(8)
対象指定ができない。
俺の絶望を嗅ぎ取ったのか、またグラトニーの高笑いが聞こえる。ゆらゆらと空気を揺らす炎の海から白い指でコルノを指す。
「森の塔の姫君。あなたほんとに可哀想。王族なのにあんな粗末な暮らしを強いられ、役に立たない愚鈍な従者、もう戻ることは叶わないのに足枷は外れない。同情するわ。でもわたくし、あなたのような純心な乙女は好きよ。どう? わたくしとこの世界を謳歌しない?」
何言ってるかわかんねえ。王族? コルノが? なんだよ、それ。
コルノはキッとグラトニーを睨む。
「……私は守護執行者に誇りを持っています。たとえ足枷をつけられようと、あなたのような悪魔には屈しない。それに凛郎は従者ではなく、戦友です」
「まあ、本当に純心。さすが森の精霊王に加護を授かっただけはあるわ。無垢な乙女が大好物なあの鹿。趣味だけはいいわね」
「精霊王を侮辱するな!」
「ふふ、本当に素晴らしい乙女だわ。純心は一途のはじまりを含む、でしたわね。神だの精霊だのが 宣 い、人間を手駒にする考え。それを体現するあなたを喰らうわたくしは真なる悪魔となりますわね」
炎の中でグラトニーは手で空を切る。
その軌跡に黒い筋が浮かぶ。菱形になり、それが黒く塗り潰される。
「我が名、供物暴食よ。魂の味を召しあがろうぞ」
黒い菱形にグラトニーは手を入れる。菱形からでできた腕はヌルヌルと黒いヘドロに変わり、一つになるとまた二叉に開く。開いたヘドロには無数の牙が生え、鞭のようにしなり、空を逃げ惑う鳥の群れを一瞬にして飲み込んだ。
「テレスハレスは聖典が大成すれば、この世界のように悪魔は排すおつもりですわ。ならば、こちらの世界を悪魔だけにすれば、お考えも変わることでしょう。強き命をお求めになるのなら、悪魔をお選びになりますわ! わたくしはその母となりましょう」
黒い牙の鞭が飛んでくる。
コルノは銀の額当て投げつけた。
「我が血を分けし姉君たちよ! 異界よりお力をお貸しください! 五つの乙花!」
額当てが砕け、煙のような5人の少女が現れた。黒い鞭が彼女たちの出す花のような魔法陣で抑え込まれた。
「凛郎、いったん引きます」
コルノに腕を掴まれ、グラトニーから引き離される。黒い鞭は追ってくるが、花弁の魔法陣で弾かれる。
炎で明るい林の中に降りると、コルノは薄く笑いながら言った。
「凛郎、私たちが敵う相手ではないとわかりましたか?」
「わかるも何も、マジでヤバすぎだろ」
血の滲んだ右の掌を見る。対象指定ができないんじゃ、使い物にならない。
でもコルノがいる。シンティラの時と同様、策はあるはずだ。
「コルノ、作戦を聞かせろよ」
「……私がグラトニー公爵に衝突します」
「コルノの魔力を対象指定すればいいのか?」
「いいえ。凛郎の力を返して頂きます。そして私がグラトニー公爵の内部より、全てを賭して衝 突の魔法を行使します」
……は? 全てを賭す?
「凛郎の対象指定距 離を使って、私が内部衝突するのです。協力をお願いします」
「……対象指定距離って、なんだよ?」
「全く魔力を使わずに指定の場所まで歩いたり、指定した滝に打たれたり、己の肉体に課した修練は穢れを祓う力としてを蓄えることができるのです」
修行みたいなものか。
それで身体強化を使わなかったのか。
「本来なら精霊王に捧ぐべきものなのですが、凛郎の走った蓄えを糧に私がグラトニー公爵の内部で衝突を起こします」
……大丈夫だよな、コルノはこんなに落ち着いてるし、内部衝突して、グラトニーを倒したらケロッと出てくるんだよな。
「いいですか? 私がグラトニー公爵に飲み込まれたら、凛郎はコリジオンの名を返還するのです。グラトニー公爵は対象を捕食する過程がなければ、力を得られません。コリジオンの力を持たない私の捕食後に力を戻すのです。一瞬なら、まだ私の力として内部から衝突を放てることでしょう。いいえ、欠片の肉になったとしても放ってみせます」
……カケラの肉?
「……ちょっと、待てよ。それって、コルノ、おまえはどうなるんだよ?」
「凛郎、このスマホカバーにはまだ私の媒介として魔力が宿っています。タイミングは伝えます。ここであなたがカバーを叩き割れば、力は戻すことができます」
「答えろよ。お前はどうなるんだよ?」
「時間がありません。凛郎、任せましたよ」
「答えろよ! 死ぬのかよ⁉︎」
「あなたがここで躊躇えば、この世界の人間は全員死にますよ‼︎」
コルノの怒声にビリっと身体が震える。
俺は何に協力しようとしてるんだ……?
戻るつもりはない、ってそういうことなのか。