第6話:運命の漂着者
物語がゆっくりと、確実に動き始めます。
猪の肉を手に入れてから、俺の食生活はさらに豊かになった。
塩漬けにした肉は、地下の貯蔵庫でゆっくりと熟成され、生ハムのような深い味わいを生み出す。燻製にした肉は、日々の貴重なタンパク源となった。
そして、解体の際にていねいに剥がした猪の皮。これもまた、重要な資源となる。
俺は皮に残った脂肪や肉を塩のナイフで綺麗に削ぎ落とし、海水に浸して汚れを落とす。その後、木を燃やして作った灰を溶かしたアルカリ性の水に漬け込み、毛を抜きやすくした。
これは、王宮の書庫で読んだ古代の生活技術に関する記述と、おぼろげな前世の知識が、頭の中で結びついた結果だった。
数日後、毛を抜き去った皮を、今度は森で見つけたタンニンを多く含む木の皮と共に水に漬け込む。「なめし」という工程だ。
ここでも【塩創造】が役に立った。塩分濃度を調整して浸透圧を操作し、なめし液が皮の組織に効率よく浸透するのを助ける。本来なら数週間から数ヶ月かかる作業を、俺は数日で終わらせることができた。
そうして手に入れた一枚のなめし革。
俺はそれを使い、簡単な靴と、道具を入れるための丈夫な腰袋を作った。自分の手で、生活に必要なものを一つ一つ生み出していく喜びは、何物にも代えがたい。
島に漂着してから、数ヶ月が経った。
灼熱の太陽が照りつけていた夏は過ぎ去り、朝晩の風に、少しずつ秋の気配が混じり始める。比較的温暖な気候の島だが、それでも季節の移ろいは確かに感じられた。俺の生活は完全に安定し、もはや「サバイバル」ではなく「暮らし」そのものになっていた。
そんな、いつもと変わらないはずだった一日。
空が、不穏な色に染まり始めた。
昼過ぎから吹き始めた風は、夕方になる頃には海が唸りを上げるほどの暴風へと変わっていた。空は鉛色の雲に覆われ、時折、空を裂く稲光が、荒れ狂う海面を白く照らし出す。
小屋の中にいても、壁や屋根を叩きつける風雨の音が凄まじい。
「……嵐か」
俺は自作のベッドに横になりながら、頑丈な我が家が揺らぐことのないのを確かめ、安堵のため息をついた。もし、この家がなかったら。もし、あの洞窟でこの嵐に遭遇していたら。そう思うと、背筋が少しだけ寒くなる。
やがて、絶え間なく続く風の音は、俺にとっての子守唄となり、いつしか深い眠りへと落ちていった。
◇
翌朝。
嵐は嘘のように過ぎ去り、空には抜けるような青空が広がっていた。洗い清められたような空気の中、俺は被害がないか確認するため、そして何かめぼしい漂着物がないか期待しながら、いつものように浜辺へと向かった。
そして、信じられない光景を目の当たりにする。いつもは穏やかな入り江の砂浜に、一隻の小舟が打ち上げられていた。俺が乗ってきた舟よりもさらに小さく、マストも帆もない、手漕ぎ用の簡素な舟だ。嵐でどこかから流されてきたのだろう。
(……舟か。修理すれば、この島から脱出できるかもしれない)
そんな考えが、一瞬、頭をよぎった。だが、すぐにその考えを打ち消す。帰る場所など、どこにもない。むしろ、今の俺にとってはこの島こそが安住の地だ。舟のことは、後で考えよう。何か使える資材があるかもしれない。
俺は舟に近づき、中を覗き込んだ。
そして――息を呑んだ。
舟底に、誰かが倒れている。
びしょ濡れになった簡素なドレス。月光のように美しい銀色の髪が、濡れて顔に張り付いている。
年の頃は、俺と同じくらいだろうか。その顔は、極度の衰弱と疲労で蒼白だったが、それでもなお、気品と美しさを隠しきれていなかった。
「……生きているのか?」
俺は慌てて舟に飛び乗り、その少女の首筋にそっと指を当てる。かすかだが、確かな脈動が感じられた。唇も、わずかに動いている。――生きている。
その事実に、安堵すると同時に、どうしようもない使命感が湧き上がってきた。
助けなければ。
俺は、自分よりも小柄な少女の体を、壊れ物を扱うように慎重に抱き上げた。驚くほど軽い。どれほどの時間、飲まず食わずに漂流していたのだろうか。
彼女の体は、氷のように冷え切っていた。比較的温暖な気候であっても、一度濡れた体で海風に晒され続ければ、海水は容赦なく体温を奪っていく。このままでは危険だ。
俺は急いで自分の小屋へと戻ると、ベッドの上に彼女をそっと横たえ、濡れた衣服を脱がせて、予備として作っておいた葉っぱのシーツで体を包んだ。
そして、暖炉に火をくべ、部屋を暖める。
次に、俺は海水を汲んできて果実を放り込み、そこに【塩創造】を発動した。
(――人体の塩分濃度に合わせた、等張液を生成。ブドウ糖に相当する、吸収しやすい糖分を、森の果実から抽出した成分で再現しろ!)
即席の経口補水液だ。俺は布の切れ端にそれを浸し、少女の乾ききった唇を、ゆっくりと湿らせていく。
こくり、と、彼女の喉がかすかに動いた。
飲んでいる。本能が、生きようとしている証拠だ。
俺は安堵しつつも、予断を許さない状況に気を引き締める。孤独だった俺の楽園に、初めて訪れた、もう一人の人間。彼女が何者で、なぜここに流れ着いたのかはわからない。
だが、今はただ、目の前の儚い命を救うことだけを考えよう。俺は暖炉の火を絶やさぬよう薪をくべながら、静かに彼女が目覚めるのを待ち続けた。
夜の静寂に、暖炉の薪がはぜる音と、少女のかすかな寝息だけが響いていた。
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