1.
「コンビーフのあの形って――」
「そんなことよりさ……あ、やっと帰ってきた」
談笑していた女子生徒の一人が、教室に戻ってきた彼女を見て話を打ち切る。
「おかえり美凪」
長い金髪の一部を両側で編み込んでいる、ヒスイ色の瞳を持つ日本人離れした顔立ちの女子生徒。相馬美凪は、困った顔をしながら帰ってきた。その表情だけで、友人たちは「またか」という感想を抱く。
「ただいまみんな。もう疲れたよわたしゃ」
演技じみた言い方でおどけた美凪は、友人たちが囲む自分の席に座ると大きな溜め息を吐く。わざとらしい様子に、肩を竦めて顔を見合わせる。
「で、今日はどこの誰?」
「バスケ部の先輩。三年の。話したこと全然ないのにさ。友達からも始めらんないっての」
入学して早一年半が経過し、美凪は既に一八人目の告白を断っている。日本人の父とイギリス人の母を持ち、ハーフとして生まれた彼女の容姿は、齢一六にしてすれ違う異性を振り向かせるほどだった。
そんな少女が同じ学校にいれば、同学年も先輩も淡い期待を持ってしまう。同学年でしかもクラスメイトであれば、日常的な会話の積み重ねで攻めていこうとするだろう。それら有象無象は一年生の時点で既に八人撃沈。校内ではその容姿と鉄壁っぷりで、入学半年で校内の有名人となってしまった。今も告白が続いているのは、記念受験と同じ気分の者が後を絶たないせいだ。
そう、相馬美凪は自他共に認める美少女なのだ。決して文武両道ではなく、むしろ学問の成績は中の下。体育は程々に動けるが、そんなものは男子高校生の評価には入ってこない。揺れるか否かだが、その点に関しては同世代と比べても貧相ということだけが事実だ。
「そろそろ噂で、『絶対に誰とも付き合わない』とか広まってくれたら楽なんだけどなぁ」
「なんて贅沢な悩み。アタシらにも分けろってのそれ」
友人たちはケラケラと笑いながら冗談を言い合い、美凪もそこに混じって笑う。
放課後になって呼び出されるせいで、荷物をまとめる暇もなくいい加減うんざりしてきている美凪。そのまま帰ればいいのだが、そうはいかない理由がある。
まだ騒々しい二年生の教室に不似合いの、几帳面なノックが響く。応答を待つわけではなく、ドアも開いているのでノックの主は教室を覗き込んでくる。まるで慣れ親しんだテリトリーとでも言わんばかりだ。
「悪い、相馬呼んでくれる?」
その男子生徒は、近くにいた女子生徒に優しく微笑みかけながら尋ねる。
「は、はい! よろこんで!」
そんな大喜びで呼んでもらいたいわけではないのだが、そんな意図は通じることはなかった。
クラスメイトから声をかけられた美凪は、訪問者を見るとパッと顔が華やいだ。可愛らしく控えめに手を振ってから、バタバタとカバンに荷物を突っ込む。
「お待たせしました先輩! さあ行きましょう! デートへ!」
「バイトだよ。寄り道する暇ないんだよ今日は特に」
身支度を済ませた美凪が目の前に立って世迷言を吐くと、言い終わるのを待って優しく額にチョップを落とす。彼は美凪と一緒にいた女子生徒たちに視線を向けると、叩いた手のまま軽く振って教室を出る。
美凪もそれに倣って満面の笑顔で友人たちに手を振り、「あー待ってくださいよー!」と追いかけて教室を飛び出していく。一〇分ほど前に告白を断っているとは思えない笑顔の美凪を見送ると、友人たちは顔を見合わせて肩を竦めた。
「あの顔のどこから『誰とも付き合わない』なんて出てくるんだか」
「片想い一年選手だから今がめちゃくちゃ楽しいんじゃない?」
「てか美凪になびかないニッシー先輩ヤバすぎない?」
「タイプじゃないとか? そもそも恋愛対象が女子じゃないとか……」
どんどんと話題が脱線していくところに、男子生徒が割り込んでくる。
「いや、日紫喜先輩はちゃんと女が対象だと思うぞ」
「急に情報来るじゃん、根拠は?」
「バスケ部の先輩たちとバカみたいな猥談してる」
聞きたくなかった情報に、遠巻きにいた女子生徒たちも合わせて額に手を当てて天井を仰ぐ。
「ニッシー先輩も男の子なんだな、って知りたくなかった……」
「あの爽やかで運動神経抜群な先輩が……猥談……?」
放課後のこの無駄話のおかげで、男子生徒は部活に遅刻してしまうのだがそれが語られることはない。
緩めのウェーブをかけた茶髪の女子生徒が、スマホに着信が入っていることに気付いた。すぐに操作して電話に出ると、にこやかだった彼女の表情は一気に青ざめる。
「えぇっ……うそ……」
深刻そうな物言いに、教室が水を打ったように静まり返った。