2.
「先輩、昨日の流星群見ました?」
いつものように逃げ出した加藤家の白猫ミィを膝に乗せ、相馬美凪はふと思い出したように尋ねる。ミィはごろごろと喉を鳴らし、彼女の柔らかい手つきを堪能している。
一方の日紫喜梓は、過去の相談がまとめられたファイルの背表紙をなぞりながら、確認したい相談のあった日付を探している。
「いや。外に出てたけど、空見る余裕なかったから」
そう言って首を傾げると、スマホを取り出して何かを調べる。
「……まだ、『人形』が悪さしてるんですね」
倉庫のパイプ椅子に座る美凪は苦い顔をして、本棚の先にある窓に目を向ける。昨日の夕立が嘘のように、夏の容赦ない日差しが降り注いでいた。
「ばら蒔いてるやつらを押さえられてないからな。使われないと壊せないし、誰が『種』を持ってるかはまだ分かってないし」
目的のファイルを見つけると、取り出してパラパラと中身をめくっていく。
「よし、とりあえず見つけた。先生のところに戻ろう」
三冊のファイルを抱えると、出入口に向かう。その袖を、美凪は掴んで引き留めた。
「ねぇ先輩、この間のこと、あのままでいいんですか?」
梓はその問いに、項垂れながらその場にしゃがむ。美凪を見上げる形になるが、その視線は心底呆れている。対する美凪は、急に普段と逆の立場になってドギマギし始める。
「こないだも言っただろ。あのクラスでいじめが起こってても、俺たちが解決する理由はないし、そんな方法もない。なにより、どの立場でそんなことするんだよって思われるだろ」
先日の九不思議、もとい七不思議の件で判明した、寺田の受け持っていた学級でいじめが起こっていること。美凪はそれを放置してしまうことに、居心地の悪さを覚えていた。
梓もそれは分かっている。だが下級生の、特に交流もしているわけではないクラスに、そこまでする義理はない。
「嫌だなぁ、って……理由になんないですか?」
「なる、けど……そういうの全部拾って生きてく気か?」
目に届くだけの場所に、許せないものがある。それを全て納得できるものに変えていこうとしていけば、自身を削っていってしまう。
「先輩も苦しいくせに」
図星を突くが、梓は怯まない。
「そうだよ。でもな、自分で出来ることの範囲を理解しておかないと、お前今に痛い目見るぞ」
美凪の膝でくつろぐミィへ手を伸ばし、その頭を優しく撫でつける。
「自分の出来ないこと、今のうちに分かっとかないとダメだって」
それは彼自身の言葉ではなく、樫木から二人へ何度も言われているものだ。それを言われてしまったら、美凪は何も返せなくなる。
「あの、先輩……」
ミィの顎下をくすぐる梓に、その背を撫でながら美凪は細い声を出す。
「なんだよ。解決したいって言うなら、俺は手伝わないぞ」
彼の手を掴むと、無理矢理ミィから剥がす。
「手、太ももに当たってて……くすぐったいんです」
美凪はショートパンツのデニムに、ビッグシルエットのTシャツとラフな格好をしている。脚を出すスタイルで来たせいで、猫と触れ合う梓の左手の甲は、彼女の太ももを擦る形となってしまった。
「……わ、悪い」
気恥ずかしさに見舞われ、先刻までの真面目な空気が霧散した。
ミィは暢気に、美凪の太ももの柔らかさを堪能している。
樫木仁成の書斎へ戻ると、難しい顔をした彼が数枚の紙をめくっては戻してを繰り返して読み耽っている。
なおミィは、飼い主が引き取っていった。相変わらず血が出るほどに指を噛まれていたが、加藤愛華は気にせず猫撫で声を愛猫に向けていた。
「昔の依頼を見直したいなんて珍しいですね」
ファイルはそれぞれ、依頼人毎にまとめられている。
「今回の依頼で、ちょっと見直しておきたいものだったので」
