第1話 最後の鎮魔師
「国費削減のため、鎮魔司は本日をもって解体する。房空燕は解任、官位剥奪。居所である鎮魔司から、即刻退去せよ。以上──」
宣言の声は、まるで真上から雷が落ちるように、無慈悲にだった。 簡素な木造建築の大広間、空燕は静かに膝を折っていた。
勅使の読み上げる聖旨が、乾いた空気を裂く。痛いほど、はっきりと。
唐突すぎる訪問、冷たすぎる通達。 それは、突如として胸に突き刺さる氷柱。心が、一瞬で凍りついた。
たった四文の宣告。 されど、それが彼の三十年の人生を、根底から、粉々に打ち砕いた。
──嗚呼、終わったのだ。 房空燕という男の、在り方が。
◆
「魔を鎮める者は清くなければならぬ。殺生禁、飲酒禁、姦淫禁──他者との交流、基本的にすべて禁!」
朱塗りの暖簾をくぐった先、薄暗い酒房の隅っこ。
房空燕は、卓に身を投げ出すようにして酒を煽っていた。 昼間なのに客はまばら。甘い酒の匂いと、炙られた魚の香りが混ざる空間。
呑んで、呑んで、呑んだ。 頬はすでに赤く染まり、目には光がない。
だが、手だけは妙に生き生きと、盃を口へと運び続けていた。
「──こんな美味いもんが、この世にあったなんてな」
呟きは、まるで初めて遊びを知った子どものよう。 卓の上には、鯛の塩焼き。豚の角煮。そして酒。
──全部が“初めて”だった。 房空燕にとって、これは初めての悦楽。
三十年もの間、彼は魔を鎮めるという名の孤独な役目に生きてきた。奇異の目を向けてくる他者なんか、とうに風だ。
振り返れば、空しか見えない。 己は今まで何をしてきたか?答えは簡単だ──何もしていない。
魔なんて、見たこともない。聞いたこともない。 ただ剣を振って、形だけの“鎮魔”を演じ続けてきた。
年に一度の鎮魔式。舞う剣舞。それを“伝統”として残すためだけの儀式。
その報酬が、銀五十両──およそ百万円。
高いのか、安いのか。 だが、それで、肉も、酒も、女も──全部、諦めてきた。
友すら、持ったことはなかった。
官職を奪われ、土地を追われ。 首輪を切られた飼い犬みたいに、房空燕は自由になった。
それは、喪失であり。 そして、はじめて訪れた自由だった。
胸の奥がざわめく。期待なのか、戸惑いなのか、自分でもわからない。
盃を置いて、立ち上がる。 千鳥足のまま、町の夕暮れに溶け込んで──その足が向かう先。
それは、今まで踏み入れることすら許されなかった場所。
すべての掟を破るために。
房空燕は、妓楼へと向かった。
【主要登場人物イメージ画】
本作は2025年kindle出版のため、一部を残し削除致しました。ご覧いただきありがとうございました!
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