2-7
苛立つ心を妻への想いが鎮めてくれた。それがなければ怒りの感情を隠せなかったかもしれない。
子供が生まれる前でも妻からの俺への信頼は厚かった。女性関係を怪しむような事をされた覚えは一度もない。俺のどの部分が妻を安心させてあげられていたのか今でも判らないが、俺もその信頼に応えなければいけないと思う。
「ここは奴隷をそういうことにも使う場所なんですか?」
「あら?喜ぶのかと思ったけれど。
嫌なら嫌で別に私はどうでも良いわ。ただ奥様に気に入られれば特別に御駄賃が頂けるかもしれないわよ?」
……ほっとした、そういうシステムか。というか、そもそも無理矢理そういうことを奴隷に行わせるのは奴隷の神様に怒られるんだろうな。
でも、ただ嫌ですと断ってしまったら、これからの風当たりが悪くなるかもしれない。事情をちゃんと伝えよう。
「あの…奥様はご存じ無いかもしれませんけど、俺には妻が居たんです。
訳あってもう会えないかもしれませんが、大切にしてきた想いがありますので、そういうことをする気にはなれません」
そう言うと、なぜかアンネさんがソワソワし始めた。さっきも確認を怠った事を指摘されてたし、俺に断られると彼女にとっては都合が悪いのかもしれない。
そこへ荷物を持って女の人が入って来た。さっきまでシアと呼ばれてた人だ。
「…貴方の事情は興味無いわ。精々有り難く奥様のお叱りでも受けてくることね。
今からは奥様と一緒に食事を取ること。これだけは断れないわよ」
……まあご飯くらいなら良いか。
ここまでの準備も、奥様にお会いするためだったということかな。
気になるのは、何で奥様という上の立場の人が奴隷なんかと食事をするのかということだ。暇なのか?
奴隷は貫頭衣みたいな服を着てる子が多かった。シアさんに渡された服を早速着てみると、継ぎ接ぎは有るけどちゃんとした洋服だった。チャイナシャツみたいなボタンが無くて紐で結ぶタイプのシャツと七分丈のズボン。ズボンもゴムじゃなくて紐で留める奴だ。
ダミカは胸にサラシを二重に巻いたのと、腰に短いスカートを着けた、装いだけなら夏場のギャルみたいな格好になっている。
「ダミカって何歳?」
「17」
ギャルだった。
「ふー、これでいいわね。
さあアンネ、片付けはシアに任せて二人を連れてきてちょうだい。
私は一足先に奥様の所へ行ってくるわ。
出る前にクレイブへ顔見せしておくのよ、大分変わっちゃったもの」
「あ…あっはい、か、畏まりました…」
アンネさんはおどおどした様子で返事する。
クレイブさんは奴隷の宿舎を管理してる人だった。服装や背の高さとかもチェックされてからアンネさんの案内で町を歩く。
夕方を過ぎて、もうほとんど夜だ。アンネさんが提灯で足元を照らしながら進んでいく。一般的に使われてる光源は蝋燭ばかりなのか、建物から漏れる灯りはほんの僅か。街灯なんて物は無いから道を照らす物は何もない。夜とはいえ、町の中に居るのに田舎に来たみたいだ。
こんなに暗いと、治安が心配だな…。
でも丁度良いかも。今なら人目も少ないし、アンネさんにはちょっとお灸を据えてやらねば。
「アンネさんアンネさん」
「は、はい…」
「さっきはよくも俺の体をくまなく洗ってくれましたね?
俺には妻がいることも知ってたんでしょう?」
「ひ、ひいいぃ」
アンネさんは震え上がって提灯を持つ手をガタガタ揺らしている。ビビりすぎではないか?
「わ、私は言われた通りにやっただけなんですぅ…。
姐さまが目的のことは話すなって…」
姐さまとは、あの指示出ししてた女の人のことかな。…あれ?なんかこの人聞いてもいない、いらんことを喋ってないか?