夏休みに突入し、梓と美凪は朝から相談所に足を運ぶことが増えた。
この日、二人は昼に相談所を訪れた。だが珍しく、アルバイトの二人が来るよりも先客の来訪が早かった。
「おう、夏休みは楽しんでるかガキども」
度々『人形』の件で捜査協力を依頼してくる刑事、矢沢邦弘が応接間で出迎えてきた。
「自首した寺田……先生のおかげで、売人の面が割れたことを伝えに来たんだ」
未成年がやってきたのもお構いなしに、矢沢は新しい煙草に火をつける。
「お前らと結緑が会った金髪の子供、とは別に九井を出入りしてたやつから買ったらしい」
紫煙を吐くくたびれた中年男性と、対面しながら酒を呷る白髪痩躯の年齢不詳男。場末のスナックのような光景だというのに、背景は豪奢な洋館の内装。どうして景色の方が浮いてしまっているのだろうか。
「背格好や顔の特徴、当日の取引場所からルートを洗い出して、九井市の監視カメラの大半をチェックしてようやくそれっぽいやつを見つけられた」
差し出してきた写真を受け取る樫木。その背後に回り込み、二人はそれを覗き込む。
監視カメラの画質がそれほど良くないが、比較的近い位置とほぼ正面から撮られているためハッキリとその顔立ちが分かる。
鋭い視線をどこかへ向ける男は、すぐそばにある自動販売機と同じぐらいの背丈だ。長身だということと、肩より先まで伸びる黒髪を高い位置で結んでいる。
「とりあえず情報を各所に流して、見つけたら即通報するように伝えてある。戻ってくるかは分からんが」
ゆっくりとまた紫煙を吐くと、呆れた顔で追加の溜め息を吐いた。
「で、本題はこっちだ」
まだ半分ほどに火が到達していないのに、矢沢は灰皿でもみ消した。
ちらと視線を上げ、矢沢は美凪を見る。
「美凪くん、ほうじ茶の準備をお願いしてもいいですか?」
「分かりました。矢沢さんは?」
「大丈夫だ。話が終わったらさっさと出なきゃならん。お嬢ちゃんの茶は美味くて、全部飲むまで立てなくなっちまう」
美凪はお辞儀をして、応接間を後にする。
これから刺激の強い話をするため、樫木が体良く追い出した。最初からそうするべきだったか、と矢沢は頭を掻く。
「夜中、女の遺体が見つかった」
想定していなかった言葉に、梓は一瞬顔を引きつらせる。
「その遺体がおかしいんで、お前の力を借りたい」
差し出してきたのは、古い型のスマホだ。警察側から支給されているもので、扱いもそれなりに乱暴にしてきたのか画面にひびが入っている。
樫木が受け取ると、奇妙な画像が表示されていた。
「それ、俺聞いてても大丈夫です?」
普段も警察からの協力に参加しているが、普段とは毛色が違う。
あくまで『人形』に関連したものばかりを手伝っていたため、本格的な事件の捜査に協力するのは諸々の事情を鑑みても大丈夫なのだろうか。
「あー……まぁいいだろう。これから相談所のこと、ちょいちょいやってくんだろ? なら、こういったのにも関わってくんだろうし」
「矢沢くん。今それはいいです」
手で制すと、梓へと振り返る。
「梓くん。きみをこのまま相談所に縛るのは本意ではありません。ですが、僕がどんな相談を受けているのか、知るべきだとも思います。些か、ショッキングなものが写っていますが、きみはそれを見て関わるだけの覚悟を、今ここで決められますか?」
それに対し、梓はわずかに迷いを見せながらも頷いた。その迷いが、未熟な彼を表してくれているのだな、と満足そうに笑って梓にもスマホを見せる。
それは、人の死体と称するには、あまりにも芸術的すぎた。
画像は玄関から写されていて、短い廊下と狭いワンルーム。
一つだけの窓を、真っ白な塊が隠して遮っていた。
塊の正体は、真白の糸に包まれて、繭のようになって事切れた首だけが露になっている女の遺体だった。




