(2)
——樹 海 の 湖 畔を展開し、完了しました。凛郎、認識阻害の確認をお願いします。
ぶつかった女子高生はけっきょく尻餅を付いた。目をパチクリとさせ、俺を探している。
「え、え、さっきの人……消えた?」
「認識阻害、確認!」
と大きめの声で言うが、彼女は首を傾げながら立ち上がる。
まあ、俺が見えていたら確実に不審者と思うだろう。
魔力付与変性が終わると、黒の学ランに黒のローブが巻かれるる。魔法が使えるようになった証であるこのロングローブは、日本の住宅街ではまずお目にかかれない。
彼女を見たところ怪我はない。良かった。俺のことは幽霊だとかそういうことを考えるのだろうか。小走りで去って行く。この道が使えなくなるかもな……。
「……なあ、賢者コルノ。変性方法って何とかならないのか?」
——何度も言っておりますが、魔力付与変性には段階を踏まなくてはなりません。
とスマホカバーに擬態しているコルノは言った。
彼女の正確な姿はわからない。女性だということはわかっている。異世界より思念体となって現れたコルノは俺のお気に入りのスマホカバーを無理やり剥いで、黒地に銀の鹿が描かれたカバーを作り、この世界に留まる媒介としたのだ。
——段階もなく、おいそれと天に願うだけで変性するのなら、この世界軸は魔法使いで溢れていることでしょう。
「違うんだ。段階を踏むのはいいんだよ。もっと、別の方法で変身したいんだよね」
——と、言いますと?
「朝、起きて学校に行きがてら全力ダッシュして、挙句に人にぶつかりたくないんだよ。わかんないかな?」
——この国に起きまして、異性と曲がり角でぶつかるのは、とても自然で後腐れの起きない変性方法かと。
「うん、わかってないね」
そもそもなんで、家から4キロ先の曲がり角を指定するんだ、という質問はできそうにない。もう敵が来たようだ。
少し離れた上空で黒と紫の光の柱が空へと放たれる。
——まななく敵が異世界より転送されます。雨樋悪魔です。水属性により、雨を呼ぶでしょう。
「おお、水か。相性いいやつじゃん」
——では行きましょう。
「はいよ! 接 地 衝 突!」
ボンっと地面から足が離れ、空へ押し出される。はじめてやったときは盛大に悲鳴をあげたが、慣れてしまえば遊園地のアトラクションと同じだ。
禍々しい光の柱まで飛んでいく。眼下で歩く人々は全く空なんて見ていない。今から来る悪魔も、転送の時に異世界で認識阻害を付与してくれているおかげだ。
禍々しい光の柱がブワッと霧散する。
石の身体と羽根、大きな尖った耳の悪魔が現れた。
「グガァァア! ココは……ドコだァ? 貴様はダレだァ?」
「ここはお前がいた世界じゃない。俺は 委託執行者コリジオンだ」
「執行者だァ? オレは何も罪など犯しておらんゾォォォオ‼︎」
ガーゴイルの叫びで、耳がビリビリする。
何にもやってなかったら、こっちに飛ばされるはずないだろ。
「ではガーゴイル、罪状を読み上げます。まず雨樋に擬態し、高所から城の中を覗き見した窃視罪です」
ガーゴイルにかざすスマホからコルノが喋る。
スマホカバーに描かれた銀色の鹿の口がパクパクと動いているだろう。普段は思念の会話だが、罪状認否ではコルノは発声する。
「王族を覗き見か、何の情報が知りたかったんだ」
「王太子クレストランブル殿下の描いた裸婦像を見たかったようです。ちなみに王太子は現代日本でいう神絵師です」
マジか。
王子で神絵師。しかも裸婦画。いろんな方面で支障が出そうな組み合わせだな。
というか、コルノに思念でスマホを操作していいかと聞かれて承諾したが、一カ月で神絵師なる単語を覚えるとは。
「さらに近くで絵を見たいがために城内へ不法侵入し、王太子の部屋で擬態をしていましたが、間近で描かれる素晴らしい絵に興奮し、絵を盗もうとしたところを騎士に見つかり戦闘。騎士二名が死亡しました」
「……そんな魅力的な絵描くのかよ」
「グガァァア! 心が燃える絵であったァ! ソレをあの王子は気にいらぬと言って、描いた絵を捨てた! オレの推しが燃やされる悲しみが貴様にわかるかァ! それを救って何が悪いィ!」
「いや、気持ちわからんでもないが、人を殺してるだろ。明らかにやり過ぎだ。ってか、さらっと推しって言ったな。異世界でも推しって言うんだな」
「左様だぁ! この世界のサブカルは王国の守護執行者によって広まっておる! とくに最近のニホンという国は守護執行者の地域として選ばれやす——」
「ガーゴイル黙りなさい。王国法廷と悪魔族の討議結果、悪魔族は王国の下した死罪を承認し、守護執行者コルノ・チェルボス・コリジオンよる刑の執行を受託しました」
「……おい、コルノさんよ。サブカルのために俺を選んだのか?」
——凛郎、真面目にやってください。さあ、刑の執行です。
こりゃ、そうやって選んだな。
てか、サブカルのために俺を選んだ奴が真面目とか言うな!
