6.義姉曰く、私は悪役令嬢を断罪するヒロインらしい(前)
「これは……」
「ヴッ」
「なんてひどい……」
突然現れた水の玉に驚いたのも束の間、そこに映し出された内容の凄惨さに、皆が息を呑んだ。
小さく悲鳴をあげ、吐き気を催している人もいた。
私はその様子をぼんやりと眺めながら、昨夜のことを思い出していた。
昨夜、王城に着いてすぐ。
私は義姉から聞いていた聖女の力に関する情報を、一つ一つ確認していた。
そこで気付いたのだが、どうやら私は聖女の力を操ることに長けているらしかった。
聖女の起こすキセキは三つ。
癒しのキセキ、守りのキセキ、鏡のキセキ。
中でも鏡のキセキは汎用性が高く、今回のように過去を映し出したり、真実を見極めたり、使い方によっては攻撃に転じることもできるのだと言う。
原作での私も水の玉を操り、そこに家族の悪事を映し出し、断罪を行ったと聞いた。
私はできるだけ早く、これらの力を使いこなせるようになりたかった。
修得方法も何も分からなかったけれど、思いつくままに手を振ったり、かざしたりしてみる。
そして花瓶に向かって手をかざした時、生けられた花を含む花瓶全体が、薄く透明な膜に包まれた。
対象を保護し、干渉を防ぐ、守りのキセキを施せたのだ。
それは、忘れていた記憶が突然呼び起こされたような、知らないはずなのに始めから知っていたような、不思議な感覚だった。
自分に何ができるのか、どうすれば良いのか、自然と理解することができ、自然と体が動く。
原作では義姉に邪魔されつつも必死に練習し、一つずつ修得していたと聞いていたので、これは私にとって嬉しい誤算だった。
おかげで今、応接間の空中に浮かぶ水の玉には、途切れることなく過去の映像が映し出されている。
鞭に打たれて飛び散る血。
蹴られ、殴られ、変色した肌。
熱湯をかけられ、赤黒く爛れた火傷の痕。
地面に直置きされた腐ったご飯。
まともな食事が出されたかと思えば、奥から出てくる虫の死骸。
無理やり食べさせられた家畜の汚物。
義母と義姉の怒声が、笑い声が、私の叫びが、呻きが、応接間に響き渡る。
こうして過去を振り返ることは、私自身にとっても辛いものがあった。
誰かに見られることも、決して平気なわけではない。
自分自身に癒しと守りのキセキをかけることで、逃げ出しそうになる自分を無理やり抑えつけていた。
暫くして、ゆっくりと口を開く。
「これが、少し虐めた、ですか?」
「ぁ……」
ロジェ殿下を見れば、もう義姉の肩を抱いてはいなかった。
「わ、私は……ここまで酷いことをされているなんて、知らなかったんだ……」
「例え知っていたとしても、殿下に口出しする権利はありません」
「……っ」
「どんなに謝られようと、反省しようと、許す許さないを決めるのは被害者です。ましてや当事者でもないロジェ殿下、あなたにそんなこと言う権利はない!」
ロジェ殿下を睨み付け、思わず叫ぶようにして吐き出した。
殿下は自身の発言を恥じているのか、サッと顔を赤く染め、唇を噛み締めた。
きっともうこれ以上、殿下が口出ししてくることはないだろう。
家族へと目を向ければ、父は映像から目を逸らし、頭を抱えて俯いていた。
義母はガリガリと爪を噛み、貧乏揺すりをしている。
義姉は虚ろな目で涙を流し「ごめんなさい」と「どうして」を繰り返し呟いていた。
「お義姉様、もう謝らないでください」
「ごめ、ごめんなさい! 私、ごめっ……」
「お義姉様が楽になるための謝罪なんていりません」
「ち、ちがう、私は……」
「謝罪も反省も償いも、それって全部お義姉様が楽になりたいだけでしょう? もし少しでも悪いと思う気持ちがあるのなら、お義姉様が楽になるためだけの謝罪を私に押し付けないでください」
「違う! どうして、私は、私は……」
義姉は涙と鼻水を拭うこともせず、悔しそうに拳でテーブルを叩いた。
確かに義姉は、殿下の言っていた通り、過去の行いを後悔しているのだと思う。
しかし、それは処刑される未来があってこその後悔であり、謝罪も同様であった。
虐げた行為自体に対する罪の意識や後悔は、義姉にはないのだ。
そんな加害者にいくら優しくされようと、長年に渡って植え付けられた恐怖と痛みが癒えるはずもなく。
彼女達を許そうとも、思えるはずがなかった。
どうしたって私は、彼女達を許せなかった。
「どんなに謝られようと、私はあなた達を許せません。でも、だからってあなた達を同じ目に合わせたいとか、そんなことは思いません。あんなことを人にできるなんて……どうかしてる」
今でも義姉達を前にすると、恐怖で震え、逃げ出したくなる。
ごめんなさい、もうしません、許してください、と跪かなければいけない気持ちになる。
逆らってはいけない、と心の奥では警報が鳴り続けている。
そんな彼女達から解放される方法が、私には一つしか思いつかなかった。
「私はただ、あなた達にもう二度と会いたくないだけです。だからお願いします。どうか私の前から消えてください」
家族に向かって、頭を下げる。
断罪とか処刑とか、そんなことはどうでも良くて、私はただ義姉達から解放されたかった。
彼女達を前にした時の、苦しみや恐怖から解放されたかった。
その為の方法はなんだって構わない。
どこか遠い国への移住でも、監禁でも、義姉の言う未来のように処刑でも。
判断を仰ぐように、これまで沈黙を貫いていた陛下へと視線を移す。
陛下は険しい顔で悩むそぶりを見せた。
この国の貴族法では、子供への虐待は重罪にあたる。
現状、ほとんど取り締まれてはいないけれど、こうして実際の映像を目の当たりにした以上、裁かないわけにはいかないだろう。
ましてや聖女たっての望みであれば、叶えないわけにはいかないはずだ。
それだけ聖女というのは、この国において重要視される存在なのだ。
恐らくは映像を見せずとも、聖女が強く望めば希望は叶えられたことだろう。
しかし先ほどの殿下との会話から、せめてこの場にいる人達には知って欲しいと思った。
国の上層にあたる彼等が知らない、もしくは見て見ぬふりをしている現状。
同じように苦しんでいる子達のためにも、これからその現状を変えていくためにも、知って欲しかった。
――そして、陛下は一度深く息を吐き出した後、沙汰を下された。
「侯爵、侯爵夫人、そしてリアーナ嬢……三名を終身刑とする。この後すぐに北の離島へ移送するゆえ、もう二度と聖女の目に入ることはないだろう」