2-12
「情で訴えてくるのはこれで最後にしてくださいね」
工房までの道すがら、外出用の服に着替えた奥様からそこはかとなく不満気に言われる。こんなのそうそう有ることじゃないので、お願い自体もうしないと思うけどね。
あと、結局工房との話し合いは俺に任せてくれるそうだ。ただ、肩書きについては敢えて明言せずに誤魔化す方向で行くらしい。奥様と、奥様に付いてきたもう一人の男の人は見届け役だね。
「あんまり良くない頼み方だとは俺も思いました。でもランドルがかわいそうだったので、何とかしてあげたかったんです」
「その場にいたコロウさんがそう思うなら、仕方ありませんけど。
でも、どこかでお詫びをしてもらいたいですけどね?」
奥様はうふふと笑って言う。これからの話し合いについてはあんまり心配していなさそうだ。
うーん、お詫びねぇ。俺に出来るお詫びってなんなんやろ?っていうか、俺奴隷なんだから命令すれば良いんじゃね。
「なぁ、何でそんなに奥様と仲良さそうなんだよ?」
話が途切れたところでこっそりキースが聞いてくる。
奥様は優しいから、仲良しになることなんてそんな難しい事じゃないと思うけどな。
「キースも話しかけてみたら?普通に仲良くなれると思うよ?」
「いやいやムリムリ。ご主人様の奥様だぞ?
恐れ多くて、何言えば良いかわかんないって」
ふむ、なるほどそういう感じね。基本的な奴隷の思考はご主人様に対しては深く関わろうとはしないものなんだろう。
でも何故かダミカの場合は、その点を気にしなさそうなイメージがある。
でもまぁ、こういった感性は神様が身近に感じられるような世界だからかもしれない。自分を支配している存在が、想像の及ばない方法で自分に罰を与えて来るかもしれない。しかもキースぐらいの年齢だと何が目上の人にとって失礼になるかもよくわからないだろう。必要以上に萎縮するのも理解は出来る。
逆に目上の人に遠慮せずに話ができてる時点で気に入られる要素にはなるってことか。まぁ、それを受け入れてくれる奥様の心の広さもあっての事だろうけどね。
「目上の人と話をするときに、必要以上に黙っていたらそれはそれで失礼になるよ。
大事なのは相手を尊重しながら言葉を選ぶ姿勢だね。相手を不機嫌にさせてしまったら、素直に謝れば良いだけだから気にしすぎない方がいいよ」
「えぇー、うーん……難しいよ。
何て言うかその、不機嫌にさせるかもって思っちゃうだけで言葉なんか出てこないよ」
「大丈夫、その辺は経験だから。そのうち慣れてくるよ。
今日の俺の話し合い見ててな」
そう言って、キースの持つ木箱をコツンと叩いた。中にはランドルが落とした木工細工が入れられている。
場所は目的地の工房。ここに乗り込んですることは、ここまでの経緯を説明し、この工房側のミスと、ランドルが破損させてしまった損失をどう埋め合わせるかについて、俺がどう話をつけるのか、だ。
俺は落ち着いている。覚悟も決まってる。ランドルは正直、良い子だとは思わない。だけど助けになってやると決めた。
俺に助けられたと思うかどうかは彼次第。助けられたと思ったとして、その後どんな人間になるかも彼次第だ。
「ごめんください」
工房には受け付けなどなくて、入り口からはみ出る程の大小様々な、数多の種類の木材が乱雑に置かれていた。
木の匂いはもちろん、表面を加工するためのものか、薬品の匂いも感じられる。
そして、足の踏み場も無いほど所狭しと並べられた作品の数々には圧倒される。この光景だけでも壮観と言えるけれど、これら全てに緻密な細工が施されていることを加味すれば、この空間自体がどこか神聖な雰囲気を醸し出しているような気にもなってくる。
木工の神様が居たとすれば、ここはその聖堂にでもなるんだろうか。
「お忙しいところ申し訳ありません、どなたかいませんか?」
人の気配は感じられた。再度呼び掛けると、奥から木屑にまみれた服を着た、20代くらいの女性がやって来た。
「ええ?誰?
