3-8
アルノー様が取ってくれた宿というのは素泊まり雑魚寝の奴隷御用達といったもので、治安は良くないらしい。助言もあったので、荷物は全てジルーセ様のお店に置かせてもらった。
そしたらやっぱり、ポケットに入れてた朝ご飯用の銅貨は野蛮そうな5人組にカツアゲされた。用心しておいてよかったね。ただ、そんな宿でも案外よく寝られたのは奴隷仲間と一緒に過ごした経験があったからかも。
空腹のままジルーセ様のお店に出勤すると、女性のお客さんが来てた。誰かと誰かが破局したとか、どこかのお店で働いてる男の子が可愛いとか、そんな話でジルーセ様と盛り上がってる。朝からする話か?
「あ、ちょっと待っててねコロウちゃん」
俺は中へ入るなり、そう言われてたので入り口で待つしかない。女の人も他人の奴隷なんか可愛くない野良犬みたいな認識らしく、男の俺に聞かれていたとしても気にせず話を続けている。
魔法の練習について今後どうしていこうかなと考えながら時間を潰していると、一通り話して気が済んだらしい。お客さんはジルーセ様から手渡された商品と引き換えに銀貨を残して退店していった。どうやらここは魔法触媒も販売してるみたいだね。
「昨日の内にアルちゃんが届けてくれてたわよ。こっち、ここよここ」
ジルーセ様が座ってるカウンターの裏を指差すので回り込むと、俺のために用意してくれた剣があった。だけどそれよりも気になるというかショッキングというか…。
「ジルーセ様、足が片方無かったんですね…」
昨日はカウンターに隠れてる部分は見えなかったから気付かんかった…。左足が膝下から無くなってて、簡素な造りの義足が側に立て掛けられてる。
「うふふ、もう大分前からこうだけどね。
ちなみにほら、手もこうなってるのよ」
左手の指が三本だけだ……。
「若い頃、魔物に噛まれちゃってね。
だけど、そんなことにも負けずに仲間の人間族に背負ってもらいながら、沢山の魔物に仕返しして来たわ」
その語り口は大切な想い出を愛でるように緩やかで、慈しみを帯びている。
バフかけ魔法だけじゃなくて、攻撃魔法も一応使えるんだろうな。
「ジルーセ様が今みたいに、その…ハイエルフになるまで進化できたのも、その人のお陰なんでしょうか?」
「勿論。
それから…私が魔物を相手にしなくなったのは、その人がお爺さんになっちゃって背負えなくなったからなのよ。
でも今は蓄えのお陰でこのお店を買えたし、腰を据えてのんびり過ごせているわ」
うーん、若い見た目のジルーセ様なんだけど、相当昔の話のように聞こえる。いったい何歳なのか気になるところだけど、知らずにいても何の問題も無いような気もする。
「さてと、もっと聞きたいかもしれないけれど私の話はまた今度ね。
アルちゃんから聞いた情報についてなんだけれど…」
それから、昨日アルノー様と話をしてたのか、俺の持ってるであろうスキルとか、魔法の扱いに対する習熟度とか身体能力について。それと俺が今後どう成りたがってるのかについて確認される。機密事項は伝えてないけど、それでも結構時間がかかってしまったな。
その話の最後に、冒険者のグループに参加するように命じられて目的地へ向かう。場所は冒険者の組合所だというから、ギルドってやつなんだろう。わくわくしてきた。
用意されてた剣を腰に装備する。…何か久しぶりで慣れないな。荷物の大半は置いてくけどおこずかいの銅貨の内、10枚をポケットに入れていく。
腹ごなしに道中で見かけた露店に、一枚払って買った炒り豆をボリボリ食べながら歩く。人の行き交う大通りは舗装されて石畳になっているけれど、一つ脇に道を逸れると泥道のようになってる。正確には剥き出しの地面に積み重なった糞尿で、掃き溜めというか肥え溜まりになってしまってるのだろう。汚いしくさい。
出所になる馬も牛も最早見慣れた生き物だけど、魔境に入ってからはサイやら大きなトカゲみたいな魔物も台車を引いていたりする。
そういう魔物は人族がスキルで従属させているらしい。従順だけど躾は不十分で、どうしても出てくる汚いのは所構わず垂れ流しだ。気の効いた人が道の脇へ退けてくれてるんだろう。
乗り物としてはとても興味がある。250ccのオートバイに乗ってた経験があったから、ああいう生き物の背中にも乗ってみたいなって思う。いいなあ、馬具とかって幾らするんだろうな。
その他、色んな物に目移りしながらも迷うことなく目的地に到着。そこは武骨な酒場って感じの大きめな建物だった。出入りする人達は戦いの場に身を置くような、荒くれた様子の男や女ばかりだったけど、その中に初めて見る小人族も居た。
彼らは小人族同士で固まって行動してるのか、五人が同じようなローブと杖を装備してペンギンみたいに寄り添って組合所から出てきたものだから、気持ちが幾分か和んだ。
見た目について、背丈は小学生の低学年ぐらいで子供みたいだけど、身長に対して頭のサイズがかなり大きく感じる。体と釣り合ってないような印象だ。
町中で人混みにいたら気付けないだろうけど、これくらいの集団で固まってたら分かりやすい。もしかしたら今までもどこかで見てたのかもなぁ。
さて、これでまだ見てない人族は魚人族だけか。海とか大きな川に行けば見られるらしいけど、いつ頃見れるかな。
まあ人族コンプリートについては一旦置いといて、中へ入る。さてさて、異世界お決まりの展開はあるのかな?
