(13)時空の神と対峙する その1
墓地から獣道を進み、急斜面を登り始めた。かろうじて道があるとは言え、日が落ちた後、深い林の中では足元すらほとんど見えない。前を行く高山さんの軌跡と足の感覚が頼りだ。ヘッドライトは近場しか照らさない。考えたくないが、熊とか蛇とか大丈夫かよ。夜の山とか、神様に会うためとは言え、その前に死ぬとかごめんなんだけど!
斜面を登り切る手前、高山さんがライトを消した。隣に来いと手招きされる。少し上にぼんやりと白いガードレールが見える。車道があるのか。
「一気に行くぞ」
高山さんが駆け上がり、ガードレールをひょいと越える。俺も慌てて追うが、暗くてモタモタとしてしまう。
やっぱり車道があった。すばやく横切って小走りで進むと、脇道に古びた木の階段。こぢんまりとした山道の入り口だ。看板こそ立っているものの、駐車場もない。鳥の巣箱ようなポストが建っているが、登山届を出すものだろう。もちろん無視して階段を登る。
とにかく良かった。このまま目的地まで獣道で登山だったら、いつか滑り落ちる自信がある。
階段を登りきり、平らな道に出ると、高山さんは立ち止まって水を飲んだ。俺も腰元のペットボトルを開けて飲む。
登山用のGPSだろう。高山さんはトランプのケースほどの黒い機械を見ている。ヘッドライトと液晶の光しか無い今、辺りの闇が迫ってくるような気がする。
「あの、熊とか出ますか?」
「ここら辺で聞いたことはない。猪くらいはいるかもな。そいつらが出たらこれだ」
そう言って、リュックのホルダーから、プロテインシェーカーを渡された。やけに軽い。……中身は花だ。
「猪に魔法効きますかっ⁉︎」
「さあ? だが、それくらいしかねえだろ」
「いや、もう走行距離残って無いですよ。グラトニーで使い果たしてます」
「余計な事考えてないで、さっさと行くぞ」
余計な事、なのか? 花を飛ばして倒せる奴では無いよな……。そもそも魔法の効果ってあやふやだ。この世界では無い力は、この世界の生物に効くのか。
ああ、もう! 出ないとを信じるしか無い!
しばらく無言で登山道を登る。ホーホーと梟だろう、鳴き声がする。あとは雑多な虫の音だが、闇の中でガサガサと聞こえ、うおっと声を出してしまう。
「ビビんな、狸だ」
高山さんがライトを当てると、小さな目が光った。さっと茂みに消えて行く。ダメだ。街灯のない屋外とか、小学校のキャンプでも体験してない。喋ってないとビビり倒してしまう。
「あとどれくらい登るんですか?」
「三十分だな。途中で旧道に変えるから、最初のような獣道になるが」
おお、もっと山奥かと思っていた。良かった。話しかけても良いようだし、気になってたことを聞こう。
「その時空の神様がいる場所って、なんでわかったんですか?」
前に高山さんは言った。この世界には時の神は名前を変えて複数いるが、この世界が一つであるから一神しかいない。日本にも来ただろう。そこに繋がる場所を突き止めた、と。
「ある爺さんに昔話を聞いたからだ。この街の西に鍛造工場とか、自動車部品の工場群があるだろ? 高速道路の近くだよ」
「はい、知ってます」
父さんが転勤した支社がそこにある。
「そこら一帯の地主のコンドウ家って知らないか? 近いの近藤じゃなくて、今って書く今藤だ」
「あ、俺んち借家なんですけど、表札が今藤です」
今はその下に中橋というプレートを下げている。友人の水島が来たとき、「おまえ、今藤家の眷属かっ⁉︎」と大げさに驚いていたっけ。
「その今藤家の跡取り爺さんに聞いたんだ」
「お、お爺さん、神様と会ったんですか?」
「馬鹿。伝承だよ、伝承」
それから高山さんは話し始めた。
学校のとき、課外学習で街の成り立ちを調べたとき、その今藤家の当主であるお爺さんと話す機会があったと言う。
当時で八十歳くらい。街の成り立ちについて聞いてるのに、自分の生い立ちを滔々と語り出したらしい。
「爺さんは亡くなった先妻の子だから邪魔者扱いされていたんだとよ。だから山の神社跡まで行っていたらしい。まだその頃、山にはポツポツ家が残ってて、中でも神主だった家の人に良くしてもらったんだが、キツく言われたことがある。洞穴の鐘には触れてならないってな」
「洞穴の鐘……」
「それが元々の神社の御神体だったが、明治元年の神仏分離令で頭カチカチに固い役人に当たったんだろうな。鐘は寺にあるものだから、御神体ではないって、神社ごと取り潰されたんだ」
もう一つお爺さんは面白い話を教えてくれたらしい。その神社の辺りは世界大戦中、皇族の疎開地の候補だったが、様子を見に来た旧日本陸軍11名が山で遭難して、話が流れた。
神隠しみたいな話だ。
「人里離れた場所でもないのに、遭難したことを皇軍の恥だと思ったのか、記録は何にも残ってちゃいねえ。しかし爺さんは兵たちが洞穴の方へ行くのを見たらしい。きっと洞穴の鐘に触れたんだ、と言っていたが、11人も触ると思うか? 一人消えたら、絶対に触んねえよ。っていうことは、その洞穴自体が時空の狭間のような存在なんだ」
「じゃあ御神体が鐘?」
「おそらくな。兵士はその鐘に何らかの失礼をしたんじゃないかと推測する。ガキの頃はつまんねえ怪談話だなって流したのに、今になって信じるとか笑っちまうよ」
「確証があるんですよね?」
まあな、と高山さんが立ち止まった。GPSで位置を把握する。登山道の右手に広がる林をじっと見る。それからリュックから懐中電灯を出して辺りを照らした。
俺は滴る汗を拭いて、懐中電灯の光を吸い込むような林の中に目を凝らす。牛乳パックくらいの石がいくつか地面に差さっている。苔むし方から見て、かなり昔からあるのだろう。これは墓地でも見た無縁仏ってやつか。
……これが昼間のハイキングなら、何とも思わないが夜に見ると不気味過ぎる。しかも、昔は土葬の集落もあったのだ。それを考えるとゾワゾワとした。
「ここにも小さな墓地があったらしい。見ての通り、下に移されたがな。爺さんが言うには、そこを近道にして神主の家まで行っていた。緩やかだが、落ち葉で滑る。気をつけろよ」
通るのかよ、とは言えない。悪魔のなれ果てがいた下の吹き溜まりよりはマシと思うしかない。
「高山さん、ここを登ったことたあるんですか?」
「ああ。上に朽ちたしめ縄がある洞穴を見付けた。入口の石に刻まれたのは何処鐘命。この街の民族史にも小さく載ってたよ。昔からこの辺は山鳴りがあって、それが何処鐘命の寝息らしい。その信仰も過疎って伝承しかないがな」
「寝息……」
コルノが言っていたことを思い出す。「そちらの時空の神がお目覚めになられたら」信仰の減少で眠りに付いているのか?
「じゃ、登るぞ。コケるなよ」
「あの、さすがに猪が出るんじゃ……」
「安心しろ。奥に行けば行くほど、静かになる。虫も、動物もいない。洞穴の前は風も無く、木立の葉もピクリとも動かない。耳鳴りがするほど静寂だ。神が寝てるんなら、万物は邪魔できないんだろうな」
そ、それは安心、なのか?