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第1話 悪夢と熱の新学期。

「おーい、イト!」

「ん、」

 朝7時55分。

 濡れた髪を何とかハンドタオルで絞っていた糸宇イトウ歩頼ホヨリ、通称イトは、背後からかけられた呑気な呼び声に振り返った。

 見慣れた寝ぐせ頭が走ってくるのを見て、イトは静かに微笑む。声の主は幼いころからの友達である有栖川アリスガワリクであった。

「おはよっすー」

「おはよ」

「お前なんで髪びしょびしょなの? ちゃんと乾かしてこいよな、最近寒いんだしぃ」

「あーそれがな、聞いてくれよアリス。また例の赤い夢を見ちまって……」

「またか!」

 イトの話に、アリスが割って入った。これはアリスの癖で、よく人に嫌がられたが、イトは別に気にしていなかった。

 二人はやがて地元の駅に到着し、定期で駅構内に入る。いつも通りの光景だ。二日酔いのサラリーマン、ベンチに座って化粧をするOL、きゃっきゃと甲高い声で笑いあう女子高生。何もかもが同じだった。

「電車来るまで、まだちょっと時間あるよな? 俺、トイレいってくる! 実は漏れそう!」

 アリスは頭の後ろを掻きながら、イトの返答を聞く前に走り出した。これも大体いつもと同じ。アリスはいつも、駅のトイレで用をたす。

 イトはにやにやしながら駅のベンチに腰掛け、ポケットから携帯を取り出した。着信は0。これもおんなじ。しかたなく、駅の天井の隙間から見える細い空を仰ぎ見ながらぼーっとしてみる。


 イトはときどき、1年生のときに自分は何か特別なことをしただろうか、と疑問に感じることがあった。

 1年生といえば、まだほとんど中学生みたいなもので、難しい勉強や、スケールの大きい行事にいちいち驚いてしかいなかった。特に入りたい部活もなく、放課後はアリスと共に教室でくだらない話題を語り合うか、家に直帰してぼーっと考え事をしていた。

 それでもイトは、それが充実した高校生活であると思っていた。アリスは良い奴だし、それに――。


「あ、そーいやイト、ムラサキちゃんと同じクラスになれるといいな!」

「わ……っ!」

 突然アリスの声(音量大)が耳元で響き、危うく手から携帯をこぼれ落としそうになった。

「うは、いっちょまえに動揺してやがる!」

「ち、ちげえよおまえっ」

「なぁにが違うんですかぁ?」

「ぐ……」

 村崎ムラサキ桃子モモコ

 正真正銘、イトが入学式のその日に一目惚れした女子である。

「素直になっちゃいなぁイト! ムラサキちゃんと、同じクラスになりたいんだろっ」

 むかつく。

 アリスを睨みながらも、否定できない自分がむかつく。

「まあそりゃあそうだけどよ……」

「認めた!」

 肘でイトの脇腹をどすどす突いてくるアリスを脇目に、イトは脳内に浮かび上がった可憐な村崎桃子の姿をかき消そうとした。あのつやつやな黒のロングヘアも、白くてもちもちしていそうな肌も、まん丸で二重の、本当に魅力的な瞳も。じゃないと――。


『どうして……』


「……っ!」

 イトの肩が震え、冷や汗が流れる。

 やっぱりな、やっぱり赤い夢が邪魔してくると思ったんだ。と、イトは心の中だけで呟く。

「おう? イト、どうした?」

「いや、なんでもねえ」

「ん、そうか? 汗かいてるぞ」

「大丈夫。ほら、電車きた。乗るぞ」

「え? あ、ああ……」

 アリスを無理やり電車の中に押し込んで、はあっとため息をついてからイトも電車に乗り込んだ。

 うんざりだ、あんな夢。


 ●


 県立志戸瀬シドセ北高校は、イトの地元の駅から5駅離れた、割と都会な志戸瀬駅が最寄りの高校である。偏差値は上でも下でもなく、大体平均的な成績の生徒たちが入学してきていた。

