第7話:楽園の賢者
助けられた謎の美少女、エリちゃんの視点です(*'▽')
――冷たい。暗い。揺れる。
それが、私の意識が最後に捉えた世界の全てだった。
政争に敗れ、反逆者の娘として小舟に押し込められ、大海原へと流された私、エリザ・フォン・シチリエ。死を覚悟した私を飲み込んだのは、絶望の嵐だった。
だから、次に目を開けた時、自分が生きていることが信じられなかった。
(……ここは?)
冷たい舟底ではない。柔らかな何かに身体が包まれている。パチパチ、と耳に心地よい音が聞こえ、頬には優しい暖かさを感じた。
ゆっくりと身を起こすと、そこは石と木で造られた、こぢんまりとしながらも清潔な小屋の中だった。燃え盛る暖炉の火が、室内を温かく照らしている。
そして、その暖炉の前の椅子で、一人の青年がうたた寝をしているのが見えた。
年の頃は、私と同じくらいだろうか。陽に焼けてはいるが、元々の肌の白さが透けて見える。追放された王子という境遇からは想像もつかないほど、その表情は穏やかだった。
王宮で見た時よりも、少しだけ伸びた青みがかった髪が、柔らかな光を受けてさらりと揺れている。整ってはいるが、兄君たちのような猛々しい武威や、計算高い冷徹さとは無縁の、どこか人好きのする優しい顔立ち。
見覚えがある。そうだ、あれは確か……。
脳裏に、数年前の王宮で遠目に見た、嘲笑の的となっていた少年の姿が蘇った。
神から史上初のSSS級ギフトを授かりながら、その能力が「汗から不浄な塩を出すだけ」という、あまりに無価値なものだったと笑いものにされていた、あの王子。
状況が呑み込めてきた。
彼は、サリス王国の第四王子、レオン・ド・サリス。
私の家が没落する少し前、彼もまた、兄たちの策略によって王籍を剥奪され、追放されたと聞いていた。どうやら、この島で生き延びていたらしい。そして、私を助けてくれたのだろう。
彼が動いた物音で、私の思考は中断された。うたた寝から覚めたレオン殿下が、私と視線が合うと、ぱっと顔を輝かせた。
「あ、目が覚めたんだね。よかった……!」
純粋な安堵。裏表のない、優しい声。
だが、人間不信に陥っていた私は、素直にその善意を受け取れなかった。かろうじて貴族の礼儀を保ち、声を発する。
「……失礼ながら、あなたはサリス王国の第四王子、レオン・ド・サリス殿下ではございませんか?」
彼は私の言葉に少し驚いたようだったが、すぐに困ったように眉を下げて、自嘲気味に笑った。
「ああ、そうだよ。噂通りの、出来損ないの王子さ。君も大変だったみたいだね。浜辺に打ち上げられていたんだ」
(やはり…...。彼も、私と同じく国に捨てられたのだわ。哀れな人…...)
警戒心は、未知への恐怖から、侮りと同情が入り混じった複雑な感情へと変わっていた。それにしても、と私は内心で首を傾げる。出来損ないの王子が、どうやってこの無人島で、こんな文化的な生活を送っているというのだろう。
「お腹が空いているだろう?温かいスープを作るよ。少し待っていて」
そう言うと、レオン殿下は調理を始めた。
私は彼の行動から、この島の生存術を盗もうと、注意深くその一挙手一投足を観察する。そして、私の常識は、いとも容易く覆された。
レオン殿下は、外から何の躊躇もなく、桶に海水を汲んできた。
(まさか、海水を煮詰めて塩を…?途方もない時間と薪が必要になるはず…...)
そう思った、次の瞬間。
桶から杯に海水を移し替え、手をかざすと、一瞬、魔力が揺らめいたように見えた。それだけだ。
「よかったら、飲んでみて。真水だよ」
差し出された杯の水を、疑いながらも口に含む。塩辛さは、一切ない。完璧な真水だった。
「なっ…...!?」
浄化魔法?いいえ、神殿の最高位の神官ですら、これほど大量の海水を一瞬で浄化することなどできはしない。
これが、あの“汗を出すだけ”と酷評された【塩創造】ですって…...?
