第1話「最初の銃声は、教室で」
主な登場人物
朝倉 凌
主人公。高2。争いを嫌い、場をなだめようとするタイプ。人を疑うことが極端に苦手で、逆に「信じやすい」弱さも抱えている。胸に生まれつき小さな心臓の傷があり、それが後半の真相に関わる。
水城 澪
凌のクラスメイト。成績優秀で冷静な委員長タイプ。理屈で現象を理解しようとするが、自分自身の感情だけはコントロールしきれない。凌に淡い好意がある。
九条 朔
別クラスの男子。皮肉屋で人を信用しない。透明な弾丸のルールを最初に言語化し、「疑いを武器にする」立場を取るが、そのせいで孤立していく。
南条 カナ(なんじょう かな)
明るいムードメーカーの女子。恐怖の中でも笑いを絶やさないが、それは過去のトラウマを隠すための仮面。誰かのために自分が撃たれることを本気で選ぼうとする。
東雲 空良
避難施設側の職員を名乗る青年。二十代前半。システム担当だと言うが、彼自身も透明弾の影響を受ける対象であり、「外」との境界線に立つ存在。
宮代 暁人
凌たちの担任教師。責任感が強く、最初は生徒を守ろうと必死になるが、事態が進むにつれ「大人としての責任」と「生きたい個人」との間で揺らぐ。
鴻上 仁菜
保健委員の女子。死体の検視や記録を率先して行う。淡々として見えるが、誰よりも死を恐れている。ある秘密を抱えている。
梅雨の晴れ間だった。朝の湿った光が斜めから差しこみ、教室の机や椅子の影を淡く伸ばしている。二時間目の現代文、教室内はテスト返却前の妙にそわついた空気で満ちていた。プリントのこすれる音と、鉛筆を弄るカチカチという癖の音が混ざり、夏前の眠気と不安が混ざる。
朝倉凌は、窓際の定位置でグラウンドをぼんやり眺めていた。曇りでも晴れでもない、湿気の膜のような青さ。遠くの校舎に、薄く影が貼りついているだけで、世界は何ひとつ変わらないように見える。
──この日までは、確かにそうだった。
担任の宮代暁人が、答案の束を片手に教卓の前に立つ。三十代前半、穏やかで、眠たげな声。生徒からの人気は高い。
「今回、平均点は──」
その言葉が、音として形を持ちかけた瞬間だった。
乾いた破裂音が、教室の空気を真横に裂いた。
パン、と。
火薬の光も衝撃波もない、しかし耳の奥がキンと痛むほど鮮明な音だった。
全員が反射的に振り向く。けれどそこには銃もない。煙もない。破片もない。
あるのはただ、宮代暁人が胸を押さえ、ひざから崩れ落ちる姿だけだった。
「え……?」
「嘘でしょ……?」
「せんせ……?」
時間がノイズのようにゆがむ。
宮代の白いワイシャツに、血は滲んでいない。穴も、破れもない。ただ何かに撃ち抜かれたように胸を押さえ、苦しげに痙攣し──数秒後には動かなくなった。
誰かの叫びが上ずる。椅子を引く音、机を蹴る音、泣き声、スマホを握る震えた手の音。
教室全体が一瞬で壊れた水槽みたいに混乱し、凌はただ呆然と立ち上がっていた。
あれは銃声だった。
間違いなく、銃の音だった。
でもそんなはずはない。この国の、この普通の高校で、銃声なんて。
凌の手は冷たく汗ばみ、心臓が自分の意思を無視して跳ね回る。耳の奥がズキズキと痛い。
なのに、視線はどうしてか宮代の倒れた位置から離れない。
まるで「何者か」を探すように。
非常ベルが鳴り響き、廊下から教師たちが駆け込み、生徒たちは半ばパニックのまま教室から避難させられた。宮代の脈はなく、救急隊が駆けつけた時には、もう手遅れだった。
死因は「心臓の内破裂」。
外傷は一切なし。
その言葉は、ニュースで何度も繰り返された。だが、最初にそれを聞いたのは、保健室で震えるクラスメイトたちの中でだった。
凌は誰かに毛布をかけられたが、寒さが消えることはなかった。
*
午後。
学校中が封鎖され、全校生徒はグラウンドに集められた。ヘリの音が遠くから近づき、テレビ局の車が校門の外に詰めかけている。パトカーの列が続き、校舎の周囲は騒然としていた。
凌は、ただぼんやりとアスファルトを眺める。気温は上がっているのに、身体がずっと冷たい。
「朝倉、大丈夫……?」
声をかけてきたのは水城澪だった。黒髪のショートボブに、涼しげな瞳。クラスの中心というより、ひとつ外側からよく皆を見ているタイプだ。
「……ああ」
返事をした凌の声は、自分でも驚くくらいかすれていた。