「失礼しますよ…」
中へ入ると、そこそこ人がいる。辺りが汚れるのも構わず机で刃物を研いでたり、別の机ではただお喋りしてたり。カウンターの方ではパンを齧ってる人、チーズの塊をスライスしてる人…。
受付らしき場所には誰もいない。朝から酒を飲んだり喧嘩してたりする人はいないだろうと思ってたけど、俺が注目されることもないってのは何だか裏切られたような寂しさを覚えるね…。
「あの、マドクさんってまだここにいます?」
入り口近くで唯一目の合った鋭い目付きの女性に聞いてみる。そうしてみてから、なんかめちゃくちゃ強そうだと思った。聞く相手もっと選べばよかったかも。
その40歳くらいの女性の腰にぶら下がってる剣が鞘から抜かれないかひやひやするぜ。
「あんた見ない顔だね。何でマドクを知ってるんだい?」
こっちを怪しむ気満々の声で返してくる。やくざ者に声をかけられたような、恐怖でぐっと息が詰まるような感じにもなったけど、答えられる質問だったから何とか返事できた。
「ジルーセ様に紹介してもらいました。俺でも力になれるだろうって」
「ん?ああ、エルフかい…。
私はエルフってやつはあんまり好きじゃないね。ガキどもの惚れた腫れたで盛り上って、煩い鶏みたいにいつまででもきゃいきゃいはしゃぐから関わりたくないよ…」
まさに今朝あった出来事だ。否定もできないし、これは話しかける相手の選択を誤ったかもしれない…。
そう心配してたら、指で奥のテーブルを示してくれた。そこに座ってる人をよく見れば、それはジルーセ様から聞いてたのと同じ赤髪の男の人だった。
「教えてくださって有難うございます」
「ああ。ただ、何でもかんでもあいつに言いふらすのは止しなよ」
あいつとはジルーセ様の事なんだろうが、それは…どうだろう。何かと尋ねられたら応えずにはいられないかもしれない。なので曖昧に笑って誤魔化しておいて、そそくさとマドクさんの机へ向かう。向こうはもう俺を気にしている様子だった。
「俺を探してるのか?
借金は今のところ全部返してたと思ったけどな」
酒で焼けたようなしゃがれた声と顔に刻まれたシワで、見ようによっては初老とも言える。だけど椅子に座っているものの背筋がぴんと張っていて、首や腕に付いた筋肉は隆々としたものだ。それらから、纏う雰囲気は見た目に反して若々しいもののように感じられた。
「金貸しじゃありませんよ、ジルーセ様から紹介されたんです。
お仲間のリロイさんから、マドクさんの補佐を依頼したというか、相談だったそうで…」
事情を説明してると頭を抱えるようにされてしまった。どうやら、困ったというような感じだ。
「リロイか……。まあ、あいつならそういう気を回しそうだなぁ…。
ちっ…しょうがねぇ。あんた名前は?」
「コロウです、よろしくお願いします」
「あいつからの依頼料は?リロイから貰ってるんだろ?」
「えっと、確か大銅貨五枚を前金で貰ってるそうです」
「五枚ぃ?」
マドクさんは怪しそうな顔つきになった。なんなんだろ?金額が不満なのかな?
「あ、でも初日はお試しなので銅貨二枚で良いと伝えるようにジルーセ様はおっしゃってました」
「銅貨でって…」
マドクさんは眉をひそめて俺の事をじろじろ見回した。
「あの、何か不満でしょうか?」
「いや、人を雇うには安すぎだろ。お前…何とも思わないのか?
