2 家にて、夕飯のとき
車窓の風景には、徐々に緑が増えていく。
気づけば『千と千尋の神隠し』の冒頭を思わせる山道に突入していた。
車をガタガタと揺らしながら、なかなかのスピードで登っていく。
……こ、こわい
見た目だけじゃない。疾走感もリアルワイルドスピード。祖母は走り屋なのかもしれない。
どこまで登るんだろう。
そう思った矢先、急に視界が開けた。鬱蒼とした森の合間に、ぽっかりと広場のような空間が広がる。目の前には蔦の絡まった鉄柵が立っている。鉄製の門の先には、長い時を刻み込んだような一軒の洋館が木々と雑草に囲まれた佇んでいた。
車が門の前で止まる。
「門開けるの手伝っておくれ」
言われるがままに錠を開けて門を開けるのを手伝った。軋むような音を立てて門が開くと、建物の全貌がはっきりと見えた。
蔦に覆われたその建物を前に、立ち尽くす。
ここは……なんだ。
茶色いレンガ造りの壁に蔦が所狭しと這っている。濃い臙脂色の屋根。蔦の隙間から窓にはめられたアイアンワークが見える。玄関は重厚感のある大きな木製の扉。
まるでホーンテッドマンションだ。何かが潜んでいそうな、なんだか近寄りがたい得体のしれない雰囲気を放っている。
誇らしげな様子の祖母が、にやっと笑って言う。
「いいとこだろ。ぼさっとしてないで、荷物運びな」
「はい…!」
玄関をくぐると、コーヒーの香りが漂ってきた。カウンターテーブルの上には、湯気の消えたカップがぽつんと置かれている。
外装の陰鬱な雰囲気とは裏腹に、一歩中に入ると暖かい雰囲気が鏡花を包み込んだ。
築何年なのだろう、床板やレンガの壁は年季が入って落ち着いた色合いになっている。天井から吊るされたスズラン型のランプが柔らかな光を灯している。
「腹減ってるかい?シチューの残りを温めておくから、あんたは荷物を自分の部屋に置いてきな。」
「ありがとうございます。あの、でも、どこに……?」
「あぁ、階段登って左奥だよ。向日葵の部屋だ。見ればすぐに分かるさ」
二階に上がる。ひんやりした静寂に身がすくむ。向日葵のステンドグラスがはめられた扉を見つけてそっと開ける。
日の光が差す明るい部屋だった。南向きの大きな窓にそよぐ薄いキャメル色のカーテン。窓のそばには一組の机と椅子。反対側には壁一面の本棚。ただし中身はほとんど空っぽ。ふかふかなベッドと、その脇にはシンプルなデザインのランプ。一棹の洋風な箪笥は上部が両開きの衣装ケースになっており、下部に三段の引き出しがついていた。
全体的に機能性を重視したシンプルな部屋。
私は荷物を椅子の上に置くと、再び階下へと向かった。
祖母は背を向けてクリームシチューをよそっている。私は恐る恐る声をかけた。
「お、おばあちゃん……何かお手伝いできること――ひぃっ」
祖母がぐりんっと、ものすごい勢いで振り返った。
「おばあちゃんだってぇ!?たしかにあたしはあんたの祖母だけど、ばあさん呼ばわりされるほど老いぼれてはいないつもりだ!……パナ………パナと呼びな。」
「パ、パナ?パナっ……さん……何かお手伝いしたいです」
パナ?え、パナ?何その名前?
流暢な日本語から当たり前のように日本人だと思っていたけれど、日本人じゃないのだろうか。転生前の日本とは違って、この世界の日本では当たり前の名前なのだろうか。いや、そんなことはないと鏡花の記憶で分かる。
そういや、目の色灰色だし、外国生まれなのだろうか。それじゃあ鏡花はクオーター?
祖母は年齢も国籍も不明な見た目をしている。いったい何者なんだ……。
はてなマークが頭の中を飛び交いながらも、食器や飲み物の準備をする。
祖母――いや、パナ、が用意してくれたのは、野菜と豚肉がごろごろ入ったシチューと焼きたてのパンだった。
ダイニングテーブルに向かい合って座る。
「「いただきます」」
あ、おいしい。濃厚なミルクの味わいに大きめにカットされたホクホクの野菜たち。時折、シャキッとしたコーンの優しい甘みが口の中に広がる。温かな料理が心までほぐしていくようだった。私たちはお互いに無言で食べ進めた。
食事が終わる頃、先に器を空にしたパナがこちらをじっと見つめて言った。
「……まだダブって見える。鏡花、あんたまだ受け入れてないね。」
「え……?」
「大丈夫、その人は壊れたあんたの心を埋めて癒してくれる。混ざり合うのをためらい続けたら、その方が苦しい思いをするさね。大丈夫。あたしが保証する。大丈夫だよ、鏡花」
「何を言って……?」
「その、鏡花に入り込んできたあんたも。不運か、幸運か……。鏡花を助けてやってほしい。どのみちあんたをそこから出したらあんたは消えちまう。お望みなら、出してやってもいいが、消滅の覚悟を持ちな」
「いやだ、この人を消さないで」
勝手に口が動いた。自分で言ったような、無意識だったような。
パナが、にやっと笑う。
「ほら、鏡花ももう気に入ってんじゃないのさ。心は決まったか。手を出しな。」
ふわっと両腕が持ち上がる。両手を掴んだパナがこちらをじぃっと見つめる。
「いいね、混ざる手伝いをしてやる。嫌だと思う気持ちが少しでもあったら全力で抗いな。止めてやるから」
パナが口をつぐんだ瞬間、体がざわつく。
――何!?何が起きてるの!?
ピリピリするような、やさしくなでられているかのような。足元の感覚がおぼつかない。浮いているような、沈んでいるような。
何かがぴたりと、きれいに合わさった。そんな、感覚がした瞬間。
――悲しみが止まらない。涙が止まらない。大好きなお父さんが、お母さんが死んじゃった。死んじゃったんだ。もう会えないんだ。一人になってしまった。なんで一緒に死ねなかったんだろう。一人、生き残ってしまった。置いて行かれた。まだまだ一緒にいたかったのに。
「ありゃまぁ。そりゃため込んでたらそうなるか。泣け泣け。枯れるまで泣いちまいな。」
私は声をあげて泣いた。赤子のように。
今まで奥底にしまい込んでいた感情が、あふれ出していくのを感じながら。