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奥様は所謂妙齢の女性と言われるような人だった。直感的な印象では40歳手前くらいかな。見る人が見れば20代後半とかに見えてしまうかも。
「いらっしゃい、コロウさん。それにダミカちゃんも。
どうぞ腰掛けて」
手で座るように促す仕草は優雅で、これがお貴族さまなのかなと思わせられる。でも話では貴族じゃなくて、商人の奥様でしかないらしいけど。
奥様の座る対面には椅子が2つ。テーブルにはもう既に何種類か料理が並べられていたが、席毎に置かれた料理の量が見るからに違う。その意図はわからんけど多い方へダミカを座らせてあげた。
「道中は何もなかったかしら?
失礼なことをされたりしなかった?」
同席するのは3人だけで他はいないけど、室内側の扉の横に召使いさんぽい人がいるだけだ。だとしても、一応は女の人達に聞かれて困るようなことは言わない方がいいな。
「自分は奴隷なので。その扱いに期待はしてません」
本当は一言くらい文句言いたいんだけど、それはご飯食べる前に言わなくても良いや。
「…ん?ごめんなさいね、もう一回言ってもらえるかしら」
…早くスキル上達したい。
「いえ、なんでもないです、大したことされてません」
「あら…そう?」
出だしは躓いたけれど、とりあえず食べ始める前に挨拶くらいしとくか。
「お招きして下さって嬉しく思います奥様。ご存じでしょうが、昨日から奴隷を勤めさせて頂いているコロウです」
「ふふ、ご丁寧な自己紹介どうもありがとう。
そんな事をしてくれる子は今まで居なかったわ。
それと、世の中で奴隷とは勤めるような仕事としては扱われていないもの……ごめんなさいね、ちょっと可笑しくて」
奥様は口許に手をやり、上品に笑ってしまっていた。笑みがこぼれてる様子である。
うーむ、この世界の人の感覚からすると、奴隷は地位が低いものだから仕事として勤めるのではなくて、囚人の労役みたいな扱いになるのだろうか。俺の言い回しは奥様からすると滑稽に見えたかもしれない。
「すみません、何分奴隷になりたてなもので…。
ですがどんな形であれ奥様に笑って頂けるなら、世間知らずが恥を晒したことも役に立つものだと思えます」
笑ってくれて結果オーライっす。
「ダミカです」
こっちの自己紹介はめちゃ簡潔。それでいい。
「うふふ、楽しい食事になりそうね。
さあ食べましょう。遠慮せず、足りなければ言うのよ?」
奥様はにこにこしながら、小さめのパンを手で千切って一口食べた。
髪はつやつやしてて綺麗で、赤みのあるクリーム色。癖もなく、全体的に顔の左側に垂らしてある。大人の色香を控えめながらも感じさせる印象だ。
しかし服装はそこまで華美ではない。素材は普段の奴隷に着せている服と同じだと思う。デザインはさすがに違うけど。
並べられた料理は高級というわけでは無さそうだ。だからといって奴隷が気軽に手に入れられる程の安物でも無いだろうけど。ただ品数が多い。果物もある。俺はおっさんだけど甘いの好きなんだ、楽しみ。
美味しそうなのは後で食べることとして、取り敢えず用意された手拭きで両手を清めてから、豆の入ったスープを掬って一口頂く。
淡い緑色のスープはほうれん草の味がした。ポタージュスープかな。苦味と青臭さがふわっと香るけど、その後からバターの香りが全部塗りつぶしてくれる。舌触りは滑らかで、豆の歯応えが楽しい。美味しいな。
隣を見るとダミカも同じスープを食べていたけどスプーンは使ってなかった。器を両手で持って、一口ずつ啜って飲んでる。豆は噛んで無いなこいつ。口の回りの毛もスープの色に染まってる。飲み終わったら拭いてあげたい。
「コロウさん、もしかして貴方は高貴な方々のご子息なのかしら?
それとも教育に熱心なご家族の下で育てられたとか?」
…急に何なんですかね?