 イトは心を高鳴らせながら、新クラスが掲示してあるロータリー中央部の掲示板に向かった。アリスはへらへらと笑いながら、イトの後をついてゆく。

 掲示板前では、大勢のセーラー服と学ラン(これまた平凡)がうごめいており、きゃーだのわーだのものすごい声を上げていた。

「よし」

「イトー同じクラスがいいなあ」

「うん」

「……お前本気で思ってるか?」

「おいしいよな」

「だめだこいつ、聞いてねえ」

 イトはじっと掲示板を見据え、人込みをかき分けていく。自然と眉間にしわがよっていたことは、そばにいたアリスにしかわからなかった。

「おおっ」

 イトとアリスは、同時に声を上げた。

「イト、同じクラスだな!」

「村崎とおんなじクラスだ!」

 アリスがしょんぼりしているのにわき目も振らず、イトは心の中でガッツポーズをする。2年C組。糸宇歩頼のいくらか下には、きちんと村崎桃子の名があった。その四文字だけが、イトの脳内をぐるぐる回る。赤い夢のことなんて、とうに忘れていた。

「ほーら、イト! 教室いくぞ教室っ」

「あ、おう」

 不機嫌なアリスの後について、イトは機嫌よく教室に向かった。


 ●


 教室は1年の頃と大して変わらなかった。一つ変わったとすれば、1年の時には3階にあった教室が、2階に下がったことくらいだろう。少し、日当たりが悪くなったような気がする、と、イトは顔をしかめる。

 イトとアリスは出席番号上続いているので、席も前と後ろだった。先生と目が合いやすいのに黒板が見えにくいこの席が、イトは嫌いだった。

「おー、松前マツマエじゃん」

「アリスにイト! ……またあんたたちと同じクラスなんだ……」

「なんだよー。もっと嬉しそうな顔しようぜ」

 アリスの席のそばに、松前マツマエ伊織イオリの姿があった。ポニーテールが輝かしく、いつもスポーツドリンクのような香りを漂わせている彼女は、昨年イトやアリスと同じクラスで、つるむことが多かった。部活は陸上部。活発で、男子にも人気が高い。

「イトは別にいいけどさ、アリス、あんたはいや」

「なんだよみんなして! 俺と同じクラスであることを少しは喜べよ!」

「え、俺喜んでるよー」

「鏡を見ろ! 嘘ですって書いてあんだよ!」

 泣き出しそうなアリスを見て、イトと松前は腹を抱えて笑った。

 アリスは1年のときから賑やかでおもしろく、クラスの中心にいるような男だった。イトとは違い、毎日に刺激を求めて休日にはいろいろなところに出かけているらしかった。だがなぜか、部活には入っていない。

「アリスー、お前部活とかやらねえの?」

「は? いきなりなんだよイト。いつだか言わなかったか? 俺は、熱いのとかみんなで力を合わせましょーみたいのは勘弁なの! 家に帰って、ひとりでしっとりと、趣味を楽しみたいのさ」

「ふーん。きもちわるっ」

「てめえ……」

 別にイトは、毎日に刺激を求めているわけではない。ただ、刺激があった方が楽しいのかな、なんて不意に思ってしまうことがあるのである。


「刺激があったところで、それを自分が楽しまなくちゃ、『楽しさ』は生まれないのだよ」


 イトが心の中で思ったことに応えるように、背後から高々とした声が響いた。

「え?」

 三人で同じ声を発し、三人で振り返る。

「お早う諸君! いや、まずは初めましてだろうか。俺は2年からこの学校に通うことになった神山カミヤマ丈幸タケユキだ! 前の学校でのニックネームは『カミ』だった! まあ好きに呼んでくれて構わないのだが、『カミ』と呼ばれた方が俺が振り向く可能性は高いぞははっ」

