25話 校外学習へ行こう3
「はあ……はあ……」
「お疲れ……」
「助かった、佐藤……」
さっきまでの恐怖で頭が真っ白になったせいで、若狭さんに対して変なことを考える余裕もなくなった俺は、弱り切っている彼女に軽く声をかけながら、待ち合わせ場所まで一緒に歩いた。
「いやー、楽しい楽しいねえ」
「ジェットコースターとはまた違ったスリルがあって、あれはあれで良いですね」
椿芽と鈴木は満足そうに話しているが、その横で響は明らかにやつれていた。どうやら椿芽の強引なお誘いが相当効いたらしい。
「おー、悟くん、待ってたよ……ほほう」
「やるねえ」
椿芽と鈴木が、俺にべったりくっついて歩いている若狭さんを見て、にやにやとからかってきた。とはいえ、若狭さんが俺にしがみついているせいで歩きにくいことこの上ない。
「……完全に腰抜かしてるな」
「うう……」
若狭さんは頬を赤らめつつも、さっきの恐怖心のせいで羞恥心を感じる余裕もないようだ。完全に機能停止している様子だ。
「とりあえず、椿芽、交代お願い」
「おけけ、お任せて!」
椿芽が若狭さんの隣に来て、そっと肩を支える。それを確認した俺はようやく距離を取ることができた。
「で、どうでした?女の子に抱きつかれる気分は」
「いや、残念ながら、思いっきり掴まれて痛いんだって……」
鈴木がからかい気味に聞いてくるので、俺は肩をすくめて答えた。
「この後は……?」
「BBQエリアでカレー作りです」
「ベタだな……」
響が少し呆れた顔で言う。確かにこういうイベントって、大体カレーが定番だ。でもまあ、カレーはみんなの味方だし、嫌いなやつなんてそうはいないだろう。
俺たちは指示に従い、近くのBBQエリアに向かう。すでにアスレチックを終えた班の生徒たちがわんさか集まっていた。
「アスレチック終わった班はそのままカレー作りなー!」
先生が拡声器で説明する中、俺たちは受付でカレーの材料と調理スペースの場所を確認して、そこへ向かう。
「ここか……」
「それじゃあ、手筈通りに各自作業開始な」
「すっかり元気になったみたいで何よりだ」
響が軽くちゃちゃを入れると、若狭さんは照れくさそうに「うぐぅ……」と顔を赤らめた。元気になってくれたのは嬉しいが、アスレチックでの様子がまだちょっとおかしかったらしい。
俺たちは役割分担通りに作業を始めることにした。俺と響は薪割り担当ということで、近くの薪割りエリアへ移動。薪を手にとってみたが、結構な硬さだ。
「不甲斐ねえなぁ、上手にやれや……筋肉担当」
「面目ねえ……」
気合だけではなかなか割れないもんで、俺は苦戦中だ。薪割りにはコツがいるらしいが、初めてのことだし、どうにか気合で乗り切ろうとした結果がこれだ。
「こういうのは、こうやるんだよ」
響は俺から斧を受け取ると、手際よく薪をバシバシ割り始める。勢いよく割れる音が響き渡って、周りの班の視線も少しこっちに向いている気がする。
「おおこれは楽チン」
「お前もやるんだよ!」
ギャーギャー言い合いながらも、必要な量の薪を割り終えた俺たちは、調理スペースに戻って残りのメンバーと合流する俺たちが戻ると、椿芽と若狭さんが野菜の皮をむいていた。若狭さんはじゃがいもを手にしつつも、苦戦している様子だ。
「難しい……」
「じゃがいもの皮むきってめんどくさいよねえ」
一方で、椿芽は驚くほど手際よく、玉ねぎをみじん切りしている。彼女の手元からは、刻む音がリズミカルに響いていた。
「椿芽、手慣れてるな……」
「まあねえ!」
椿芽は自慢げに鼻を鳴らしながら、手を止めることなく作業を続けていく。
その時、鈴木が米とぎを終えて戻ってきた。彼は手早くコンロに飯盒を置き、薪をセットして火をつけ始める。
「お前も手馴れてるんだな」
「こういうの、男のロマンなんですよ!」
「なるほど、そうか」
俺と響が感心していると、椿芽がカレー用の鍋を持ってきて、BBQコンロの上にそっと置いた。
「カレーの準備できたから、こっちもお願いねー」
「僕が火加減を見てるんで、みんな少し休んでてください」
鈴木は自信たっぷりに言って、鍋の前に腰を落ち着けた。
「いいのかい……?」
「こういうのは火加減が大事ですから、任せてください」
「それじゃあ、お願いするね!」
椿芽は鈴木の様子ににっこり笑って、安心して任せた。
のんびりと雑談していると、鈴木の声が聞こえた。
「カレーの方、いい感じですよー!」
「ほいほい」
椿芽は鈴木に呼ばれるまま鍋へと向かい、中の様子を確認する。
