(3)
——凛郎、おはようございます。起床の時間です。
「……ああ、コルノ、おはよ」
俺はベッドから起きて伸びをする。
最近はアラーム代わりにコルノが起こしてくれる。人の声って偉大だ。アラーム音より心地いい。たぶんコルノだからだろう。なんかちょっと秘書っぽくて、うむ起きるか、ってなるんだよな。
あれ? スマホで時間を見ると、まだ6時半だ。
「なあ、いつもより30分早いんだが……」
——大変恐縮なのですが、悪魔の転送される地点がいつもより遠いのです。
とても嫌な予感がする。聞きたくはないが、聞いておかねば後悔するだろう。
「ちなみに場所は決定してるのか?」
——昨日、凛郎を転送した市民運動公園です。あそこは磁場が安定しているようです。
だっあぁあ! 家からだと8キロはあるじゃないか!
自転車で行くか⁉︎ そうだ、昨日はそこのトイレで解散になった! 今日もそれが可能なはずだ! 自転車だ! もともと自転車通学の許可は降りてる!
——凛郎、お忘れではないと思いますが、自身の足による自走があってこそ、魔力付与変性が可能になります。それ以外の走行では認められません。
そう、だった……!
俺は諦めて静かに替えのTシャツをリュックに詰め、身支度に取り掛かる。学校でいつも着替えているのだ。年頃だから、汗の匂いとか気になるのだ。
「……なあ、他に変性方法ってないのか?」
望み薄だが聞いてみよう。
前に聞いたときは、テニスボールを思いきり壁に投げて、跳ね返ってきたボールを身体で受ける方法を提案された。数回ならまだしも、それを1000回やれという。どこでやれって言うんだ。人が見たら心と体どっちの意味でも痛がられ、噂されてしまうだろう。
俺がコルノから譲渡された衝 突の魔法を使うには、その名のとおり何らかに衝突しないといけない。しかし、その方法は現代日本では奇抜過ぎる!
——鼻から牛乳を一気に飲むのはどうでしょう? 牛乳が鼻から口へ落下し、さらに胃に落下、対象指定を胃にすれば変性が可能かもしれません。
「いちおう聞くよ。どのくらい飲むんだ?」
——自身の胃袋を対象指定するので、少なくとも10リットルは飲まなくてはならないかと。
「飲めるかよ。鼻の粘膜死ぬわ。それに吐き出すわ。そうなったら乳牛に申し訳ないわ!」
——鼻の粘膜を身体強化しましょうか?
おいおい、聞いたことある漢字四文字だぞ。でも初耳だぞ!
「身体強化できるのかよ。だったら毎朝身体強化して走らせてくれよ!」
——……今更?
おっほー! おーほほほーっ! 心の中とは言え、こんな笑い方をする自分発見できたよっほー!
「今更でもやってくれよ、頼むから……」
——わかりました。
おお、やった! 身体強化を体験できるのか! どんなものかワクワクだ! よし、やる気でてきたぞ!
そのあとやる気と身体強化のおかげか、ペースを乱すことなく、コルノに急かされることもなく、8キロを無事に完走した。
運動公園の門扉を曲がり、朝のマラソンを日課としていそうなお姉さんとぶつかり、抱き留める。
「やだっ、びっくりしたぁ!」
「失礼、お嬢さん」
しまった。身体強化にトキメキ過ぎて、変なことを言ってしまった。
「……いいよ。私こそ、ごめん」
爽やかなショートカットのお姉さんは少し照れた様子だ。膝の形が綺麗に出てて、足首がキュッとなっている。身体強化について自慢したら、話を聞いてくれそうだ。
そうこう思っているうちに、俺は光り輝き、魔力付与変性が完了した。
「あれ、さっきの子は……?」
と言っているお姉さんの隣で黒いローブを身にまとい、認識阻害を確認してから、コルノに話しかける。
「これが身体強化か。たしかにいつもの倍は走ったのに、それほど疲れてない気がするぜっ……!」
——そのことですが……すいません。身体強化を忘れていました。
「なっ……!」
俺の、俺の、一カ月の走り込みの成果じゃねえか! 持久力のアップを実感したってことかよ!
