3-5
蛇は頭が潰れてもしばらくモゾモゾ動いていたけど、肉が勝手に動いているだけで生物として死んでいるのは見て取れた。
戦いは終わったけれど、興奮で荒くなった呼吸が中々収まらない。
そして思い出したあの子との記憶が、まだ温かみを帯びていた。
もう少しだけ、この高揚感の中で思い出に浸っていたい…。
「毒は無い。安心しろ」
近くに居るアルノー様の声が、やけに遠くの方から聞こえてくるような感じがした。
…そういえば毒の事は最初から最後まで全く考えてなかったな、俺。
「ある時代の人間族が残した言葉に、『ゴブリンの糞にされる』というものがある。
人族からは揶揄され侮られがちなゴブリンだが、状況によっては手強い相手だ。勝てる相手だと思っても気を抜くなという意味が込められている」
…うーん?急に何なの?今ことわざの勉強はいらねーよ。
アルノー様の言ってることの真意が掴めずにいると、ため息を出された。なんでやねん、それじゃあ普通伝わらんやろ。
「何故助けを求めなかった?」
あ、そういう話?
「…それは、俺が勝手に始めた事ですから」
「責任を感じてか?
そのために死んでも良いと思ったのか」
「まあ、そうですね……助けを期待しない方が良いかと思って。俺は奴隷ですから」
そう言ってみたけど、何だか自分でも違和感があるような気がする。アルノー様に助けられた時は、自分自身に生きるだけの価値が有ると思えるような、そんな希望を抱いてたのかも…。
だめだな俺、大分精神的にキテるみたいだ。
「私はお前が飲み込まれ始めた時に魔法を使うつもりでいた。
それというのも魔物とお前が近すぎたからな。誤射を防ぐためだ」
「え?でもさっき大損だとかって言ってたじゃないですか。
あれで見捨てられるのだと思いましたよ」
「…そうか、お前はあの時そう感じたのだな」
そこで府に落ちたというような反応をしている。何勝手に納得してるんだよ。
「何れにしろ、危機的状況で的確に助けを求められ無いようでは長生き出来んぞ。
死にたがっているなら別だがな」
そういう系の説教のつもりだったんですね、把握っす。
「わかりました。
あ、この蛇解体して肉を持っていっても良いですか?」
「…そんな事に割く時間は無い。頭は潰れているから死体は道の脇に捨てておけ。もう行くぞ」
えー、折角倒したのに…。
言われた通りに蛇を引きずって道から退かす。かなり重いなこいつ。それと、締め付けられたからか体のあちこちが痛いや。
そういえばさっきから口の中で血の味がする。どこか切ったのかも。棒を口に咥えて使ったせいだろうな。
折れた棒はもう使えそうにない。やっぱり武器はちゃんとした物を揃えておいた方が良いよな。こいつも捨てておこう。
「奴隷といえど、お前には身を守る義務がある。…いや、むしろ奴隷だからこそ身を守るために考える必要がある。
今はお前自身が私の財産だ。奴隷はその持ち主の身や財産などを危険から守らなければならない」
蛇の死体と一緒に折れた棒を置いていると、まだ説教が続いてる。少し鬱陶しいな…。言いたいことはわかったってば。
「なら、魔法を教えて貰えますか?そうすれば離れたところから戦えますから」
ぶっきらぼうに言ってみた。この流れで言ってもどうせ断られるんだろうなと思ったし、説教続きの話を途切れさせたかったからだ。
けどアルノー様はむしろ感心したような表情をさせた。
「…成る程、良いだろう。
魔物を見つけてみせろ、次はお前に教えてやる」
あれ?良いんだ。もっと渋られるかと思ったのに。めっちゃ予想外だ。
それから体の傷みに耐えつつも魔物を探して進んでいくと、馬に乗った人達が数人で追い抜いて行った。これでもう俺達は先頭じゃなくなってしまったみたいだ。
それのせいでか、中々次の獲物に出会えない…。
ただ、人通りも無さそうなので人に聞かれたくない話をしてみることにした。
「アルノー様、転移魔法について聞いても良いでしょうか?」
「転移魔法?……ああ、召喚魔法についてか」
「あ、それです。
竜神さまに、俺を元の世界に戻してもらいたいと話したら無理だと言われまして。本当に無理なのでしょうか?」
アルノー様は少し考えた後に、きっぱりと答えた。
「不可能だな」
覚悟してたが、やっぱり言われるとキツイ。
ただ、こういう気持ちになることすら折り込み済みだったので次の質問は出来た。
「では…試してみた人とかはいませんか?」
「ふっ、どの分野にでも愚かな者は存在するからな。
だが断言する。試した所で転移など不可能だっただろう」
そう言われても、俺は食い下がって聞いてみた。そう断言できるのは何でかって。
アルノー様からは専門的な用語を使われながらも魔法の事を説明してくれたが、やっぱり今の俺ではいまいち理解できなかった。なので何か別の事に例えて、俺に解るような説明を求めた。
「実に疲労感の伴う話だ……。これで最後にするから良く聞け。
お前と竜神の繋がりを糸だとすれば、魔力は引き寄せる力だ。魔力を持っていなかったお前を引き寄せるのは容易で、無尽蔵とも言える魔力を持つ竜神は上限の無い力で引き寄せることが可能だろう。それなりの触媒も使っただろうが、お前がこの世界に居るということは事実召喚は成功した。つまりこれが召喚魔法だ」
「…釣り、みたいなものということですか?」
「お前がそう納得したならもうそれで良い。
……いや、むしろそれが適切な説明方法なのか?」
一人で考え始めそうになってる。話を進めるためにも思考を止めさせなきゃ。
「では、狙った所に俺を投げ戻すことも可能なのでは?」
「……いや、それは無理だと言っているだろう。どれだけ物理的に離れていると思っている。
竜神からしてみても、魂の繋がりから、存在していると認知出来ていたのはお前の魂だけだ。お前の元居た世界自体は、遥か遠くにあり過ぎて知覚できるはずが無い…。
例えそこへ届かせるだけの力が竜神にあったとしても、お前自身が投げられた衝撃に耐えられまい。
竜神にも狙った場所に送る精密さは持ち得ないだろう。少しでも狙いが狂えば訳のわからん場所へ行くかもしれないというのに…」
ちなみにここまで話をする中で、仮に失敗したら俺が死ぬ確率が非常に高いことも理解してた。だから元の世界に戻れずに失敗したらまた召喚してもらって、再度転送魔法をチャレンジするのは最初から考えない方がよさそう。…でもいざとなれば、それも試すかもしれないかな?
