8.
一週間が経過して、全くと言っていいほど何の進展も見られなかった。
「二メートルほどの大きさの人形が街中を歩いていれば、どっかでは絶対見つけられると思ってたんですけど……」
「私たちの見通しが甘かったですね」
美凪は決してアタックにかまけていたわけではない。梓はそれを躱すことに躍起になっていたわけでもない。単純に、見つからなかったのだ。
「梓くんも美凪くんも見つけられなかったとなると、アプローチを変えるべきなのかもしれませんね」
二人の報告を受ける樫木は、ウォッカをボトルごと一口呷る。
「結局こないだの人形はそんな大きくなかったから違うと思うし、そもそもあんな簡単に尻尾を出すなら俺らが先に見つけてるはずですし」
「えっ、先輩、人形と会ったんですか?」
「会ったって言い方やめろ。ちょっとあって、壊さなきゃいけなかったんだよ」
じっと見つめてくる宝石のような瞳に、梓は怯むことなく見つめ返す。
「ん。来客ですね。美凪くん、案内してください」
樫木がそう言った二秒後、インターホンが館内に響く。洋館に似合わない電子音でシュールさを際立たせるが、この規模の屋敷で来客を知るためには現代の文明に頼らないといけない。
美凪が部屋を出てしばらくしてから、梓は樫木へ向き直る。
「ぶっちゃけ、今手詰まりですよ先生。相馬と放課後に土日まで使って街中歩き回って、マジで何も見つけられずにいます。原さんが嘘を言ってるのはあり得ないでしょうし、人形使ったやつがここらから離れたって考える方が自然じゃないですか?」
「彼は真実を口にしていますし、人形の主は君の推測の通りかもしれない」
再びウォッカを呷ると、キャップをしっかりと閉める。
「でも、君のそれはあくまで推論だ。僕のように分かっているわけではない」
「それを言われたらお手上げですよこっちは。俺はどこまでいっても人なんですから」
口にして、梓は複雑そうに顔を歪める。その様子を見ることもなく察しているため、樫木はこの部屋のドアへ視線を向ける。
ほどなくしてそのドアは開き、不安げな美凪が案内してスーツ姿の原が入ってきた。
「……なるほど、よろしいんですね」
溜め息を一つ落としながら、樫木は呟いたがその言葉は誰の耳にも届かなかった。
「依頼を取り下げることは出来ますか?」
原はソファに腰かけるよりも先に、そんな提案を不躾にしてきた。彼の下瞼には、より深い隈が染みついているように見えた。
「可能です。依頼が完了した時点で、こちらは依頼料を受け取る契約ですので」
二人の会話が始まったところを見て、ドア近くに控える美凪へ梓は歩み寄る。
「相馬、何でそんな苦い顔してんだよ」
入ってきたときの、彼女の表情が気になっていたため尋ねてみた。
「いやだって、あの人ずっと不気味で……」
無意識に袖を掴んでくる辺り、相当に恐怖しているようだ。
「ここに戻るまでに話を聞いてたんですけど、ずっと睡眠の大切さを話してくるんです。私、今はもうしっかり眠れてるのに延々と話してきて……」
門から応接間まで片道三分ほどかかるが、その道中に早口でまくしたてながら案内されていたらしい。限界まで憔悴してしまっているように見える。
「自分の相談したかったことは、しっかり考えてみると眠れなくなったせいですね。人形に襲われることもあるませんし、ただ見かけるだけならそこらを歩いてるあなたたちと大差ないので気にならなくなりまして」
そう気付いたのならば、相談するべきところはここではないと分かる。病院か、今の世の中ならドラッグストアでも解決するような内容だったのだ。
「それに、眠れるようになったんです。」
そう言うと原はカバンを探り、テーブルに薬剤のシートを叩きつけるように置いた。
「先日、睡眠導入剤の治験に誘われてこれを飲み始めたんです。これのおかげですぐに眠れるし、目覚めもすっきりしているんですよ」
すっきりしているにしては、ひどく表情が優れないように感じる。
だが、樫木と梓はその顔よりも、その茶色の錠剤に視線を向けている。
「……その治験、どちらから引き受けたものですか?」
樫木の問いに、原は首を傾げたがすぐに答える。
「ヒオウギ製薬ですね。あの、風邪薬とかの」
その名前に美凪が体を震わせて驚き、樫木と梓は視線を交わす。