「本当に……銃声、だったよね」
「……わからない。でも、聞こえた。はっきり」
「私も……。でも、先生、撃たれた跡なんて……」
澪は震える指先をぎゅっと握りしめる。
そこへ、九条朔が歩いてくる。冷静で、頭の回転が速く、けれど逆にそれが浮いて見える少年。
「朝倉。お前、窓際にいたよな。何か見えたか?」
「……何も。風くらいだ」
「そうか」
朔は短く答え、遠くのヘリを睨むように見上げた。
生徒たちがざわつく中、先生たちが何度も「落ち着け」と繰り返す。しかし落ち着けるはずがない。
その場にいた全員が、あの瞬間に聞いた音を、忘れられるわけがないのだ。
*
翌日、ニュースは全国を騒がせた。
「透明な銃声」
「見えない銃」
「新型テロか、未知の現象か」
SNSはタグだらけになり、嘘と本当が入り混じり、誰も真実がどこにあるのかわからなくなっていく。
教室と同じ現象が、他県の職場や電車内で起きたという速報。倒れた人たちの死因は全て同じ──心臓の内破裂。
まるで、見えない何かが体内から弾けたように。
世界は急速にざわつき、恐怖と好奇心が渦巻いた。
学校の公式発表では「原因不明の事故」とされたが、生徒たちは誰も信じていなかった。
そして三日後。
凌たちのクラスに、政府直属の対策班が現れた。
無機質なスーツ、身分証を胸につけた男たちが、教室の前で淡々と告げる。
「君たちは、最初の事例の中心にいた。安全確保と調査のため、特別な避難施設に移動してもらう」
反論する空気を許さない口調だった。
「保護者の同意はすでに得ている。移動は本日中に行う」
生徒たちは一気にざわつく。水城澪の顔は青ざめ、九条朔は無言で腕を組んだ。
南条カナは泣きそうになりながら、スマホを握りしめていた。
「朝倉さん……私たち、本当に行かなきゃいけないの……?」
「……わからない。でも、拒否はできないみたいだ」
凌が言うと、カナはぎゅっと唇を噛んだ。
移動先は、山間にある研究施設だという。
目的は「保護と検査」。
だが誰も、その言葉を本気で信じてはいなかった。
*
夕方。
大型の警備バスが校舎裏に止められていた。周囲には制服警官と、見慣れない黒服の男たちが立っている。外部の人間が近づけないように、校門周辺は封鎖されていた。
凌たち三十数名のクラスメイトは次々とバスに乗せられる。誰も喋らない。誰も、外の景色を見ない。
エンジンがかかると、車内の空気はさらに重くなった。
前方では小さなテレビがついており、ニュースが流れている。
「透明な銃声とされる現象が、つい先ほども発生し──」
「被害者は五名。全員、心臓の内破裂──」
「国は緊急対策本部を設置し──」
情報は雪崩のように流れ、しかし何一つつかめない。
凌はただ、ぼんやりと画面を眺めていた。
あの日。
宮代が倒れる直前、自分は何を思っていた?
──宮代先生、平均下げてきそうだな。
そんな些細な不満を抱いていた。それだけで、胸の奥が嫌な汗で満たされる。
もし、あの銃声が……
もし、誰かの心が撃ったのだとしたら……
もし──自分が宮代を疑ったから、あの音が鳴ったのだとしたら。
そんな馬鹿な、と頭では否定する。
だが胸の奥で渦を巻く罪悪感は消えない。
そのときだった。
ポケットのスマホが、ブルッと震えた。
「……え?」
通知を確認した瞬間、身体が固まった。
《弾丸は、心の中にある》
差出人不明。送信元の情報なし。
その一文だけが、画面に浮かんでいる。
息が止まったような静けさ。
背筋が、冷たい刃物でなぞられたように震えた。
意味がわからない。
理解したくない。
だけど、あの瞬間の銃声が耳の奥で再生される。
弾丸は、心の中にある。
──もしそれが、本当だとしたら?
その刹那、バスはゆっくり山道へ入り、通信が途切れた。
圏外になり、通知はそれきり消えないまま残った。
凌はスマホを握りしめる。
これが、ただの悪戯なわけがない。
この一文こそが──始まる地獄の予告だ。
これから向かう「避難施設」が、本当に避難のための場所なのかどうか。
誰も知らない。
知る術もない。
そして、誰もまだ気づいていなかった。
このクラスの中に、すでに「次に撃たれる者」が決まっていることに。
心の奥に宿った弾丸が、静かに形を取り始めていることに。