——それほど疲れてない気がするぜっ……! ふ、草が生えるとはこのことを言うのですね。
「コルノ! 俺のスマホを勝手に触ってもいいけど、くだらないことばっか覚えるんじゃねえよ!」
——文化としての吸収です。くだらない事が溢れているのは、とても良いことですよ。しかしながら、凛郎。ネット広告をクリックし過ぎて、いやらしい広告ばかりが表示されるのは、ふとした時に困ることがあろうかと忠言いたします。
んなぁ! そこまで理解してるんすか⁉︎
「し、しかと心に留めておきます……」
そんなことを言ってるうちに、禍々しい光の柱が空に浮かんだ。
——行きましょう、凛郎。
くぅ、なんか身体強化についてうやむやにされた気がするが、敵が現れた以上は行くしかない。
「接 地 衝 突!」
上空の黒紫の柱の光がいつもより濃い気がする。それに中からバチッバチッと聞こえる。
——あの火花、まさか……。
そうコルノが言ったあと、光の柱が消失し、辺りに火花を散らす女が現れた。上半身はビスチェと毛皮のショールを着ているが、下半身は大蛇。一つに結い上げた黒髪にはティアラのようなものが載っている。明らかに今までの悪魔とは違う着飾り具合だ。
「火花の蛇妃、シンティラ・セルペンス! なぜあなたがここに⁉︎」
「あら、おかしいですか?」
——凛郎、対象指定をはじめてください。彼女の周りに散る火花でかまいません。
もうやるのか? とは雰囲気を読んで聞かない。おそらくこの蛇女は強敵なのだろう。相手に届かぬように小声で対象指定を火花に指定する。
「この場にいるのは本来なら、あなたの子供であるカルクルス・セルペンスです」
「ええ、知ってますわ。しなかしながら王国法廷の老賢者たちはわたくしの保庇嘆願を認め、わたくしを転送したのです。もちろん息子のカルクルスも公爵様から厳罰を与えられておりますわ。問題は何も無いでしょう?」
つまり死罪となった息子の代わりにここに来たのか。それだけ聞くといい話だが、コルノの様子からして俺たちにとっては悪い話なのだろう。
「さあさ、はじめなさい」
「……カルクルス・セルペンスの罪状を改めます。かの子息は王太子クレストランブル殿下のお造りになるフィギュアなる人形を盗み、その過程で近衛騎士五名、王国魔導師三名を殺害しました」
また王子様かよ。今度はフィギュアなる人形って、つまりフィギュアだよな。器用で多趣味だな。……にしても、ガーゴイルの時より死人が増えてるじゃねえか。
「まあ、人形など献上させればいいものを。愚息が失礼しましたわ」
献上? 人間が悪魔に?
というか、このシンティラって奴の余裕の態度、寒気がする……。
——黄金の蔦!
グルグルと黄金の蔦がシンティラの身体に巻き付く。
刑の執行を宣言せずに、コルノが攻撃を開始した。こんなことははじめてだ。つまり奇襲が必要な相手なのか。ヤバいな。まだ息が整ってないんだが。
「あら、思念体って便利ですわね。発音無しに魔法を使えるなんて。でも王国法廷の守護執行者が宣言もないのはいささか無作法ですわ。そちらの坊やも罪状を述べる前に臨戦に入りましたし……。失礼じゃなくってぇ?」
シンティラのギョロリとした赤い目がこちらへ向く。俺は動けなくなる。石化⁉︎ ……いや、睨まれただけだ。ドクドクと鼓動が早くなる。息が浅くなって、苦しい……。そうか、俺、めちゃくちゃビビって———