
澪は、反射的に振り返る。
誰もいない。
銃も、煙も、血しぶきもない。
でも、自分の胸の奥に、熱い痛みが走った。
「あ──」
声にならない声が漏れる。
胸元に手を当てる。
シャツは破れていない。
でも、内側で何かが焼けるように痛い。
「水城澪さん。心拍の急激な変動を検知。異常な心臓活動を──」
HEARTの声が、遠ざかっていく。
膝が崩れた。
地面が近づく。
視界が揺れる。
砂場の砂。
錆びたジャングルジム。
ベンチの影。
その全てが、妙に鮮明に見えた。
そして、頭の奥に、別の映像が流れ込んでくる。
これまでの人生で、見下したり、比べたり、選別したりした瞬間。
テストの点数で、クラスメイトを内心ランク付けしていた自分。
「この子は伸びる」「この子は無理」と無意識に分類していた自分。
先生の授業態度、親の言葉、ニュースの登場人物。
画面の向こう側のアイドルやタレント。
その一人ひとりに、心の中で点数をつけていた。
良い点数。
悪い点数。
それらは全部、透明な弾丸として蓄積されていったのだ。
今、その弾丸が一斉に跳ね返ってきている。
「……ああ、やっぱり」
澪は、かすかに笑った。
「私も、誰かを撃ってきたんだ」
観察者のつもりでいた。
冷静に見て、冷静に記録しているつもりでいた。
でも、それは単なる言い訳で。
人を評価して、線を引いて、選別して。
その行為自体が、ずっと誰かを撃ち続けていたのだ。
視界の端に、街路樹が映る。
夕焼けが、葉の隙間からこぼれていた。
オレンジ色の光が、空を染める。
「空、綺麗だね」
誰にともなく呟く。
ポケットの中で、通信端末が震えている。
誰かが呼んでいる。
返事をしたいのに、指が動かない。
「ごめんね、朝倉」
唇だけが、かすかに動く。
「やっぱり、私は“ゼロ”にはなれなかった」
観察者の心。
ゼロにはなれない心。
でも、最後の最後まで、それでいいと思っていた。
透明弾に撃ち抜かれた心臓が、静かに止まる。
その瞬間、施設のHEARTは大量のログを受信した。
水城澪の心拍データ。
最期の数十秒の検知された疑念値、信頼値。
視界の映像、音声、発された言葉。
「外界視察要員・水城澪さん、死亡確認」
HEARTは、静かに記録する。
「最終ログを保存しました」
*
施設の共同スペース。
スクリーンが、一瞬ノイズに包まれた。
次の瞬間、「通信途絶」の文字が表示される。
「……今のは」
カナが、顔面から血の気が引いた声で言う。
「今の音、まさか」
凌は、胸を押さえて膝をついた。
刺すような痛み。
九条朔の時に感じたそれよりも、さらに鋭い。
心臓の内側を直接つままれたみたいな痛みが、何度も繰り返し襲ってくる。
「水城澪さん、死亡確認」
HEARTの声が、無機質に響いた。
「外界からの通信が途絶しました。最終ログを──」
「黙れ!」
凌が叫ぶ。
声が裏返った。
スクリーンには、淡々としたログが流れる。
死亡時刻。
場所。
心拍の変動。
疑念値と信頼値の揺れ。
そのどれもが、今の彼らにはただの悪夢の文字列にしか見えない。
「なんでだよ」
凌は、胸元を握りしめる。
「戻ってくるって言っただろ……」
カナも、テーブルにしがみついて呟いた。
「外のコンビニ事情、報告するって言ったじゃん。嘘つき……」
仁菜は、震える手でノートを抱え直す。
視界が滲んで、文字が見えない。
それでも、ノートを開こうとする。
「記録、しないと……」
そう呟きながら。
「お知らせします」
HEARTが、いつもの声で告げる。
「現在、残留者の疑念値、信頼値に大きな乱高下が発生しています」
スクリーンに、三本の線が映し出される。
朝倉凌。
南条カナ。
鴻上仁菜。
それぞれの疑念値と信頼値が、今まで見たことのない乱高下を繰り返していた。
怒り。
悲しみ。
自責。
空虚。
その全部が、数字となってグラフに刻まれていく。
「しかし」
HEARTは、続けた。
「透明弾発射条件は、現在のところ満たされていません」
その言葉に、三人は顔を上げた。
「……どういうことだよ」
凌が、かすれた声で問う。
「これだけ揺れてんだぞ。誰か一人くらい、撃たれててもおかしくないだろ……」
「要因不明のため、解析中です」
HEARTは、初めて「わからない」と言った。
「水城澪さんの死亡による感情変動は、疑念値と信頼値の双方を同時に上昇させています。方向性が相殺されている可能性が高いです」
疑う。
信じる。
誰を?
透明弾のトリガーは、「特定の対象」に向けられた疑念や信頼が臨界点を超えた時に発射される。
今の彼らの感情は、「特定の誰か」に向かっていなかった。
世界全体に。
HEARTに。
自分自身に。
あまりにも拡散しすぎていて、矢印が定まらない。
「まるで世界が一瞬だけ、息を止めたかのような状態です」
HEARTの分析は、どこかぎこちなかった。
「この状態が継続した場合、システムに予期せぬ影響を与える可能性があります」
「……知らねえよ」
凌は、膝をついたまま、絞るように言った。
「もう、どうでもいい」
スクリーンの端で、澪の名前が灰色に変わる。
外の世界に残った、透明な弾痕。
目に見えない傷が、またひとつ増えた。
それでも、施設の中では、銃声は鳴らなかった。
世界は、一瞬だけ、確かに息を止めていた。




