3.
「では原さん、あなたの依頼をお聞きしましょう」
頬に枕の跡がついているのを隠しもしない樫木は、豪奢な椅子に腰かけて話を進める。隣に控える梓の眉間には皺が刻まれており、相当な苦労でここまで起こしたのだと分かる。もっとも、来たばかりの原には何が何だか分からないのだが。
「えっと、ここならどんなことでも助けてもらえると聞いたんですが……」
くたびれた印象を受けるサラリーマン。原幸次郎と名乗った男は、下瞼に濃い隈を携えており明らかに寝不足だった。
視線がひどく泳いでいるため、彼の考えは想像するしかない。酒瓶片手に応接間に入ってきた白髪瘦躯の男と、目に見えて不機嫌な男性アルバイト。案内してくれた美少女アルバイトでさえ、出迎えてくれた時点で美人局を想起する恐怖があった。
総評として、ヒトナリ相談所は胡散臭いのだ。
「あの……大丈夫、なんですか?」
心の底から出てきた疑問は、彼の口から飛び出してしまった。失礼だとは思いつつ、聞かずにはいられなかった。
「……『視』るようになったのは、五日前、ですかね?」
樫木仁成の言葉は、明確に原に恐怖を与えた。
本題はこれから話すところだった。何を視て、いつからこうなったのか。原は思わず、足元のカバンを抱きかかえてしまう。
「な、なっなっ、なんっ」
「何故、分かるんですか? なんて野暮ったい質問は不要です。あらためて、原さんのお口から依頼をお聞かせください」
すると、アルバイトの青年が深い溜め息を吐いた。
「先生、さすがにちょっと怖いです。言い当てんのは自由ですけど、初めての人が怖がります」
呆れた顔で指摘する青年に、原は少しホッとする。もしかすると、彼も同じような体験を何度もしているのかもしれない。
「えっと……その通りなんですけど……」
抱えていたカバンを、いつでも逃げられるよう膝に置き直してから話を続ける。
「最初、すごく疲れてる時に視たから、「あぁ、自分疲れてるな」で片付けたんです」
初めて見たのは、再開発で発展した自宅の最寄り駅前。人混みに紛れて見えなくなったのもあって、そんな結論でその日は済ませた。
その翌日。久しぶりの休みで、夕方に遅めの昼食兼夕食を摂りに出かけた。牛丼屋に入ろうとした矢先、出入り口にそれが立っていた。恐怖で逃げ出し、結局その日は何も喉を通らなかった。
またその翌日。仕事帰りに、職場の最寄り駅のホームに立っているのを見つけて、急いで電車に駆け込んだ。降りた自宅の最寄り駅でも見かけて、息も絶え絶えに自宅に転がり込んだ。
危害は加えられないものの、連日視ることになり精神的に摩耗していく。結果、五日間で計三時間しか眠れていないらしい。
「まるで夢の中にも出てきそうな怖さがずっとあって……」
震えながら、次は頭を抱え始めた原。
ここまで聞いて、肝心なものが分かっていない。
「えっと、何が視えるんですか?」
ドア傍に控えていたアルバイトの女の子は、そっと手を挙げながらおずおずと尋ねる。
「……笑わないでくださいね?」
人間は、理解できないものに対して笑い飛ばす一面がある。同僚に相談した時に鼻で笑われたのを思い出した原だったが、ここまで相談に来たのだから答えるしかない。
「自分の足で歩く、『人形』が見えるんです」
アルバイトの二人の顔色が、それを聞いて変わる。二人は顔を見合わせると、険しい表情になっていった。
「分かりました。その依頼、引き受けさせていただきます」
原がアルバイトの様子を伺う間もなく、樫木がすぐに結論を出した。
「その『人形』の件、ヒトナリ相談所で調べ上げてみせましょう」