私の驚愕をよそに、彼は調理を続ける。
今度は、桶の海水に向かって指先でつまむような仕草をした。すると、水の中から雪のように白く輝く結晶体が生まれ、彼の指先に吸い寄せられるように集まっていく。
その塩の、あまりの白さと輝きに、私は息を呑んだ。
我がサリス王国の富の源泉、奇跡の泉から採れる「聖塩」。貴族令嬢として、その価値も見た目も知っている。だが、目の前で生み出されたそれは、聖塩すら霞んで見えるほど、完璧で純粋な輝きを放っていた。
半ば無意識に、私のギフト【鑑定眼】が発動する。
脳裏に、情報が流れ込んできた。
『鑑定対象:塩の結晶』
『構成要素:純粋なる塩の理』
『不純物:皆無』
『価値:測定不能』
(嘘よ…...嘘よ!王家は!国は!この力を“ゴミ”と断じて捨てたというの!?なんと愚かな…!この力があれば、枯渇しつつある聖塩泉の問題など、容易く解決できたはずなのに!)
激しい怒りが、心の底から湧き上がってきた。
レオン殿下は、床下の貯蔵庫から、保存された塩漬けの猪肉や魚の燻製を取り出し、手際よくスープを作っていく。
無人島とは思えない豊かな食料。神業としか思えない魔法。
目の前の青年は、私が知る「哀れな王子」ではなかった。彼は、世界がその価値を理解できなかっただけの、孤独な賢者だったのだ。
差し出されたスープ。
毒など入っているはずがないと、もうわかっていた。無防備に先に口をつける彼の姿を見て、私もおそるおそる、彼の手作りであろう木製の匙でスープを口に運ぶ。
その瞬間、疲弊しきった身体の隅々にまで、温かい滋味が染み渡っていくのを感じた。
王宮で食したどんな豪華な料理よりも、心に響く味。張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れる。私の頬を、涙が伝っていた。
「私の名は、エリザ・フォン・シチリエ。私も、あの愚かな国の政争に敗れ、捨てられた身ですわ」
気付けば、私は自分の身の上を明かしていた。声には、もはや国への敬意など欠片もなかった。
「そっか…...。僕たち、同じ境遇なんだね」
寂しそうに笑う彼に、私は力強く首を横に振った。
「いいえ、レオン様。あなたは違う。あなたは、あの国に見限られたのではございません。あの国が、あなたの価値を見抜けなかっただけです」
私は改めて、意識して【鑑定眼】を彼に向ける。
『鑑定対象:レオン・ド・サリス』
『ギフト:【塩創造】(SSS級)』
『状態:心身健全、善意、穏やか』
『危険性:皆無』
私の目には、彼が底知れないほどの魔力を持ちながら、それをひけらかすことなく、ただ穏やかに、優しくあろうとしている姿がはっきりと見えた。
そして、洞察が確信に変わる。
この力は、一人の人間が隠遁生活を送るために使うには、あまりにも強大で、あまりにも尊い。この力はいずれ世界に気づかれる。その時にこの人を支え、権力者の悪意から守る。それが、この私に与えられた新たな使命なのだと。
椅子から降りた私は、彼の前に、静かに片膝をついた。
「レオン様。どうか、このエリザをあなたの最初の民として、そして最初の臣下として、お側に置くことをお許しください。私のこの【鑑定眼】は、あなたの力がこの世界にとっての至宝であると告げています」
「ええっ!?な、何言ってるの!?そんな大げさな…...僕はただ、ここで静かに暮らしたいだけで…...」
彼は本気で困惑し、慌てて私を立たせようとする。
その謙虚で、どこまでも争いを好まない姿に、私はさらに信頼を深めた。
「まずは、ゆっくり休んで。僕たちは対等な、この島での同居人だよ」
彼はそう言って、優しく微笑んだ。
孤独な賢者の楽園に、彼の真価を見抜く聡明な令嬢が加わった。ただ静かに暮らしたいだけの元王子と、その優しすぎる力を、いつか来るであろう脅威から守るため、彼の隣で道を示そうと心に決めた元令嬢。そんな二人の、奇妙で、しかし温かい共同生活が、今、静かに始まった。
この日、エリザ・フォン・シチリエの絶望は終わり、新たな人生が幕を開けたのだった。
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