 ……。

 第一印象は、まあ……『変人』というのがしっくりくるだろう。

 イトは隣に立っていたアリスと松前を見て、「ああ、この二人も自分と同じことを思ったんだろうなあ」ということに容易に気付いた。

 イトの目の前には、イトと大体同じくらいの背の、白い歯をきらりと光らせた男が、胸を張って立っていた。黒目の肌の上に浮かんだ切れ長の目に、黒くてさっぱりとした短髪。美形だ。

「えっ、と、あたし松前伊織! みんなからは普通に名字で呼ばれてるから、それでいいよ!」

 唖然としていた3人の中で、一番最初に口を開いたのは松前だった。

「おお、松前か! 美しいな!」

 この男、すべてのセリフの後ろに感嘆符がつきそうなくらいはきはきとものを喋る。

 松前の手をがっしりつかむと、ぶんぶんと振り回す勢いで握手を交わした。

「あは、あははは……」

 松前は困っている。

「俺、有栖川陸。アリスって呼ばれてる」

「アリスか! 不思議の国ってか!」

「あは、は」

 アリスも困っている。

 イトの番だ。

 無理やりにっこり笑って自己紹介しようと口を開いた瞬間、目の前の男は……なぜか微笑んでイトの言葉を遮った。

「お前の名は知っている。糸宇歩頼だな」

 打って変わったような、落ち着いた声だ。一瞬、イトは黙り込む。そして、慌てて口を開いた。

「え、なんで――」

「お前には世話になるからな! ははっ、よろしく頼むぞ!」

 戻った。

 イトの頭の上に、無数の疑問符が浮かぶ。いま、何が起こった?

「な、なんだよイト、お前カミと知り合いだったのか! ならこの後はよろしく頼むわ!」

「そ、そうだね! イト、いろいろ教えてあげてよね!」

「ちょ、アリス! 松前! 待っ……」

 アリスと松前はそそくさと自分の席へ戻り、こちらを振り返らなかった。薄情者どもめ。イトは仕方なく、神山という男と向き合う。

「俺はお前をずっと知ってるんだぞ糸宇歩頼! むしろお前が俺のことを知らない方が不思議だ!」

「あー、俺のことはイトって呼んでくれていいよ。みんなそう呼んでる。ていうか、俺たち初対面だろ?」

「イト! そうだな初対面だな!」

 そんなまっすぐに答えられても!

 心の中でつっこみながらも、イトは続けて質問をしてみる。

「なんで俺の名前を知っているんだ? 俺はお前の名前を知らなかったぞ?」

「ん? お前、『夢』をみていないのか?」

「夢ぇ?」

 夢って言われても……夢……夢。

 途端に、イトの頭の中が真っ赤に染まる。

「おい、イト?」

「……あ、ごめん。夢なんてみてねえよ。ほら、ホームルーム始まるだろうし、自分の席戻れよ」

「ああ、イト、俺の席ここなんだ」

「そうか。それなら……って、え?! 俺の隣?!」

「ああ! よろしくな!」

 よく考えてみれば、糸宇と神山。出席番号で考えて席が近くてもおかしくはないが……隣とは。

 イトは頭を抱え、席に着く。担任が教室に入ってきた。髭面の熊井という先生だ。去年もイトの担任であった。口の中でモゴモゴものをいう先生で、担当である数学の授業も分かりづらく、生徒人気はどん底といっても過言ではなかった。

「あーまたクマかよ……」

 そんな風に呟く、アリスの声が前から聞こえた。イトもそう思っていた。

 ふと、そういえば、村崎に対面していないこということに気付いた。クマの背後、黒板に張ってある座席表を見ると、村崎の席は松前の後ろだ。しかし、実際に見た松前の後ろの席はぽっかり空いたままだった。

 アリスが振り返ってイトに話しかける。

「ムラサキちゃん、どうしたんだろーな」

「遅刻じゃね? わかんねえけど……」

 心配だ。イトは悩ましげに眉間にしわを寄せ、教室を見渡す。どうやら、村崎の他にも2人遅刻しているようだ。

「……このクラスの担任になった熊井元博モトヒロだ。担当は数学、進路指導もしている。……俺の紹介はこれくらいでいいだろう。さっそく出席を取る。天塚アマツカ……天塚はいないのか」