「目的のことを話すなって、具体的にはどんな事なんですかねぇ?」
「あ、え?あ、あっ!あ、あぁ…あっあう」
テンパりまくってる。ちょっとかわいそうだな。
「大丈夫です、本当のこと喋ってくれたらこの事は誰にも言いませんから。
アンネさんは秘密にしてることを全部吐き出して楽になりましょう」
悪気は無くて優しさで言ったつもりだったけど、自分で振り返るとこの言い方は詐欺師の手口みたいだな。
「楽に…なりたいですぅ!」
「じゃあ洗いざらいおねがいしますぅ!」
「コロウ楽しそう」
いやいや、そんな風には微塵も思っていませんよダミカさん。んふふ。
「奥様が、奥様は旦那様が所有されてらっしゃる奴隷から時々話を聞くというか、情報収集をされてて…。今日みたいにです。
得意なこととか、奴隷になる前の生活とか…」
なるほどな。商売してる人達だから情報は貴重なんだろう。ただ奴隷から仕入れた情報にどんな価値があるかはわからないけど……何にせよ、奥様からしたらこの活動への優先順位は低そう。
「ダミカはこういうことって今まで無かったの?」
「私はお父さんに売られた時に大体そういう話を済ませてたと思う」
殴られたような衝撃で、一瞬目眩がした。聞いてなかったが、ダミカは親に売られて奴隷になったのか…。
可哀想に…。今は辛くないのだろうかと聞きたくなったが、もう彼女にとっては乗り越えた事なのかもしれない。今はそっとしておいてあげよう。
だが、考えてみれば奴隷の子は皆若かった。ダミカだけじゃなくて似たような境遇の子ばかりなのかもしれない。
キースもランドルも、他の子達だってもしかしたら…。この世界では良くあることなのかもしれない。親代わりにはなってあげられないだろうけど、もっと彼らに優しくしてあげたいな。
「教えてくれてありがとね、ダミカ」
「大丈夫」
本当に全然平気そうだ。でも俺の中ではまだ気がかりな事として残ってしまっている。ダミカに情が沸いてしまっているということだろう。それも仕方ないか…。でも今は切り替えていこう。
「それで、口止めされてた目的ってそれだけ?」
「ええと、旦那様は色々とお忙しい身で、でも奥様は自由なお時間が多いとかで…。所有されている奴隷でお遊びをされることがあるかもしれないと姐さまが気を遣っていて…。
私は噂話しか聞いたこと無いんですぅ」
…なんか聞きたいこととずれてる気がする。
「アンネさん、俺と関係のあることを喋ってくれたら嬉しいです。
姐さんに口止めされてた具体的な事って何でしょう?」
「あ、あっあっ!
…ええっと、そ、そういうことを先に言ってしまうと、弱味を握られてしまうかもしれないからって…。
だからギリギリまで目的のことは奴隷に知らせるなって姐さまが…」
…うーん、よくわからなくなってきた。そんなことのために策を労する程なのか?
考えてもわからないな。とりあえず、俺はアンネさんの弱味を掴んだということで話を切り上げるか。この様子なら、そこら中の人に弱味握られていそうだけど。安い弱味だなあおい。
「良くわかりましたよアンネさん。
この事は俺も黙っておきます。神に誓って他の人には喋りません。だから安心してくださいね」
本当は何のために秘密にしてたのか良くわかってないけど。
ここまでアンネさんがテンパる度に歩みが遅くなってたが、ようやく目的地に着いた。
門のある屋敷の敷地内に入ったけど、俺たちが行くのは奥の方にある大きな屋敷じゃなくて、こぢんまりとした家屋だった。和風じゃないし煉瓦造りだけどなんか茶室みたい。その入り口にあの女の人がいる。
「ちょっと遅かったかしら。
道には迷わないでしょ、何かあったの?」
入り口に近付いて行くと女の人がダミカの方を怪しむように見ながら言ってきた。
ダミカが怪しまれるのはなんでだろと思いつつも、俺が原因なんだからフォローしないといけないな。
「すみません。俺が先に用を足してた方が良いかと思って脇道に逸れたんです。
奥様と食事中に退席するのは失礼だと思って」
アンネさんにアイコンタクトしながら言う。これで意味が伝わらなかったらポンコツすぎだ。大体俺が原因だけど、いちいち歩みが鈍くなるアンネさんも悪いんだからな。
最後には非難めいた目付きになってしまってただろうけど、アンネさんには伝わったみたいで黙っててくれてた。うんうん、それで良い。
「ふぅん……まあ良いわ。
奥様がお待ちよ、早くお入り」
アンネさんは入らないみたいで立ち止まった。中に入っていく女の人に迷わずついていくダミカ。何も恐れていなさそう。




