第4話 まさかの黒い影
荷造りを終えた空燕は、ほとんど間髪を入れず馬車へと押し込まれた。今まさに、がたがたと車輪の音を鳴らしながら、湊国へと向かっている。
馬車を操っているのは、他でもない盛将軍その人──自ら手綱を握り、無言で馬の尻を軽く叩いていた。
「いくら友好関係にあるとはいえ、他国の将軍が一人で来たのか?」
馬車の幌の隙間から、前方の盛将軍に声を投げると、短く返された答えはこうだった。
「お忍びの任務だから」
なるほどな、と空燕は妙に納得するしかなかった。──鎮魔なんて眉唾物に頼ろうとしているなんて、公に出来るわけがない。それは国の威信にも関わる話だ。
ましてや、名だたる将軍が戯言のような『魔』などに怯えていると知れたら、湊国の威厳すら揺らぎかねない。
馬車の中、薄暗い空間に身を任せながら、空燕はぼんやりと盛将軍の姿を思い浮かべた。頑丈そうな肩幅、実直そうな声、そして無骨な眼差し。
湊国──北の巍国と南の趙国が統一されて誕生したばかりの若い大国。その中でも、盛将軍の出自である巍国は、もともと趙国に侵略される側の弱国だった。それを跳ね返し、戦争の最中に一将軍へと登り詰めたのが盛子豪。まさに国を護った英傑である。
だが、そんな将軍が──まさか、あれほど若い男だったとは。老練の武人を想像していた空燕は、その年若さに不意を突かれたのだった。
けれど、より驚かされたのはその若さではない。空燕が言葉にならない違和感を覚えたのは、盛将軍の『影』だった。
妓楼の前で巡り会ったあの時は、たしかに気付かなかった。だが今、記憶の中に浮かぶ彼の姿の脇に、どうしようもなく目に焼きついたものがある。濃く、深く、異様に存在感のある影。それは地に落ちたただの陰とは思えず、禍々しさすら孕んでいた。
気のせいだ、と空燕は自らに言い聞かせた。そもそも、自分には魔を『視る』ことも、『聞く』ことも出来ない。今までだって、怪異に触れたことなど一度もない。
だからこそ、空燕はこの鎮魔の旅を──ただの茶番劇だと断じていた。誰かが、何かを大仰に怖れているだけの、無意味な道化芝居だと。それなのに。──あの影が脳裏から離れない。
空燕はふと拳を握る。耳の奥で、車輪の軋む音がいやに重たく響いた。