「うんうん、良さげだねえ……」
「カレールーを入れるんだろ?」
若狭さんがそう言うと、椿芽はニヤリと笑う。
「それもそう……でもそれだけじゃダメなんだな」
「なんでだ?」
「隠し味にね、だしを入れます!」
「……!?隠し味?」
不思議そうに尋ねる若狭さんに、椿芽は得意げにふふんと鼻を鳴らした。
「それから醤油と砂糖も。これがコクの秘密ってわけ!」
言いながら、椿芽はどこからともなく醤油や砂糖などの調味料を取り出してきた。
「……おいコラ待て、椿芽」
「なんだい、ひーくん?」
響がその様子を見て、慌てて椿芽の手を掴んだ。
「お前、肉じゃが作ろうとしてないか?」
「勘のいいやつはモテないよ……?」
「とりあえず、これは没収な」
「そなー!」
椿芽は響にすがりつくが、響は容赦なく調味料を取り上げる。
俺も鍋の方に向かい、カレールーを手に取った。
「カレールー、刻むのか?」
若狭さんが不思議そうに訊いてくる。
「ああ、ブロックのままでも大丈夫だけど、刻んでおくと溶けやすくなるし、ダマもできにくいんだ」
「なるほど……」
俺の説明に、若狭さんは小さくうなずいた。
「よし、出来上がり」
鍋の加減を見ていた鈴木がそう宣言すると、俺たちはぞろぞろと鍋の周りに集まった。椿芽が手際よくご飯とカレーを人数分の皿に盛り付けていき、テーブルの上にはカレーの皿がずらりと並ぶ。
「では、いただきます」
若狭さんがそう言うのに合わせて、俺たちも声を揃えて「いただきます!」と手を合わせ、スプーンを手に取る。みんなで協力して作ったカレーは、やっぱり格別だった。ほんのり焦げた香りや、玉ねぎの甘みがじわっと広がって、何とも言えない達成感も相まって、普段食べるよりもずっと美味しく感じる。
食べ終わった皿を持って、俺は皿洗いをしている椿芽と響のところへ向かった。
「これ、よろしくな」
「はーい」
「なんで俺が……」
「じゃんけん弱いのが悪い」
どうやら、じゃんけんで負けた響が皿洗い担当になり、椿芽もそれを手伝っているらしい。響は俺から皿を受け取ろうとしたが、手には泡がついていて、つるりと滑らせてしまった。
「やば……!」
皿は地面にパリンと音を立てて割れる。
「あちゃー……やっちまった」
響はため息をつきつつ、割れた皿の破片を拾おうと手を伸ばすが、その瞬間──
「いてっ……」
響の指先に薄く血が滲んでいた。
「おいおい、大丈夫かよ。ちょっと待ってろ、バッグに絆創膏があるはずだから」
俺はバッグの方へ向かおうとしたが、突然、椿芽が響の手を取り、ためらいもなくその指を自分の口に含んだ。
「は、はぁ!? おい、椿芽!?」
響はその行動に驚いて顔を真っ赤にしている。
「ふふ……こないて……」
椿芽は照れくさそうにしながらも、響の指をくわえたままで、少し呂律が回っていない。正直、見ている俺もびっくりだ。
だが、突然──
「……!? 」
椿芽は急に目を見開き、驚いた表情のまま、くわえていた響の指を口からそっと離すと、その場にへたり込んだ。
「おい、大丈夫か?」
さっきまでの様子とは打って変わって、青ざめた顔の椿芽が震えている。俺は心配になり、座り込む椿芽に近づこうとしたが──
「来ないで……!」
椿芽はそう叫んで、俺を強く拒んび払い除けた。
「ぐぅ……」
尻から思いきり倒れ込んでしまった俺は、しばらくその場で痛みを堪えた。まさか女の子の力でこんなに吹き飛ばされるとは思わなかった。
「悟、大丈夫か!?」
響がすぐに駆け寄り、俺を心配そうに覗き込む。
「ご、ごめんなさい……!」
椿芽が申し訳なさそうに俺を見つめ、何かを思い詰めたような顔で小さく呟いたかと思うと、次の瞬間、ぱっとその場から走り去っていった。
「椿芽!?」
響が叫ぶが、椿芽は一度も振り返らず、全速力でかけていく。その背中が遠ざかっていく様子に、ただならぬものを感じた。
「響、俺は平気だから、椿芽を追え!」
「いや、でもお前……」
「いいから、早く!」
俺の声に促され、響は戸惑いながらも頷き、椿芽の後を追って走り出す。俺もすぐに立ち上がろうとしたが、さっきの衝撃が響いて視界がぼんやりしている。胸の奥に嫌な予感がじわりと広がり、冷や汗が伝うのがわかる。
「平気か……?」
近くで見ていた若狭さんが心配そうに声をかけてくれるが、今はそんな余裕はなかった。
「ごめん、俺も2人を追う!」
少し深呼吸して気を落ち着けたあと、若狭さんと鈴木に短く言い残し、俺も2人の後を追って走り出した。




