9.
少しずれてきた美凪を背負い直すと、梓は屋上を後にする。鏡の破片が散っていて危ないため、上がってきた西側の階段ではなく中央の階段を下りる。
「どうしたんですか梓先輩。屋上で考え事して、今も考えてますけど」
乱暴な上りとは違い、下りは一段ずつ。美凪の問いに対して、唸り声を返すだけ。
「てか、仮にも校内トップ美少女をおんぶしてることに対して何か感想ありません?」
「ありません」
「ねぇ! 即答!」
未だに腰が抜けたままなので、手を離すことが出来ない美凪は、梓の耳に抗議を直接届けるしかない。
「そりゃ確かに大きくはないですけど? ちょっとぐらいこの近さにドキドキしたってさぁ」
ぶすくれる美凪は放っておいて、梓は思考を巡らせる。
施錠されているはずの屋上が、施錠されていなかった。屋上の鍵も含めて、全ての鍵は職員室で管理されている。
人形はまるで人間のように、飛び降りるのを躊躇う様子があった。しかも見ているこちらを窺う素振りまで見せた。
そして巡回していると思っていた警備員は、現れる気配がない。鏡が割れる音が、夜の静寂に響き渡ったというのにだ。
「先輩ってもしかして尻派ですか?」
「何がどうなってそんな話になったんだよ」
思考の阻害をされ、不満を露にする。このまま手を振りほどいてもいいのだが、彼女の両親から任されているのだからきちんと連れ帰らなければならない。
「なぁ相馬。この学校って、警備員いるはずだよな」
梓の問いに、美凪は頷いた。肩より先まで伸びた彼女の金髪が、梓の肩にかかる。
「私、会ったことありますよ。仮眠取れないから大変って言ってました」
「警備員さんと何の話してんだよ」
とんでもないコミュ力を発揮していることはひとまず置いておくことにして。
「でも確かに、鏡割れてるし私たちも歩き回ってたのに会いませんね」
美凪も同様に考え始める。
「そういえば人形って、人を近付けないようにする力があるって言ってましたよね」
人形との因縁は美凪も持っている。その際に受けた知識として、人形には人払いをする力を持っていることは知っているため、すぐに思い当たる。
「あぁ。でもそうなると、大沢さんが目撃出来ないんだよ」
人払いをしているとしたら、影響を及ぼす範囲に入ろうとする意識を削がれるため、校舎に近付くことはおろか訪れようとする考えすら浮かばなくなる。
「……人形って、お願いしたら色々出来るんですよね?」
疑念は少しずつ、形を帯び始めた。梓の足は一階に到着すると、そのまま職員室へと向かう。
「ねぇ梓先輩」
「ダメだ」
「……まだ何も言ってないです」
「言いたいことは分かった。だから、ダメだ」
職員室は明かりがついていないが、ドアは開いている。一応のノックをして入ると、古い椅子の背もたれが軋んで音を立てた。
「おーう、終わったかー?」
寺田が気だるげに声をかけてきた。彼の席に向かうと、だらしなく背もたれに体重を預けながら天井を仰いでいた。壁にあるスイッチを操作して、職員室の電灯をつける。
「あー? どうしたんだ相馬。眠くなったんか?」
「そしたら今起きてるわけないでしょ」
「そもそも眠くなったってごねたらそこら辺に捨てときますって」
軽口を叩くやり取りで、三人はしばしの沈黙の後吹き出してしまう。
「ほら、明日も学校なんだから帰れ。特に相馬。明日お前らのクラス、課題提出日だぞ。終わらせてないなら、今のうちにごめんなさいは聞いといてやる」
「それ聞くだけじゃんケチ」
唇を尖らせながらの抗議をする美凪は、悲しそうに目を伏せる。
「ねぇ先生。今のうちにって言うなら、先生もだよ」
ちらと見やる寺田は、深い溜め息を吐いて頭を乱暴に掻く。居直ると、背もたれがまた軋んで鳴る。
「会ったか、『アレ』と」
胸ポケットに手を突っ込むが、肩を竦めてわざとらしく諸手を挙げた。煙草を吸おうとしたが、室内であることと生徒の前だと思い出して喫煙を諦めた。
「……先生が、あの『人形』の持ち主ですね?」
躊躇う視線をうろつかせながら、自身の机に手を伸ばす。