 クマは髭に囲まれた色素の薄い唇をへの字に曲げ、持っていたペンの先で額を掻いた。アリスの前の席、出席番号1番の天塚がいなかったからだ。

「困った。まあいい。次、有栖川」

「はいはーい。クマちゃん今年もよろしくなー」

 アリスが高らかと手を挙げ、その手をクマに向かってひらひらと振る。クマは無視した。

「糸宇」

「はーい」

「クマちゃん無視上手ね」

 クラスが一斉に笑いだす。そう、アリスは1年の時もこういう奴だった。こうやって、いつもみんなを笑わせるのだ。

「次が……」

 クマはモゴモゴとC組の生徒の名前を呼んでいく。1年の時よりもモゴモゴ度がアップしたような気がした。

「松前」

「はいっ」

「村崎」

「は、はいっ! います、いますーっ!」

 教室の扉が勢い良く開かれ、息を切らした女子生徒が高々と天に向かって手を伸ばしていた。

 イトは目を見開く。村崎桃子、その人だった。

「村崎、遅刻だな」

「そ、そんなぁー! ちゃんと来ましたよっ」

「残念だが」

「う、うぅ……」

 村崎は肩にかけていた鞄を下ろし、力なく自分の席へ向かう。まだ息を切らしていたので、たぶん相当走ったのだろう。しかし、彼女の黒くてきれいな髪は、全く乱れておらず、輝きを放っていた。

 イトは見とれてしまっていた。憧れていた村崎が、いま、ここ、イトと同じクラスにいる。それだけで感動している自分はどれだけ恋する乙女なのだろう、と、少し自分に呆れた。

「美しいな……」

 隣で呟く声があった。

 神山。

「え、ちょっ、とオイ!」

 静かな教室で、思わずイトは立ちあがってしまった。

「イト、どうしたんだ?! 事件か!」

 神山が叫ぶ。顔が熱くなる。クラス全員の視線がイトへ注がれ、そのほとんどが笑っていた。

「い、や……なんでも……」

 ふと視界に村崎が入る。いそいそと鞄を開けて何かを探していた村崎は、イトと目が合い、にっこりと笑った。イトの頭の中で、何かが爆発し、血が上る音が聞こえた、気がした。

 アリスと松前が、こちらを見てにやにやしている。ようよう兄ちゃん青春してんじゃねえの、と目が言っていた。クラスメイトも爆笑しだす。イトは知らず知らずのうちに真っ赤になっていた。

「イト、座るんだ!」

 神山に言われ、ああ……と声を発してイトは席に着いた。恥ずかしすぎて、目が回った。


 ●


 その日の日程が終わり、クラスメイトがいなくなった教室で、イトはアリスと談笑していた。

 松前は部活があるからと言って、重そうなエナメルバッグを肩にかけ、足早に教室から出て行ってしまった。村崎も、いつの間にか教室からいなくなっていた。メルアドをゲットしようと思っていたイトだったが、今日は諦めることにした。

「いやあ、なに? イト、お前おもしろいよ」

「今日のあれは……忘れてえ」

「あっははは! カミの言葉に反応したんだろ?! 純情だよな!」

「うるせえ!」

 涙を流しながら爆笑しているアリスを強く睨みつけ、イトはサッカー部が活動しているグラウンドに目を向けた。

「え……?」

 ちらりと見えた、二つの背中。カップルのようだ。手をつなぎ、楽しげに話している。

 そこまでは見知った光景である。ただ気になるのは。

「村崎と……」

「あ? あっ、あれって……! なんで?! イト、なんで?!」

「知るかよ……」


 気になるのは、手をつないでいる人物が村崎と神山であること、くらいだ。



 つづく



 


 




 やっと連載です……!

 これは短編の鬱々とした読んでて目が重たくなってくるような者とは違い、明るく元気に書き綴っていこうと考えております。いえい!←

 第1話からこんなに長くしてしまって、先行きがとても不安ですが、がんばります!

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