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「さて、コウタロウ。そなたは何歳になる?」
「歳は、35です。もうすぐ36になります」
「ほう。人間族の見た目は相変わらずわからぬな。もっと若いのかと思ったが」
「人間……アジア人は若く見えるみたいですですね。はは」
「何か、武術の心得はあるのか?」
「武術の……いえ、特に。ボクシングなら時々見てました」
「ふむ…それはどういうものか?」
「リングっていう、舞台の上で行う一対一の殴り合いです。武器無しの」
「拳闘か、不毛なものよな。死ぬまで殴らなければならぬというのも」
「あ、えーっと…そこまで殴らなくても良いです。ちゃんと審判がいて、時間制限もあって、命の危険があれば直ぐ止められますから」
「成る程。命の重みを理解していると見える。
しかし、そなたは見るだけなのか?」
「そうです。それもテレビっていう……まぁ、間近じゃ無くて、遠いところから見る道具を使ってなんですが。
あぁ、運動ならフットサルとバレーを時々遊びでやってた位ですね」
「…どちらもわからぬな。我はそなた自身がこの世界で身を守る術を持ち得ているのか心配なのだが」
「…この世界、危険が多い世界なんですか?」
「村や街ならば危険は少なかろう。しかしそなたはこの世界で親無しよ。
人里に馴染むには都合が悪かろう」
「あっ……。あぁ、この世界の人達はそういう閉鎖的な価値観なんですね…。」
『親』……やっぱり、聞いておかなきゃ、ダメだよな。怖いけれど、もしかしたらもあるし。案外うまく行くかもしれないしね。うん。
「俺、子供がいるんです」
言葉にした途端、息子との記憶がぶわっと爆発したように思い出された。
出産に立ち会えず、翌日に顔を見れたことから始まって、手を握ってくれたこと、笑ったこと、喃語、寝返り、はいはい、おすわり、つかまり立ち、アンパンパンって喋ったこと。覚えてられず、忘れてしまっていたくらい、沢山の『はじめて』出来た時のことを一気に思い出した。それがどうしようもなく俺の感情を揺さぶってくる。
あの子についての最後の想い出は、歌を歌おうとしてた所だった。
妻と俺の話す言葉を真似して、少しずつ覚えた単語をリズムに乗せて、一生懸命に歌っていた。
一つのフレーズの終わりがやたら強く発音されてて、力も入ってるからか、頭も揺れてて…。
その様子がリズムに乗っているみたいだねと、妻と二人で笑って。するとあの子は、『何で笑ったの?』ってこっちを見てくる。妻は抱き締めて、くすぐって、『上手に歌えてるからだよっ!』って言って…。俺は……心からがんばれって、歌って言葉を覚えて、いっぱい喋れるようになるんだよってあの子を応援していた。
我が子の成長の神秘を、間近で見て支えられる事に感動していた。この自分の運命に感謝さえしていた。
俺にとって、あの子は大きな大きな生き甲斐だった。
だけど今は………俺は現実を受け止められるかどうか、俺はそれだけのことを堪えられるのかと、不安に思いながらも言葉は止められない。
落ち着け落ち着けと心を鎮めようとしながらも、どうしようもなく心臓が強く拍動する。
「俺はその子と生きたいです。元の世界に送り返してくれませんか?」
どうにも落ち着かなかった心が、望みを言葉にした途端、急に冷静さを取り戻す。
目の前のドラゴンが、見えてる以上に小さく感じた。
戦ってどうこう出来る相手じゃないのはわかっているが、そういう問題でこの話をうやむやにする気にはならない。
機嫌を損ねてしまうかもしれない。そのせいで殺されてしまうかもしれない。
それでもいい。それぐらいの気持ちになれた。
ただ……そう思ってた時点で、どこか答えがわかっていたのかもしれない。
「…すまない。我には送り返すことは出来ぬ」
…あぁ、そっか。あんたには無理か。
「召還魔法は前提として、魔術による契約が基礎にあり、転移する距離、対象の大きさ、重さ、レベル、魔力総量の数値を元に計算され、相応の魔力を消費して成立する。
………そなたは我と魂を分け合っておる。故に、ほぼ我の肉体の一部を召還するのと同等の条件で良かった」
「方法についてはどうでもいい。それで?」
「………我は、我と同じ魂を持つものが、よもや子を成しておるとは夢にも思わなんだ。
…どう、そなたに詫びたらよかろうか」
………まさか、知らなかったから許せって言いたいのか?
冷静さが、蒸発していく。ドロドロのマグマみたいな怒りが心の中に広がっていくからだ。
でも、冷静な部分が干上がる前に、聞いておかなきゃいけないことがあった。
「あんたに出来ないなら、出来そうな奴に心当たりは?」
さっき、こいつは『我には』出来ないと言った。
なら出来る可能性のあるやつなら知ってるはずだ。こいつとの関係がめちゃくちゃになる前に、その前に聞いておかなきゃいけない。
「召還には……魔方陣が必須。魔術触媒、供物、術式。それらを以て、召還魔法の使用者が魔方陣に魔力を流さなくてはならぬ。
そなたの世界に魔方陣を扱える者と、必要な触媒を揃え、かつそなたと契約をしておる存在でなければ………。
だが、そなたには全く魔力が宿っておらぬ。
魔法自体、無い世界であろう」
じゃあ誰にも出来ないと。
「だったら、召還が駄目なら…送り出す魔法は?」
「不可能であろうな…。
魔術で対象を引き寄せることは出来ても、目的の場所に送るというものは困難を極める。
それが遠ければ遠いほど、距離に比例して途方もない技術を要するであろう」
「…………。」
俺の世界……神隠しとかあったかな。
きっとそれが召還とかなんとかで、魔法を使える人ももしかしたらいたかもしれない。そういう人に、妻が依頼をしてくれるかも。
だから誰かが元の世界から俺を呼び寄せてくれる………。なんて、どれだけ可能性の低い話だろう?
ゼロじゃないだろうけど、俺はそれに縋ってどれだけ待てるんだろう。
というか、こいつを信じて良いのか?
嘘なんて、いくらでも言える状況だからな。
いや、今考える事ではない。
……んっ!?…もし嘘じゃないとしたら、戻せないことを知ってて俺をわざわざ…?
その考えに至った瞬間、ぐっと腹の底が熱くなった。
「俺を、何で呼び寄せた」
もう、この憎しみまで深く成った怒りは隠し通せない。誰にも。自分にだって。
俺の目はこいつを睨み付けているだろう。握りしめた手も震わせて。
「…そなたの、怒りは納められぬだろうよ。
だが何をしようとも、我はそなたに伝え聞かせよう」