まさか素人じゃないだろ。この街に来てどれくらいになる?」
ああ、そういう感じなのね。ジルーセ様からはそういう相場についての説明は無かったな。
「実をいうと昨日この街へ来たところの、しょうもない素人です」
「…剣は?どれくらい使えるんだ?」
「初心者もいいとこですかね。この街で俺が勝てそうな人はまだ一人も見付けられてません」
こっそり聞き耳をたててたのか、近くの席に座ってた人が堪えきれずに飲み物を少し吹き出し、むせている。
俺とマドクさんが二人で視線を送ると、袖で机を拭いてから席を立って行った。
「…俺は今、お前を雇うことが怖いと思ってるんだが」
「まあそう言わず、話だけでも聞かせてくださいよ」
マドクさんはちょっと考えてた。悩みつつもさらにもうちょっと考えた後、同じテーブルの席に座れと合図を送ってくれたので座らせてもらった。椅子がガタガタぐらつく上にギシギシ悲鳴を上げるのでうるさい。どんだけ安い造りなんだか。
「マドクさんがリロイさん達の長なんですよね?」
「……本当は、リンダって娘がそうなんだがな。
リロイの他にはラクシュとフラッドがいて、ディークとモニクが俺の孫だ」
「孫!?」
めっちゃびっくりした。孫がいるような年齢も、人相もしてないものだと思ったから…。
「俺は今年で57だ。うちの次男が靴を売る仕事をしてるんだが、そこの三男と長女が魔物を相手に仕事したいって言い出してな。
お友達と組むだけだと心配だってんで、俺が子守り役ってことだ」
「は、はぁ…」
異世界子育ても大変なんですね、とは言えなかった。
しかし、57歳でお爺ちゃんは日本でもあるだろうけど、その孫が戦いに身を置けるような年齢となると急に違和感が…。皆は何歳で子供を産んでるのかな?
「リンダは15で最年長だからってそう決まったが、実際にはラクシュとフラッドが意見を押し通してる。モニクもリンダと仲は良いが、ラクシュの言うことに反対しないし、ディークも直ぐに調子に乗るから……いや、調子に乗るのはリロイ以外全員だな。
だが、リロイは最年少だし戦力として見ても一番弱いんだ。だからあいつらいつもバラバラになりそうになって、俺が何とかしてやってる。
…と、いう感じだな」
「…最年長が15歳の女の子ですか?」
「俺を除いてだぞ」
ニヤニヤして言いおる。
「そこじゃないです、気になったのは。当たり前でしょう…。
リロイ君の年齢は?」
「…12か?いや13だったっけか?」
「そんな歳頃から…。
ナーガだって出るような場所なんですよね、この辺って」
「別に良いだろそんな事。どこにいたって死ぬときは死ぬ。
そういやお前は歳いくつなんだ?」
命の価値が安い感じ。この世界では一般的な感覚なのだけど、日本人としては全然慣れないな。
「36歳です」
「……そうなるまでに何してたんだよお前は」
呆れているようだった。というのも、この世界じゃ手に職をつけたら、生涯その仕事で食っていくというのがこの世界の普通だ。なので、転職するのは怪しく見られることもある。
…いや、この場合は36歳にしては弱そう過ぎるってことかな。ランドルには勝てたんですけどね。
丁度良いから俺の身の上話もマドクさんに聞いてもらおう。
「俺は魔物とは無縁の生活をしてましたが、ある事故が原因で妻と子とはもう会えなくなってしまいまして。
なのでこれからの人生は魔物と戦い続けるものにしたいなと。ついでに若い子らの手助けもしたいんですよね」
こういう話も何度目になるかな。もう、感情が揺れ動く事も段々なくなってきてしまった。
「…お前みたいな奴は時々耳にも目にもする。
その度に、俺はつくづくツイてるだけだったんだなって思わされる…」
「あ、お構い無く。
もうそこそこ気持ちの整理もついてますので、安上がりな人手が入ったと思ってください」
マドクさんはそこで初めて気を許してくれたように笑った。
「お前こそ気を使ってるだろ。
俺は孫達に、でかい顔してられる今の生活に、まあまあ満足してる。
お前の事情はそんな俺には関係が無い。金輪際深く知ろうとも思わない。それでいいなコロウ?」
ふぅん、なるほど。なんだかんだ言うけれど、面倒見の良い人なのかもな。
ジルーセ様には感謝だな。こういう人、普通に探してたらそうそう見付けられないんだろう。
「ええ、それでお願いします。
俺は俺のやれることをするだけですから」
と、いう感じで今日からマドクさんの…じゃなくて、リンダさんの冒険者パーティーに参加することになったわけだ。




