プロローグ
雪が降っていた。
赤い空があって、
赤い男は、
溢れる涙を拭いながら何度も名前を呼び続けるのだ。
どうして。
どうして……。
こんな筈ではなかった。
私は、お前を――。
いつもだ。
必ず、ここで目が覚めてしまう。
彼は黒い短髪をかき上げ、眉間に皺を寄せながら天井を睨み付けた。
まだ四月だというのに、彼のTシャツは汗にまみれ、額にも粒が浮いている。……と言うのも、全ては最近見るようになった奇妙な夢のせいであった。
「きもちわりい」
そう一言呟いて、彼は風呂場に向かった。
彼は、今日から高校2年生になる。
新しいクラスとか、新しい教室とか、そういう当たり前のことも気になりはしていた。しかし、実際それよりも気になっていたのは、すきな女の子と同じクラスになれるかどうかという、邪な事柄であった。
1年のときに一目惚れした、輝くあの子。
熱いシャワーに茹でられながら、彼の妄想はあらぬ方向へ曲がって曲がって曲がって、やがてあの子は、赤い風景の中に行き着いてしまった。
ただただ赤い中で、彼女が泣く。
そして、低い声で彼の名を呼ぶのだ。
どうして……。
「……っ!!」
なんてことだ。
違う、彼女とあの赤い夢は全く関係ない。
残酷なことに、赤い夢は彼の心の奥深くまで浸透してしまっていたのだった。
彼が赤い夢を見始めたのは3〜4ヶ月前、ちょうど新年が明けて、名前も顔も知らないような親戚から貰った多量のお年玉に、心を踊らせていた頃だった。
親戚たちのいる前で、1月3日、彼の16歳の誕生日を祝うことになった。
親戚は口々に「おめでとう」「勉強を頑張るんだぞ」「もう大人だなぁ。酒、飲むか」などと声をかけてきたが、何せ顔を知らないため、彼は軽く会釈をするくらいで済ませていた。
そんな中で、突然父が妙な面持ちで彼に話しかける。
「お前は遂に、16歳になった。これからはお前にとって、人生を揺るがす期間になるだろう。あの御方を、精一杯お守りしなさい」
と。
彼には、意味がわからなかった。父がこんなことを言う意味も、親戚たちが一斉にこちらを見ている意味も。彼には、もう20歳になる姉がいたのに、親戚たちの目はただじっと、彼だけを捉えていた。
そして、ちょうどその頃から赤い夢を見始めた。
最初はただ悪夢を見ただけだと思った。しかし、その夢は頻繁に彼の眠りの中に現れ、いつも決まって同じところで目を覚めさせる。これは明らかになにか原因かあると、彼は考えた。
心を病ませているのか。いや、彼自身ではそんな自覚はない。
霊がとり憑いているのか。彼は生まれてから今まで、一度も幽霊なるものを見たことはない。
では……。
『あの御方を、精一杯お守りしなさい』
あれに何かあるに違いない。
「げっ」
「あら」
風呂場のドアを開けた彼は、姉と視線をぶつけることになった。
「お前、なんでここにいるんだよ!」
「お前じゃなくて、お姉様でしょ。なぁに、大学に行く準備をしちゃ悪いって言うの?」
「え……ちょ、今何時?!」
「7時30分」
「うわ、遅刻する!」
彼はバスタオルを投げ出し、2階にある自分の部屋へと向かう。背後からは、姉がしゃこしゃこと歯を磨く音が響いていた。
ただ、平穏な毎日を送っていた。
それだけだったのに。
彼の静かな道は壊された。
代わりに置かれたのは、紛れもない、砂漠。
となりのカミサマは、にこりと微笑んだ。
『となりのカミサマ』