「名前の通り、魔法で呼び寄せるから召喚魔法なのだ。さっきお前が間違えた転移魔法とは違う」
「じゃあ、時間を巻き戻す魔法とかってあります?」
段々と疲れてきてたアルノー様だったけど、この質問には気色ばむ。
「…あり得ない。神ですら考えもしないだろう。それと比較すれば、まだ転移魔法が現実的だと言える」
そうか。ここまで丁寧に教えてくれてたアルノー様が、考えもせずに言うならそうなんだろうな。
「俺なりに、元の世界に帰れる可能性を探ってたつもりでしたが無理みたいなんですね。
話に付き合って下さってありがとうございました」
荒んだ感情を垣間見せたアルノー様だったけど、今は冷静になってくれたみたい。怒らせるつもりは無かったから落ち着いてくれて良かった。
「お前は………いや…。
私は学びを必要な事だと考えている。お前の学ぼうとする姿勢は好意的に受け止めるつもりだったが、流石に…」
「あ、あそこに鹿がいます!」
なんか話し始めようとしてたアルノー様だったけど、丁度その時に俺は見つけてしまったのだ。話を中断しても仕方ないよね。
「…貴様には今度重要な事を教えてやる。
だが、今は黙って私の杖に触れて魔力の流れを感じ取ってみせろ」
話を遮ったからかイラつかせちゃったみたい。まあ許して下さいよ。俺も早いところ魔法覚えたいんで。
言われた通りに杖に触れると、魔力が杖に流れているのだけは感じ取れた。
「いいか、これは初歩的な攻撃魔法だ。魔法名だけでも覚えておけ」
魔力の流れを感じ取ろうと意識を集中するけれど、その動きはとても難解なもののように思えた。
まるで広い草原に吹く風の、その複雑な流れ。それらを生い茂る草木の揺れのみから読み取れと言われているような、そんな気分になった。
ただ大雑把にだけど、魔力がアルノー様の意思によってある一ヶ所に集まろうとしているのだけは感じる。
「良く聞け………マジックアロー」
魔法の矢かよ。
勝手に直訳して、なんかがっかりしたけど魔法は完成してた。
今まで見た中でも一番細い魔力の塊。ただ長さはそこそこある。それがぴゅんと飛んで、鹿の方へ向かって行った。
鹿はこっちを見てたけど、動かずにじっとしてた。魔法の矢はその鹿の尻にブスッと刺さる。頭を狙ったんじゃないのか。
鹿は攻撃されたことをあんまり気にしてないのか動いてない。痛くないの?それとも魔法が弱すぎて効いてないとか?
「もう一度使うぞ、魔力の流れを良く感じておけ…」
そう言われても、感じ取るのが難しいしな。
あ、そういえば竜神さまから魔力を貰った事があったよな。あの感じを再現して、アルノー様の魔法を強化出来ないかな?
俺はアルノー様が杖に込める魔力の流れに合わせて、自分の魔力をその流れに乗せるイメージで込めてみた。
「なっ、こ、私のッ!!」
魔力を込めるのに集中してた所で、怒鳴り声が聞こえたと思った次の瞬間に、頭を杖で打たれた。痛くは無かったけどびっくりした…。
「す、すみません。怒らせるつもりは無かったんですけれど…」
何故そんなに感情を乱してしまったのか訳がわからないけれど、俺が原因だというのは解る。なので怒らせてしまったことがただただ申し訳なかった。
そう思って赦しを乞うと、ばつの悪そうな顔をしていた。俺に手を出したのは、つい瞬間的にカッとなってしまっただけだったんだろう。叩き方が弱かったのも誰かへ暴力を振るうのに慣れてないからかも。
「……一度しか言わんぞ、いいか。
私の魔法には勝手に干渉するな。それが守れなければ指導する話は無しだ」
そう言いながら叩く時にぶつけた杖の部分を撫でている。アルノー様が気にしているのは杖の心配なのか、暴力を振るってしまった事へなのか…。
「…わかりました、もうしません」
俺もそんなつもりは無かったとはいえ、結果的にアルノー様にこんな事をさせてしまって嫌だった。叩かれたこと自体は……まぁ、この人は本当に竜神さまの血を飲んでも筋力が上がらなかったんだなって思った位かな。
鹿は俺達が騒いでるのを尻目に、森の中へ帰って行った。




