11.
カン、カン、と。
手すりも段も錆び、晒されて風化している外階段を少年は上る。
体重が軽いおかげで、段は抜けずにいる。
錆びたこの風景が、彼はひどく気味が悪い。
上り切った先、ビルの屋上に辿り着くと、囲む金網フェンスが彼を守る。
ここから落ちてしまわないように。
吹き荒ぶビル風は、彼の髪をひどくかき乱す。
彼は屋上の端まで歩き、金網フェンスに掴みかかる。
フェンスの隙間に広がる眼下には、車のライトや人々の営みのある家々の灯りが無数にあり、人間が生きていることを知らせる。
この夜景に、彼は別段思うことはない。
一年前にこの地を訪れた時、もう一度ここに来ることになるとは考えていなかった。
あれは失態。イレギュラーが乱入してきたせいで、計画を崩壊させられてしまった。
これは腹いせ。少しずつ準備して、ようやく実行にこぎつけられたのだから、あいつらに見つかってもらわないと困る。
「大丈夫。準備はしっかりしてきた」
それは誰に向けたわけでもない言い訳だった。
夜闇に紛れていた『人形』は、いくつも這い出してきて彼の背後にやってくる。
ぞろぞろと並ぶ『人形』たちは、少年を襲おうとはしない。
「うーん……あれだけ飲ませてるのに、ちょっと数少なくない?」
振り返る彼は、目で数えた後に首を傾げた。
「ま、いいか。今回はこれもあるし、あいつに仕返しできそうだし」
彼の脳裏には、憎い青年の顔がちらつく。
これから始める私怨の宴に、必要な役者は彼が訪れるだけだ。
それも叶うらしいので、この時間に眠るのがとても惜しい。
見た目通りの子供らしい理由でわくわくして眠れないが、少年の脳裏には血生臭い光景が想像されているのでギャップがひどい。
「さっさとあいつ殺して、早く計画進めなきゃ」
一年前に邪魔をしたイレギュラーは、生きている限りこちらの邪魔をしてくるのは確実だ。
それならば、と準備を練ってその障害を排除するのが目下の目標となる。
殺す手立てを整えたのだから、あとは誘い出してしまえばいい。
前回は煮え湯を飲まされたのだから、それに対しての復讐も兼ねて、同じ手口を同じ地域でやってみせれば少しは挑発になるだろう。
功を奏した結果、もうすぐ会えることになりそうだ。
昔、狩りを見た。
鹿狩りに付き添ったのは物心ついたばかりの頃だったというのに、今でもそれを鮮明に思い出すことが出来る。
獲物を撃ち、のたうち回り、どうと倒れて血を流す姿を。
光が失われていく最中の、生物の瞳を。
網膜に焼き付いたその光景は、彼の嗜虐性の発掘と、優位性への渇望を著しく強めることとなった。
自分が、他者よりも強くなければならない。
自身が、他人よりも優れていなければならない。
そうだと思っていたのに、それは単純な挫折と絶望の繰り返しで容易に瓦解した。
矜持の空中分解を幼い内に体験し、それは彼が、知恵で生き延びて他者を蹴落とし、他生物を殺し、繁栄を広げていった愚かな生物である人類に対し、無差別な怒りを抱くには充分だった。
だが、それを作り変える術を知ったら?
愚かな存在を、この世界から削ることが出来るのだと理解したら?
彼は、絶望したことを、心から受け入れてしまった。
そうして彼は、『種』を撒く。
此の地に。
彼の地に。
最果てに。
そこここで芽吹いたそれは、新しい存在と成る。
果たして――
その先には、何があるのだろうか。
まだ幼い彼には分からない。
ただ彼の心に燃えるものは、去年の屈辱を晴らすための怒りだけだ。
「待ってるよ、祝嘘者」
深い夜の陰に、どろ、と溶けるように。
少年と人形たちは、ビルを下りていった。