(5)
回収したスマホは傷ひとつなかった。
あー……良かった。怪我はないってことだな。思念体が怪我するのかは謎だが、無事で何よりだ。
それにしても、今朝はイレギュラー過ぎだよな……。
「なあ、少し話さないか」
近くの芝生に腰を下ろす。認識阻害はまだ効いているようだ。公園内のランナーたちは俺には目もくれず走っている。
——いいでしょう。反省会ですね。やはり、最後の衝突の詠唱でしょうか。1秒ほど早く唱えることができたかと思います。
1秒の技術向上を求める人が、戦闘前に何千秒も走らせるとは、コルノ鬼教官はさすがですね!
って、違う。戦闘の話じゃない。
「シンティラってやつのことだよ。……文句無しに化け物じゃん。急に難易度上がり過ぎてないか? どうなってるのか聞きたいんだよ」
——……シンティラは王国に堂々と巣食う悪魔の貴族の一人です。彼女たちは王都に邸宅すら持っています。そう言えば、王国の現状はおわかりになりますか?
「悪魔と住んでるって言うのかよ……」
——はい。王国は共存を模索していますが、難しい状況です。王太子クレストランブル殿下はこの世界の文化を通した交流を試みています。しかし今回シンティラの子息により、親しい近衛の兵を多く失われて、大変ご傷心になり……。やはり猫耳メイドに和平を託すしかない、とご決断され裁縫を始めたようです。
「今度はコスプレに手を出すのか。猫耳メイドは英断だな……って、俺は真面目な話をしてるんだ!」
——凛郎、王国の悪魔の興味が人間の平伏から逸れるならば、私たちはどんなものにも縋るしかないのです。
コルノは至極真面目にそう言った。
「そ、そうか……。悪かった」
——いいのですよ。こちらの手違いで、シンティラが転送されてきましたし。
……は? 手違い?
——たった一カ月の若輩者である凛郎に送られるはずないですから。安心してください。もうこのようなことがないよう、進言します。
なるほど。手違いか。
いや、この発言を紐解くと、つまり……。
「他にも委託執行者がいるのか⁉︎」
——ええ。特にイギリスには多くいますよ。この世界で委託執行者をしてくださる方々のほとんどがいます。
「……あの大ベストセラーの影響か?」
——はい。かの国は魔法に全く抵抗がないのです。やっぱり使えるんだ、と言う方ばかりで、覚えも大変に良いらしいです。こちらの世界に移住した方もいます。
「え、マジかよ⁉︎ でも、一方通行なんだろ? 戻って来れなくなるんだろ⁉︎」
——厳密に言うと、私たちは一方通行ですね。そちらの世界の方は、一度は戻ることができます。
ええええ! そうなのかよ! うわあ、行ってみたい……。てか、コルノにも会えるじゃん!
——こちらの世界へ来るには、時空の神であるテレスハレス様の恩を受け賜り渡河ができます。恩が無ければ、テレスハレス様が総じるこちらの世界にはいられません。私たちは命が産まれた瞬間にその恩を受け賜ります。人間も精霊も悪魔も全てです。テレスハレス様はこの世界の命を把握するために、等しく恩をくださいます。
「俺にはまだその恩がないんだな?」
——そうです。ですので、一度だけ恩を受け賜る機会を得られるのです。
「平たく言うと、そっちの世界に行けるってわけだ」
——はい。
「で、戻ってくる時は悪魔と同じようなやり方で戻って来れるんだな? そして恩は一度受けてるから、そっちには行けなくなるということか?」
——そのとおりです。恩ある者がこちらの世界からいなくなると、テレスハレス様は仇の烙印を押します。それがある限り、こちらの世界には戻っては来られません。
仇の烙印……。つまり魔力が半減するとか、そういうデバフなのかな。
「コルノみたいな思念体なら大丈夫なのか?」
——ええ。肉体と魂はこちらにありますから。凛郎のように魔法の才がある人物に力を渡し媒介を造れば、思念体も留まれます。仇の烙印も仮のようなものですね。
俺のおかげなのか。それでいて、ぞんざいな扱いをしているのか。なかなかの神経をお持ちのようだね、コルノさん。
——しかし、そちらの時空の神がお目覚めになられたら、この限りではないのですが。
「え、それ神話だろ?」
たしか時の神って、ギリシア神話だとクロノス? カイロスだっけ? 日本神話にもいたような気がする。
——そうですが……。神話というのは神との対話の事実を婉曲して伝えるしかないから生み出されたのです。神の言葉をそのまま言えば、発言者が神格化する恐れがあります。それを防ぐために、挿話にしてまとめたのが神話です。つまり限りなく事実なのです。そちらの世界も同じではないのですか?