「法に触れるもの、っていうのは買った時に教えられたんだよ」
鍵をかけていた引き出しから、ビニール袋を取り出す。中からパウチを取り出すと、振ってその中身を鳴らした。スナック菓子のように鳴るそれは、胡桃より一回り小さい『種』だった。
「でも、これのおかげでさ、ちょっとだけ気が楽になるんだよ」
辛そうな寺田の表情を、二人は初めて見た。
「ずっと死にたいって気持ちがあってさ。でもお前らがいるからさ、ぶん投げていくわけにはいかないだろ」
希死念慮に苛まれながらも、慕われている教師だと自覚しているから、寺田はこの生活から逃れることが出来ずにいる。
「……お前らのせいで死にたいのに、お前らのおかげで死ねずにいるんだよ」
寺田は『種』に自死を願った。その願いを受けた『人形』は、屋上から飛び降りて彼の願いを代わりに遂げていた。
「朝起きてずっと「死にてぇなぁ」って思いながら、お前らがワイワイ騒いでくるからちょっとだけ忘れて。残業で帰れないこの時間にまたぶり返してくるんだよ」
パウチを握りしめると、乱暴に机に放り投げる。じゃらと転がって書類の山にぶつかり、もう用はないかのように視界から外した。
「うちのクラス、いじめが起こってるんだと。でもその現場を押さえられなくて、最近ずっとそれで頭悩ませてんだよ」
右手で目元を覆い、細く息を吐き出した。
「……先生、それを買ったのはいつ頃ですか?」
未だに美凪を背負いながら、梓は本題を切り出す。
購入した時期と売人の特徴を知れば、警察に情報共有も行える。『人形』に繋がる情報がさらに増えれば、カルレスが何をしようとしているのかも分かる可能性がある。
「先月だよ。日付変わったぐらいに、商店街で声かけられたっけな」
梓にじわりと頭痛が滲む。女性が『人形』に殺されかけたところを助けたのがちょうど先月であり、警察の警戒が特に厳しくなったことを考えると、その少し前の時期に買ったと推測できる。
近日であれば、まだ売人が活動している可能性があった。しかし、カルレスの件も含めるととっくに九井市を離れているだろう。あまりいい収穫ではない。
「……あーあ、俺、いい先生のまんまでいたかったんだけどなぁ」
指の間から、じわりと涙が滲み出してくる。苦しむような呼吸を繰り返すと、その呼吸を無理矢理切って顔を上げた。
「悪いなお前ら。こんなことで最後に迷惑かけて」
首が締まる感覚がして、美凪が強く力を込めたことに気付く。
相馬美凪も、過去に『人形』でトラウマを抱えている人間だ。信頼していた、とまでは言わなくても、身近な人間が『種』に関わっていたのだ。彼女の苦しさを、誰より梓は理解できてしまう。
「……ひとつ、いいですか?」
代わりに、梓は言葉をかける。寺田は静かにうなずいた。
「先生が苦しんでるんだってのは分かります」
彼としても、『種』を使ったことに対しての同情はしたくなかった。だが、お世話になったという自覚があるからこそ、告げなければならないことだと思った。
「でも、大沢さんが目撃して今登校出来なくなってるように、『人形』で被害を受けてる人間がいることも知ってください」
今回のように繰り返し目撃されることがなければ、きっと明日以降も『種』に逃避していただろう。遅かれ早かれ、被害者は出ることになっていだ。
「俺の両親、『人形』に殺されたんです」
寺田が息を呑む音があり、梓は彼の視線から目を逸らす。
自殺の身代わりをさせているが、それ以上に危険な使い方をすることも可能だ。
「そうか……そうだったんだな……悪い、日紫喜……」
生徒のことで悩み、逃避した手段が別の生徒を苦しめていたことを突きつけられる。
犯罪に手を染めてしまっていることを自覚しているからこそ、寺田はようやく自分が愚かだと気付かされた。根が善人だからこそ、彼の後悔はひどく膨れ上がった。
「ごめん、ごめんな……」
吐くような謝罪を、梓と美凪はただ聞くことしか出来なかった。大人に近付いているというのに、まだ自分たちは幼く無力なのだと、泣き続ける大人を見て突きつけられる。




