第2話:神の御業
第二話もお読みくださり、本当にありがとうございます!
追放されてから、何日が過ぎただろうか。
昼は灼熱の太陽に体力を奪われ、夜は凍えるような海の冷気に身を震わせる。わずかばかりの食料と水は、三日も経たずに底をついた。
唇は乾ききってひび割れ、喉は焼けるように痛い。
目の前に無限に広がるこの海水が、もし飲めたなら。
そんな叶わぬ願いを、何度繰り返したかわからない。
空腹と渇きで朦朧とする意識の中、俺はただ、小舟の上で死を待つだけだった。やがて、空がにわかにかき曇り、穏やかだった海が牙を剝き始める。
時化だ。
小舟は木の葉のように翻弄され、抗う術もなく、あっという間に巨大な波に飲み込まれた。
「がはっ……!」
冷たい海水が容赦なく気道を塞ぎ、肺腑に流れ込んでくる。手足の感覚が麻痺し、意識が急速に遠のいていく。ああ、そうか。こうやって、誰にも知られずに死んでいくのか。出来損ないの王子には、実にふさわしい、惨めな最期だ。
自嘲めいた思考を最後に、俺の意識は深い闇へと沈もうとしていた。
その、刹那だった。
脳裏に、今まで経験したことのない、膨大な記憶の濁流が流れ込んできた。高層ビルが立ち並ぶ街。無数の鉄の箱が行き交う道路。知らない人々、知らない言語。
そして――膨大な『知識』。
そうだ、俺は『日本人』だった。
この世界に生まれる前の記憶だ。なぜ今まで忘れていたのか…。どうやら死の淵に立った過酷な環境が、魂の奥底に眠っていた扉をこじ開けたらしい。
化学式、物理法則、人体構造……。
その奔流の中で、ひときわ鮮明な一つの知識が、俺の意識を打ち据える。
『塩化ナトリウム(NaCl)』。
海水に含まれる塩分。そして、人間の生命維持に不可欠な物質。
――待てよ?
三年前、俺の【塩創造】が出したのは、汗の塩だ。
それは、俺が無から有を生み出そうと手のひらを見つめ、『自分の手から』塩を出そうと念じたからだ。ギフトは、術者の意図を忠実に反映する。ならば。
もし、
この俺を飲み込もうとしている、無限に広がる『海水そのものから』、塩を取り出せと念じたら?
もはや、生き汚いとは思わない。ただ、確かめたい。
俺の人生をめちゃくちゃにした、この忌々しいギフトの本当の姿を。
薄れゆく意識の最後の力を振り絞り、俺は念じた。
(この俺の身体ではなく――俺を取り巻くすべての海水から!)
(純粋な『塩化ナトリウム』だけを――分離しろ!)
次の瞬間、信じられない現象が起こった。
俺の身体の周囲の海水が、まるで沸騰したかのように激しく泡立った。そして、水中に、雪のように真っ白な結晶が、無数に、爆発的に現れる。キラキラと光を乱反射させながら、それらはゆっくりと海の底へと沈んでいった。
同時に、俺の口に入ってくる水の味が、劇的に変化していた。あれほど強かった塩辛さが、嘘のように消え失せている。
これは――真水だ。
「ごくっ……ごくっ……!」
本能のままに、俺はその真水を飲み干す。
乾ききった身体の隅々に、命の水が染み渡っていくのがわかった。
奇跡的に近くに浮いていた舟の残骸にしがみつきながら、俺は呆然と自身の手のひらを見つめた。俺の魔力が、まだ身体の周りの海水を真水に変え続けている。
半径1メートルほどの範囲だが、そこは間違いなく、淡水の領域になっていた。
【塩創造】。
それは、汗から塩を作るだけのくだらない魔法ではなかった。万物から塩の理を支配し、その存在を練り上げる――文字通り、神の領域に踏み込むための鍵だったのだ。
俺は、死なない。いや、死ねない。
この力の本当の意味を、俺はまだ何も知らない。
確かめなければならないことが、山ほどある。
遠くにかすむ島の影を見据えながら、俺の口元には、追放されてから初めて、笑みが浮かんでいた。
俺を捨てた王国よ。俺を嘲笑った兄たちよ。あなた方が手放した力がどれほどのものだったか、まだ知る由もあるまい。
幸いにも、時化は過ぎ去り始めていた。
俺は舟の残骸をビート板のように使い、生存への渇望だけを頼りに、島の影へと向かって必死に手足を動かし始めた。身体は鉛のように重いが、心は不思議なほど軽かった。
――これは、絶望の淵から始まった、俺だけの楽園を創る物語。
そして、俺がただ静かに暮らしたいと願うほど、世界が俺を放っておかなかったという、皮肉な伝説の始まりである。
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