うわ、珍しい人…」
髪色の事を言われるのは久しぶりな気がした。
「黒馬商業ギルド所属のダボスト商会の者です。
統括責任者の対応をお願い出来るかしら?」
奥様の言葉で、前に出た付き添いの男の人がお盆を差し出す。そこに載せられていたのは何と金貨だった。
「あっ、お世話になってます。
親方で良いですかね?すぐ呼んできますから、えっと…ちょっとそのまま、待っててください」
女の人は金貨を無造作に掴み取ると、慎重さなんてまるで感じられない様子でひょいひょいと作品を跨ぎながら奥へ消えていった。
…これくらいの工房になると、金貨もこれだけの作品も大した物じゃなくなってくるのかな。
「これ、ずっと玄関で話するのかな…」
キースが呟く。確かにずっと立ちっぱなしは辛いかも。どんだけ話が長くなるかわからないんだし。
かといって、奥に行くにもこの作品の隙間を通っていくのは怖いな。壊してしまう可能性あるし。
とか思ってたら別の男の人がやって来た。
「あー、どうも。
えっとぉ、まぁ案内しろって言われたんで、こっち来て下さい。こっちに」
うーん、来いって言われてもなあ。
「申し訳ありません、この作品の中を通っていくのはお断りさせて頂きたい。
忍びないのですが別の場所か、ここでお話しできないでしょうか」
「へへ、気を付けて行けば大丈夫ですよ。
それに俺なんかこの前三つくらい一気に壊したし」
おいおい、こいつやべーだろ。失敗談を初対面の、それもお得意先に自分からペラペラ喋り出すとか大物感半端ない。でもこの感じからすると大物なんかじゃない。ただのアホだわ。
「…いえ、今回は破損させるつもりも弁償する予定もございません」
「弁償なんて、俺そん時は親方のゲンコツ一発で許してもらったんすから」
間違いなくアホだわこいつ。へらへら笑ってるし。マジでポンコツがゲンコツもらった話とかどうでもいいんだが。
「ご機嫌を損ねたくはありませんが、そのような対応しか望めないのでしたら今日はこれで失礼したいと思います。如何しますか?」
怒気が籠るのはしょうがないだろうな。それだけの対応をされたんだから。ただ、キースはこれで帰って良いのかと、思索している様子だった。
「…あー…じゃあ、裏から。どうぞ…」
自分の対応で不機嫌にさせてしまったと感じたのか、声のトーンが幾分か下がった。
ペコペコ頭を下げながら俺達の横を通って一度外に出る彼を見送ると、奥様がこっそり話しかけてきた。
「うふふ、うちの奴隷の子達よりも心配になる人でしたね」
「ええ、本当に。
失敗したことを恥じて反省できるだけ、ランドルの方がまだ見込みありますよ」
「…もしかしたら、今回のことにも関わりがある人かもしれませんね」
さ も あ り な ん
こいつが木工用ボンド塗り忘れて、ランドルの運んでた作品がバラバラになったんじゃねーのって、めちゃめちゃ疑ってしまった。
でも話し合いをする前からそういう先入観を持って挑んでいたらいかんな。そういった気持ちでいると、無意識に決めつけて喋ってしまうかもしれない。
いかんいかん。奥様にも言っとかないと。
「疑う気持ちもわかりますが、俺に任せて頂きたいです。誰が悪いかを決めに来たのではなく、ランドルを救うために来たので」
「…ええ、全てコロウさんにお任せします。
けれど、うちの商会に不都合があると判断したらそれまでですからね?」
うむ、存じております。けどねー、バランスが難しそうなんだよねー。
俺はランドルを救いたいんだけど、商会職員としての全権を持ってる訳じゃないんだよね。ランドルの保証と商会の利益を天秤にかけながら、綱渡りをするような感じになるわけだから楽な交渉じゃ無いかもしれない。
交渉相手になる親方が、優しい人だと嬉しいなーって思いながら通された部屋には厳めしい顔に髭を蓄えた老人が待ち構えてた。職人感強めだ。
「お忙しいところ申し訳ございません。
黒馬商業ギルドの…」
奥様が玄関でしたのと同じ挨拶を始めた所だったけど、そこで遮られた。
「仕事が押してんだ、とっとと話してくれや」
お、こういう感じか。なるほどわかったぞ。話が早くて助かる。
「では失礼して、説明をさせて頂きます」
キースから箱を奪い取って、中の作品を取り出して親方の前に差し出す。
親方は訝しげにちらと俺を睨むと、出された作品を無言で吟味する。
すると、5秒かそこらでこちらから説明せずとも全てわかってくれたのか、頭を下げてきてくれた。
「うちの工房の落ち度だな、こりゃ。
悪かった。わざわざ足を運んでもらって、すまねぇ」
やはり、糊が使われてなかったことはもちろん、破損した経緯についても想像だろうけど瞬時に理解してくれたみたいだ。
しかもその落ち度を認めて頭を下げてくれる立派な人だった。きっと自分の仕事にちゃんとしたプライドを持って取り組んでいるのだろう。
だからこそ思う。糊を付け忘れたのは親方じゃない可能性が高いという事を。
さて、ここからの話し合いは気合い入れていかないとな。




