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21話 椿芽の過去


少し冷える夜道は、考え事をするにはちょうどよかった。響から聞いた話や、神の言葉が頭の中でぐるぐると回っているが、いざ叔母さんたちにどう切り出せばいいのか、考えがまとまらない。どう聞いたらいいのかも、なんだか分からなくなってきた。


それでも歩みを止めることなく進んでいると、いつの間にか商店街に辿り着いていた。店先の明かりや人の気配が、冷えた体をじんわりと温めてくれる気がして、少しだけ心が落ち着く。


「着いた……」


椿芽の叔母さんたちが営む食堂の看板が見えてきた。


 俺は食堂の前で、頭の中がまとまらないまま足を止めていた。聞きたいことはあるのに、どう切り出せばいいか分からない。戸惑っていると、不意に店の扉が開いて、叔母さんが顔を出した。


「あら……佐藤さん、食べにこられたの?」


「あ、はい……」


反射的に答えてしまったけど、家に夕飯があるはずだった。……まぁ、帰ったらそれも食べることにしようか。そう思いながら、俺は叔母さんに促されるまま店内に入る。今日は前回来たときと違い、客は俺ひとりだった。


「今、お客さんいないから、ゆっくりしていってね」


そう言い残して、叔母さんは厨房へと戻っていった。俺は席に座り、メニュー表をパラパラとめくるものの、頭が散らかっているせいで、内容がまったく頭に入ってこない。


ふと視線に入ってきたのは、椿芽が以前勧めてくれた肉じゃがの定食だった。


「あの……」


叔母さんを呼んで、俺は肉じゃが定食を注文することにした。


「はい、じゃあ肉じゃが定食ね」


叔母さんはそう注文を取ると、厨房にいる叔父さんに声をかけ、また厨房の中に消えていった。静かな店内に響くのは、かすかに流れるテレビの音だけ。程なくして、叔母さんが肉じゃが定食を運んできてくれた。


「はい、肉じゃが定食です」


テーブルに置かれた定食は、湯気を立てていて、見るからに美味しそうだ。俺は軽く会釈し、箸を取って一口食べる。……なのに、どうにも味がしない気がしてならなかった。考え事に気を取られているせいか、口にしてもあまり実感が湧かない。


そんな俺の様子を見ていたのか、叔母さんがいつの間にかテーブルの向かいに座り、優しい顔で声をかけてくれる。


「佐藤くん、悩み事でもあるの?頼りになるか分からないけど、よかったら私が聞いてあげようか?」


「え……」


俺は驚いて顔を上げた。こんなにもあっさりと見透かされるとは思っていなかった。


「あ、もしかして椿芽のことかしら?あの子、何かしちゃったの?」


「い、いえ、そんなことはありません」


俺が慌てて否定すると、叔母さんはほっとしたように微笑んだ。その表情を見て、俺はますます迷ってしまう。やっぱり叔母さんは、椿芽の母親代わりなんだろう。そう思うと、聞こうとしていたことを言い出すのが一層難しく感じられた。


