3.
「何、だ……これ……」
二年前、自身の両親だった遺体を目の当たりにしたからこそ、肉塊と化したアレが異常だったことを理解している。だがこれは、その異常とは方向性が違い過ぎる。
「たまーにな、こんな、自分の想像力が馬鹿らしくなるような事件が起きるんだよ」
日頃の疲れが残っているらしく、矢沢は大きく伸びをする。パキパキと鳴る背骨と、脱力する吐息が妙齢の彼にはひどく似合う。
「二つ隣の部屋に住む男が第一発見者。バイトが終わって帰ろうとしたら、この部屋の玄関が開いてるだけじゃなく、白いもんが外の廊下を塞いでるからどうしたもんかと訪ねたら、これを見つけたんだと」
室内から玄関先まで糸に覆われ、撮られた画像は第一発見者と、その後通報を受けた警察官たちが切り開いたものだ。
「で、ここからが困った話だ」
手を伸ばしてくる矢沢に、樫木はスマホを返す。
「それな、体がずいぶんと綺麗なんだよ」
スマホをスワイプして操作すると、ポケットに押し込んだ。また溜め息をこぼすと、重い腰を上げた。
「悪いな、捜査に戻らないといけないらしい。進展があったら、都度伝えに来る。聞きたいことがあったら、直接九井署に来てくれ。俺か結緑を名指ししたら対応出来るようにしておく」
顔色が変わった様子を見て、その進展というものがあったようだ。
これが今回、三冊のファイルを探すこととなった経緯である。樫木は三名を挙げて、今回の事件に関しての調査を先に始めていた。彼が手にしていたのは、矢沢から共有された現場の住所周辺の地図と九井市の地図をプリントアウトしたものだ。
「先生、これが何で必要なんですか?」
渡したファイルの名前は、女性一名と男性二名。何も知らない梓と美凪は、どういった共通点があるのか分からない。
「まず今回の被害者。こちらの方です」
丸山茜は、郊外に位置するマンションに暮らしていた。市内の大学に通っており、民俗学を専攻していた。過去に相談所を訪れた際には、自身の調べているものの裏付けが欲しいため協力してほしいという依頼を昨年だけで五回している。
ファイルに書かれた内容を見ながら、梓と美凪は同時に何度も頷く。ページをめくろうとした手を美凪が止めて、読み終わったら先に進めるというやり取りを、ソファに座った二人は繰り広げていた。
「丸山さんからの依頼はどれも面白いものばかりだったので、よく覚えています。特に彼女は人魚の伝承を熱心に調べていましたね」
西宮卓は、九井市の大学で准教授として勤務する妙齢の男性。丸山の研究に度々アドバイスを出しており、人魚の伝承がどの地域でどう広まっていたのか、どういった資料が必要かを提示していた。
「西宮さんは、ご家族のことでの悩みを依頼として受けていましたね。大学のことは、依頼されたことはありませんでした」
そして最後、有村拓也は同じ研究室に所属している同期。丸山と各地の伝承について調べる間柄ではあるが、プライベートの交流は乏しかったという。有村は他生徒や他学科との積極的な交流が多かったが、丸山はバイトに明け暮れていてそういった交流をほとんど行っていなかった。
「……先生、何で過去の依頼人のプライベートまで知ってるんですか?」
美凪は話を聞きながら、湧いてきた疑問をぶつける。対して樫木は、この場に似つかわしくない優しい笑顔を返した。
得体の知れない恐怖はさておき、梓は西宮のファイルへ戻る。
「俺、この人たちが丸山さんの件に関わってると思えないんですけど」
過去の依頼内容を見ながら、どうして丸山が繭のようになりながら息絶えることとなったのかが結びつかない。
「本当にそうなのか、ということを調べるのも、警察からの捜査協力依頼に関わってくるんです。とはいえ、今回の依頼は君たちに任せるわけにはいきませんが」
樫木は唸りながら、悩む素振りを見せる。だが口元が笑っており、答えは決まっているようだ。
「梓くん」
「聞く前に言いますね。ぜってーやだ」
不快感を露にしつつ、樫木に視線を合わせようとしない。
「警察が僕たちを頼るように、僕たちも頼るべき相手がいますよね」
「嫌です、マジで。今月まだ会ってないから、死ぬほど怒られるんですよ絶対」
心底嫌悪感を出しているわけではない。まるで子供の駄々のように見えて、珍しいものだなと美凪は目を丸くする。
「こういった難しい件には、彼女を頼るべきでしょう? それはきみも分かっているのでは?」
「…………だとしても、俺は行くの勘弁してもらえません?」
現実逃避のようにファイルを見続けており、美凪の好奇心を著しくくすぐる。
「先輩がそんな嫌がる人って、一体どんな人なんです?」
こいつに聞かせるべきではなかった、と顔をしかめて隣の美凪を見るが、当の彼女は目を輝かせて身を乗り出してくる。彼女の頬を、顎から乱暴に掴んでそっぽを向かせようとするが、全力で抵抗してくるため仕方なく離した。
「……俺と結緑に闘い方を教えてくれてる、師匠だよ」
梓から他人の話題が出るのは非常に珍しく、相談所以外での交流がある人間の存在に、美凪の興味はさらにそそられる。
「闘い方……ってことは、すごいムキムキのおじさんですか?」
その疑問に一瞬面食らい、これ以上ないひどい顔をしてみせた。
「そんなだったらどれだけよかったか……」
一方の樫木は、美凪の質問に声をあげて笑っていた。対照的な二人の反応に、美凪は首を傾げるしかない。
「相馬は聞いたことないか? 天望山の武家屋敷の噂」
「あっ、めちゃ金持ちの美人が山買い占めてるみたいな話聞いたことあります」
「買い占めてる、っていうか実際所有者だしな。隣町の花火を見に行く以外、行く人いないけど」
道路は引かれているが、山に立ち入る人間は毎年数えるほどだ。山菜採りに許可をもらう老夫婦や、市の職員ぐらいしか屋敷の住人と交流がない。その住人が何者なのかを知られていないのは、山に近付く人間がいない結果だ。
「それが俺らの師匠だよ」
武術を習っているのなら、武家屋敷はおあつらえ向きだ。妙な説得力に納得してしまう。
だが、美凪に新たな疑問が浮かぶ。
「先輩に教えてる人が、どうして今回のことに必要になってくるんですか?」
得体の知れない事件ではあるが、武術を行使しなければならないことに発展するとは思えない。犯人を取り押さえることは警察に任せてしまえばいいのだし。
「美凪くんがこう言っているのですし、連れて行ってあげてください梓くん」
目が爛々と輝いている美凪を、梓は強く拒絶できない。残念ながら、拒絶するための理由がないのだ。来てほしくない、と言えば大人しく従うのは分かっているが、彼女を押さえ込んでしまうのは避けたいと梓は考えるようになっていた。
「はぁ……行きたくねぇ……」
依頼のためであると諦めはついたが、それでもなお渋る梓。どこか大人びたような、少しだけ年齢より上の印象を受けることが多い彼が、少しだけ子供らしく見えた。




