13.
結緑一紀は、警察官である。しかし、警察官の大半が納めている武道には全く触れずにここまで生きている。柔道に関しては、世界的な大会をテレビで見て自国の選手の活躍を見ているだけだし、剣道については胴着姿が分かる程度の知識しかない。
それでも彼は、そのどちらにも属さないながらも、徒手空拳の心得はある。
一紀が師事を請うた相手は、自身で独自の武術を編み出した。今なお稽古をつけてもらっている身ではあるが、梓より先に指導を受けているため兄弟子の位置づけとなっている。
「――――――――しっ!」
飛びかかる人形の一体の腕は、開いた左掌でさばき、空いた右手で腕を掴んで引き寄せる。さばいた左手は素早く拳へと握り変え、裏拳を頭部へと見舞う。警察署で習う空手の動きだけで、彼は人形たちを圧倒する。
だが、破壊には至らない。
そもそも、人形は人力で壊すには規格外の力を用いなければ破壊できない。それこそ徒手空拳では無理な話である。ただ基本に則り拳や脚を振るうだけでは、傷一つ付かないのが事実だ。
では、規格外の力を用いたのならば?
引き寄せていた右腕は、人形の右腕を掴んだままだ。そのまま、まるでやけになったかのようにその右腕を突き出した。動きに倣うように、人形は乱暴に突き返される。無理矢理後ずさりさせられるようにして背中側へ動かされた人形は――。
床、壁、天井、壁、床、壁、天井と繰り返し激突しながら、螺旋を描いてドアへと送り返された。
掴まれていた右腕は、螺旋を描いた方向へと捩じ切られており、胴体まで破壊が到達している。立ち上がろうとするが、踏みしめた足からくずおれて顔面より着地し、二度と動かなくなった。
「――――――ふっ」
全身を使った大振りな後ろ回し蹴りは、一体の側頭部を踵が捉えると、脚の長さと連なる人形たちに巻き込まれて、六体が一斉に壁やドアへと返品された。
人体は、生きる気力で溢れている。それは俗に言う『気』と称され、いくつもの武術に応用されている。
一紀の扱う武術は、まさにその『気』を用いている。
円を以って気を伝い、螺旋と成って気を放つ。
全身のあらゆる部分で起こした回転運動を末端に伝え、螺旋の軌道を成して気を放出することで、ただの徒手空拳以上の破壊力を持つことが出来る業の数々を納めている。
まして『気』は、『人形』に対して毒である。『種』は、取り込んだ人間から奪い取った欲望とも呼べる人間性を、『人形』という器に無理矢理閉じ込めるためのものだ。故に、人間の活力たる『気』は、『人形』が受け入れやすい形であるにも関わらず、明確な破壊の意思を伝えられてしまうため、容易にそうなってしまう。
一紀に襲い掛かっている人形たちは、いずれも造りが非常に脆い。それは、純然たる『種』によって閉じられた人間性を持つ『人形』ではないからだ。
治験によって薬に混ぜられた『種』の一部の効果であり、数分の一の力しか発揮できていないからである。人間性を閉じ込める硬さはそれほどなく、欲望のままに力を振るっても満足いく結果は生まれない。それでも、容易く生身の人間を肉塊にするだけの力はあるが。
「弟弟子の背中を引き受けたからには、情けないところは見せられないんだよ」
自身を戒める言葉だというのに、その口元には笑みが浮かぶ。
結緑一紀には、『人形』との因縁がない。家族や友人が『種』を使うようなことはなく、ただ『人形』の被害者と対面することばかり。身近な問題ではないだけに、仕事以外では関わらない。
だからこそ、弟弟子である日紫喜梓には因縁を任せる。仕事と心情は別だ。因縁は、晴らすべきものが関わらなければならない。傷害事件や殺人事件を目の当たりにしてきたからこそ、被害者は結末を見届けなければならないのだと一紀は考えるようになった。
「ちまちますんなよ。全部まとめて来い。手当の出ない仕事は、最短で終わらせて早上がりするに限るんだよ」