でも、聞かなきゃいけない。俺の中で、そんな思いが小さく重く膨らんでいく。


「ただ……」


「ただ……?」


叔母さんが不思議そうにこちらを見つめる。怒られるかもしれない。けれど、俺はその目を見ながら覚悟を決めて言葉を続けた。


「椿芽さんが……『悪魔の子』って話を聞いて……」


その瞬間、叔母さんの目がわずかに揺れた。表情が硬くなり、何かを悟ったように俺をじっと見つめる。


「誰かから聞いたのかしら……?」


「い、いえ、ただ耳に入ってしまって……」


俺は動揺しながらも、必死で響の名前を出すのを避けた。ここで響を巻き込むのは、やっぱり卑怯な気がしたからだ。


「あの……椿芽がそんなふうに言われてたなんて、信じられなくて。でも、気になって……」


叔母さんは小さくため息をつくと、改めて俺をまっすぐ見据えた。


「それで、私たちのところに来たと」


「はい……」


返事をすると、叔母さんの視線がひやりと冷たく感じられ、思わず身が縮む。何か触れてはいけない領域に、俺は足を踏み入れてしまったのかもしれない。


「椿芽の両親のことはご存知ですか?」


叔母さんのその問いかけに、俺は小さくコクリと頷いた。椿芽の両親が彼女の幼い頃に亡くなったことくらいは知っていた。でも、それ以上のことはほとんど知らない。


叔母さんは俺の様子を確認すると、ゆっくりと言葉を続けた。


「椿芽の母、私の姉に当たりますが……彼女が言うには、椿芽が生まれた後、周りでいろんなことが起きたそうです」


俺が響から聞いた「悪魔の子」との話が脳裏をよぎるが、叔母さんの話すトーンはそれとはまるで違っていた。


「それは、佐藤さんが聞かれたような悪い出来事じゃなくて、むしろ良い出来事だったんです。些細なことかもしれませんが……周りの人たちに小さな幸せを与える、そんなことばかりでした」


確かに、俺が思い描いていたものとは異なる話だった。響が言っていた「悪魔」なんていう響きとは、正反対のようにも思える。


「そうした中で、彼女たちは家族揃って、この町に引っ越してきました。……それからですかね、椿芽が『悪魔の子』なんて言われ始めたのは」


叔母さんは少し遠い目をしながら、言葉を続けた。


「ただ、私から見れば、その後起きた出来事なんて、ほんの些細な不運ばかり。なのに、偶然その場に居合わせただけの椿芽に、周りの人が無理やりその不運の責任を押し付けたんです」


それは、なんて理不尽な話だろう。叔母さんの声は少しだけ苦しげで、それを聞いているだけで胸が痛んだ。


「もちろん、姉も同じで周りから何を言われようと、姉夫婦は椿芽を本当に大事に育てていました。愛情深く、丁寧に……」


一瞬、叔母さんの瞳にかすかな光がよぎった。しかし、それはすぐに消えて、冷えた現実が静かに降りてきた。


「でも……姉夫婦は、椿芽を守るように、ある日突然、交通事故で他界しました」


俺は思わず息を飲んだ。その一言の重さが、心にずしりと響いた。


「それから、私たち夫婦が椿芽を引き取ったんですが、彼女は今も姉たちが住んでいた家にひとりで住んでいます。それと同じ頃から……椿芽に対する悪い噂も、徐々に消えていったんです」


 椿芽は周りの人に都合のいいように好き勝手言われて、ただ普通に生きているだけなのに、辛い思いをさせられてきた――ただの、普通の女の子なんだ。悪魔なんかじゃない。俺は、そう確信していた。


「椿芽は悪くないじゃないですか……ただ、周りの人に『悪魔の子』なんて勝手に言われただけで……」


椿芽にそんな理不尽なレッテルを貼って、彼女を傷つけるなんて……俺の中で何かが、ぐっと熱くこみ上げてきた。周りの都合で椿芽を苦しめるなんて、許せなかった。


そのとき――


「……!?」


不意に店の入り口の方から視線を感じて、そちらを振り向く。いつの間にか店に入ってきていた椿芽が、俺たちをじっと見ていた。


「悟くん……なんで、それを知ってて……」


椿芽の顔が崩れかけている。彼女はきっと、このことを知られるのが何よりも怖かったのだろう。今にも泣き出しそうな瞳が俺を責めるように揺れている。


「い、いや……」


言葉が出ない。何か、何でもいいから伝えたかったのに、喉が詰まってしまった。


その瞬間、椿芽は急に視線をそらし、弾かれたように店の扉を開けて外へと飛び出していった。


「椿芽……!」


慌てて立ち上がると、叔母さんが俺の肩に手を置き、まっすぐに見つめてきた。


「佐藤さん、追ってください……!」


「俺なんかが……」


「いえ、あなたにしかできません。椿芽の友達なのでしょ?」


そう言って、叔母さんは少し疲れたように、それでも優しく微笑んだ。頼むわ、と言うように。


「はい……!」


俺は力強く返事をして、荷物を手早くまとめると店の扉へと向かう。


「あ、後でお支払いします!」


「ふふ……気になさらなくても大丈夫ですよ」


叔母さんの声を背に受けながら、俺は勢いよく扉を押し開けて、椿芽の後を追い走り出した。

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