「分かりました、ありがとうございます。とりあえず、原さんの依頼は中断とさせていただきますので、書類の用意が出来次第こちらからご連絡します」
「あの、すいません、一ついいですか?」
腰を上げようとした原を、梓が呼び止めた。
「人形が視えた時、この薬って持ってましたか?」
「いや。治験に参加したのはその後からだから……あ、薬じゃないけどそういえば」
記憶の端にかかったそれを、原はふと掘り起こした。
「なんか、視えた時、その少しだけ前だったかな。前を歩いてた人が、何かを落としたんだよね。それを拾って渡したら、ひったくるみたいに急いで持って、しかも逃げて行ったんだよ。なんだかそれが妙に気になって」
「それって、植物の『種』みたいに見えませんでしたか?」
「うーん……さすがにそれをよく見たわけじゃないから覚えてないなぁ……というより、人形をそのすぐ後で視たから衝撃ですっかり忘れてたから……」
原は腕を組みながら唸り、その時のことをなんとか思い出そうとするが、結局それ以上の情報を得ることは出来なかった。
原が去り、見送りをした美凪が戻ってきて本題を始める。
「私の時と同じ手口ですね。種を治験の薬に混ぜて、気付いたら人形を出させてたっていう」
美凪がここで働くことになったきっかけは、一年前の彼女の依頼だった。その顛末は、ヒオウギ製薬の行った治験が、『種』をばらまいていたという真相に辿り着いたのだが、結局犯人を捕らえることは叶わなかった。
「てか、その前に種に触ってたっていう情報を後出しされて、一週間が無駄になったことの方が俺はショック」
「私とのデートが無駄ってどういうことですか!」
「いやそうじゃなくて……」
これを広げようとすると、どんどん悪い方向に転がることは目に見えている。適当になだめつつ、梓は話を進めていく。
「相馬が依頼人として来た時のオチと一緒、ってことは一年前と同じ方法で人形を増やしてるわけですよね? 同じ地域で同じやり方って、俺らも警察も舐められてますよ」
「そうだね。あの時依頼尻尾を出さなかった彼らが、わざと同じやり方で広めている。完全な挑発と受け取っていいだろう」
楽しそうに笑いながら言う樫木は、控えめに言って悪趣味だ。
「種を持ってた人間を街で探すのは、現実問題難しいとして。その治験の方はすぐに探らないとまずいことになりますよね、原さんを含めて」
深く頷いた樫木は、懐からスマホを取り出す。チャットアプリでどこかへ連絡を入れると、間髪入れずに着信がかかってきた。
「やあ矢沢くん。タバコ休憩中にすまないね」
からかうような物言いで通話を進める樫木を横目に、苦虫を噛み潰したような顔の美凪へ話を戻す。
「あとは俺らじゃないとどうにも出来ない。それはちゃんと分かってるよな?」
「はい。というか、これ以上は私が踏み込むべきじゃないって誰より理解してるつもりです」
おそらく彼女の脳裏には、一年前のことが鮮明に思い出されているのだろう。ひどい記憶だということは分かっているが、容易く忘れることが出来ないのも事実。こればかりは、彼女自身が向き合っていかなければならない問題だ。
「そんなことあったな、ってぐらいになるまでは、たまに噛みしめとけ。悪いことほど強く覚えてるけど、それがきちんと踏み込み過ぎない材料にもなってるんだから、お前にとっては必要なことだったのかもしれないってことだよ」
彼女が一年前に何があったのかを知っている梓は、その場で思いつく限りの励ましを紡ぐ。
慣れないことをやっていると、一年ほどの付き合いになった美凪はすぐに気付くため、喉の奥でくつくつと笑って堪える。不器用な優しさの梓に、美凪は確かに救われていた。
「さて、二人は明日バイトの予定ではなかったけれど、少し顔を出す余裕はあるかい?」
「……えっと、私も、ですか?」
てっきり自分は外されるものだと思っていたので、美凪は声をかけられたことに驚く。
「いやぁなに、美凪くんにも今回は協力してもらわないといけないからね。正確には、美凪くんのお父上、かな」
樫木の言葉に、二人はあぁと言いながら顔を見合わせる。
「そういえばヒオウギ製薬って言ってましたね。なら、父も呼んだ方がいいですか?」
「それに関しては大丈夫です。明日は顔合わせだけですので、お父上は明後日にでもご協力いただきましょう」
とんとん拍子に話が進み、明日の放課後に、バイトではないのだが二人は相談所に来ることになった。