あー、これはこちらの世界の意見を求められているのか? 壮大な質問だな。俺なんかが即答できる質問じゃないぞ。ニュースにエンタメ情報が入る俺にわかるはずないよ?
「ごめん! わからん!」
——はい、そうでしょうね。ニュースがエンタメばかりの凛郎と議論するつもりはありませんよ。
うぉい! なんだその心を読んだような言い草は!
そもそもこいつ、俺が楽しみにしてた身体強化をかけ忘れておちょくってたんだった。
「コルノ、俺を煽ることくらいことくらいしか、やることねえのかよ」
——私にはこの仕事しかありませんので。
「いや、この後時間あるだろ。これが終わったら何するんだよ?」
——刑執行の報告と、明日送還される悪魔の割り振りを確認。そのあとは英気を養います。
おお、気分転換か。気になってた質問をしてみるしかない!
「散歩とかするのか? なあ、王国の街ってさ、どうなってるんだよ? エルフ……さんとかいるの?」
エルフと打てば絵文字が出るスマホを持つ俺はドキドキが止まらない。婉曲して伝わる挿話があるなら、元がいてもおかしくないよな。
——エルフですか? わかりません。行ったことがありませんから。
「行ったことないって、おまえ……」
——凛郎、早く学校に行かねば遅刻ですよ。それでは、また明日。
……街へ行ったことない。
箱入り娘とかそういう話なのだろうか。それとも仕事が忙しい? いや、英気を養うって言ってたし……。
この一カ月は技術的な質問ばかりで個人的な質問はしてなかったが、転送とか世界線の渡河とか神話なら答えてくれたのに。プライベートはぴしゃりと教えないって、決まりでもあるんだろうか。
そもそもコルノって、いくつなんだろう。それも知らないな……。
パッと景色が変わった。ああ、また走るのか。と思ったら、見慣れた場所だ。
「俺の部屋⁉︎」
おお、おお! 今までで一番学校に近いじゃないか! 家なら自転車もあるし、これは安心して登校できるぞ。さすがに8キロ走って、あの強敵と戦った疲労をコルノも考慮してくれたんだろう。
そうだ、早弁用に詰めた朝食を食べよう! カロリー消費し過ぎた。腹ごしらえだ。
適当に作った握り飯とタッパーに入れた目玉焼きとブロッコリーとササミを頬張り、腹一杯になるとスマホを見た。
8時か。
自転車なら余裕、余裕! なんたって自転車通学ギリギリの2キロの距離に住んでいるんだからな! 平坦な道だし、サイクルロードもある。こりゃはじめて5分前登校する優等生になれるかもな。それともコンビニでも寄るか? はっはー……。
あー…………自転車。久しぶりに乗るけど、大丈夫だよな?
「中橋、なんでお前は自転車で来ないんだ? いつも歩きだろ? 道に迷うたって、転校して一ヶ月にもなるんだ。いい加減覚えただろ?」
校門に立つ教師の質問に窮する。
「いや、今日は自転車で来るつもりだったんですが……」
戦闘で心身共に疲労。腹一杯になったがエネルギーになる前の食事はただの錘だ。
その状態で敢行した2キロマラソンは、転校先でのはじめての遅刻判定を受けた。
たしかに飯食う時間を割けば、間に合った。
しかし、自転車があんな状態になっているとは……‼︎
「黄金の蔦が絡まっているというか、俺にしか見えない不具合があって……」
「自転車の不具合で走って来たと。情状酌量の余地をやりたいが、遅刻は遅刻だ。気を付けろよ。ほら、入れ」
「……はい」
コルノめ、地方高校生の強い味方である自転車を封じるとは! しかも黄金の蔦で!
解けよ、と言っても応答はないし。なんでこんなにも走らせるんだよ!
学校に入り、下駄箱から上履きを放る。代わりにすり減りまくった靴底のスニーカーを入れる。
……こんなに走らせるのは、今日、聞いたことと関係があるんだろうか。
悪魔と共存する王国。
王太子の部屋へ易々と入り込む悪魔。
どう考えても普通の国じゃない。罪を犯した悪魔が法廷で裁けるというのは、ギリギリの和平があるのかもしれないが。
そして何より、コルノだ。街に行ったことのないコルノ。
彼女は大丈夫なのだろうか。
聞いたら、答えてくれるだろうか。
彼女は今、何をしているんだろう。