意図がわからず動きが止まってしまったけど、スープに飽きたのか隣のダミカは用意されたカトラリーを使わず、それどころか手拭きも一度も使ってないのに肉料理を手で掴んで食べ始めた。
食べ散らかす程汚い食べ方ではないけど、箸を使いこなす日本人からしたら引かれるような食べ方だ。3歳児の食事でももうちょっと道具を使うだろう。
だけど、ダミカが獣人だからというわけではなくて、この食べ方が普通なのかもしれない。奴隷の食堂では皆手掴みで食べてた。というかフォークもスプーンも無い。手が汚れたら服で拭っていた。
きっと俺の方が変なんだ。でも正直に全ての事情を話せる訳ではない。
「俺の住んでいた所は、魔物に怯えず犯罪も少なく平和な場所でした。生活も豊かで、例えば…色々な教育を誰もがほとんど無償で受けることが出来るんです。
そこで俺は妻と子と暮らしていましたが、今はもう全てを失いました。
残ったのはこの身一つです。住んでいた所へ戻ることもできません」
…色々と包み隠しながら話そうと思ったけど、全部言ってしまったような気もする。
奥様は食事の手を止めて聞いていた。考えていると言うよりも、俺が真実を話してるのかどうかを見極めているように見えた。
「私にも夫と二人の子供がいるわ。
一人は夫を手伝っているけれど、一人は独立してしまったわ。時々会えるのだけど、いつも会えなくなるのは寂しいわね…」
まだ会えているなら良いじゃん。バチクソ羨ましいぞ畜生。
そう思うけど、あなたもう成人してる子供が二人もいるの?計算が合わんのだけど。
「貴方の身の上話、とても興味のある話だけれど…ごめんなさいね、そんな国に心当たりが無いわ。
何と言う名前の国で、どこにあるのかしら?」
ニッポンは、名前としては違和感があるかな。ちょっと変な風にしよう。
「名前はジャポネです。
場所はわかりません。ある日気がついたらドワーフの人達がいっぱい居る町に居ました。それが一月前程の事です」
正直に言う必要はない。転移させられたとか、誘拐されたとでも勝手に解釈してくれれば良いのだ。
「その町というのはスタンビーゲの事ね。
鉄の町、武器の製造が盛んだったでしょう?私達のお得意先よ。
それに立派な竜を崇めてる」
竜神さまの事だろう。歩いてほど近い町だから知ってて当然だよね。
「きっと貴方は地脈の乱れに巻き込まれたのでしょうね。神々のいたずらか、転移魔法の被害者か…。
ああ、そう。前の国の言葉、何か言ってもらえるかしら?」
地脈の乱れ、そういうものもあるのか。まぁ転移魔法の被害者って方が正解なんだけど、地脈というものに関してはそういう災害も有るかもしれないことを覚えておこう。
そして日本語か。意識して言語スキルをオフにしてから、面白がって普段口にしないような言葉をべらべら喋ってみた。ちゃんと日本語で喋れてた。
奥様から直ぐに止められるかと思ったけど、少し目を見開いてじっくり聞いていた。一分くらい喋り続けると、段々と適当にさえも思い付く言葉が無くなってきて自分から止まってしまった。スキルを意識してオンに戻す。
「……コロウさん、謝っておくことがあるのだけど」
「はい?何でしょう?」
「正直、私は貴方のことを信じていなかったの。
使用人から上がってくる話を聞いて、気の触れた貴族様が遊び半分で奴隷の生活を体験しようとしていたのか、ここの奴隷達を統率して、私達に不利益を与えようと画策している他の商会の刺客かとも思ったりしたわ」
「…そんな人いるんですか?」
ネビス様に怒られてしまえそんなやつら。
「いいえ、耳にしたことは無いけれど…。でも、あまりにも異質だったんだもの。
何か裏があると思ってしまうのも仕方ないわよ。
だって言葉が上手く話せないだけで、機転も効くし人当たりも良かったでしょう?
身体の方もしっかりしてる。剣の扱いだって心得ている。きっとどんな仕事でもこなせるでしょう。
成人したてでもないのに、何故奴隷になんてなるのかと思うじゃない」
……俺の評価ってそんなに良いのか?というか、色々と突っ込み所が多いような気がする。まだここにきて二日目って事を忘れそうになるな。
ただ、奥様の考えていたことは段々と掴めてきた。ここは諦めて全て正直に話してしまった方が良いかもね。