「グガァァア! 誰が大人しく殺されてやるかァ! 雨よぉ、降れぇ! 雨乞い!」
ゴロゴロと雲行きが怪しくなってきた。あっという間に空が黒くなる。
コルノの言ったとおり、水属性特有の湿気を感じる。いいね、水は俺の魔法と相性が良い。
ガーゴイルは石でできた爪を飛ばしてきた。
——防衛魔法陣を展開。
コルノによって魔法陣が眼前に張られた。石の爪が当たると、砕け散る。
俺は右手をかざし、詠唱する。
「ガーゴイルの雨乞いを対象指定!」
防衛をコルノ、攻撃が俺という役割分担だ。しかし俺が攻撃をするには時間がかかる。
「グガァ! 空より雨の刃を降らせてやるゥ!」
ガーゴイルはそう命じたが、うんともすんともいわない。
「グガガガァ! なぜこんなに雨が弱いのだァ!」
雨は傘を差すか差さないか、迷う程度の霧雨だ。
諦めたガーゴイルは、距離を詰めてきた。防御魔法陣を殴る。ガキィン、と弾かれ、奴の腕にヒビが入る。
「グギャアァ! なぜだァ! こんな貧弱な守護魔法ごときにィ!」
「ガーゴイル、諦めなさい。この世界に転移した以上、あなたはもう上級悪魔ではありません」
へえ、上級悪魔だったんだ。納得。一ヶ月やってきたが、ここまで好戦的な奴ははじめてだ。だいたいが逃げながら攻撃するので、それを追いかけて攻撃をしていた。
「公爵様ァ、どうかァ! どうかァ! お助けをォォオ!」
よしよし、逃げないでくれるか。
それにしても、みんな公爵様って奴に助けを求めるんだよな。悪魔族のお偉いさんって聞いたけど、そいつも処刑を了承してるんだ。助けなんて来ないのに、よほど頼りになる奴なのか。
しかし異世界からの実体転送は一方通行だ。もう二度と戻れないし、助けの声も届かない。
「グゾォォォ! こんな、こんな、ザコどもに負けるなどォォ!」
「それがこっちで処刑するミソなんだよ!」
世界を跨ぐと魔力が半分以上削がれる。それを利用して刑を執行するのだ。
しかしそれはコルノも同じ。そもそも守護執行者は一人で担うものらしい。
コルノ・チェルボス・コリジオン。それが彼女の魔法名だ。
彼女は思念体となり世界を跨ぎ、半減した攻撃魔法・コリジオンの名と力を俺に与えた。
そしてコルノの実体は異世界から守護魔法を行使している。俺のスマホケースを媒介し、魔法を展開するのだ。
もちろん展開した魔法の威力は半減する。しかし攻撃魔法を俺に譲渡したその空白を守護魔法に当てているので、弱化は最低限に抑えられる。
でもこの世界で生きる俺には魔力半減は例外だ。
かざした右手にモニュモニュと違和感を感じてきた。
「コルノ、対象指定完了だ!」
魔力を付与された俺は悪魔を倒すと魔力が上がるらしい。まあ、こっちの世界で言う経験値である。一カ月前とは違い、対象指定の時間もグッと減ってきた。
——了解しました。刑を執行してください。
「対象指定 ≒ 雨乞いよ。我が魔力をもって命令する! 槍 となれ!」
霧雨だったのは魔力半減の影響もあるが、俺がガーゴイルの雨を集めまくってたからだ。
俺の突き出した手から集めた雨が変性し、槍を型取り、出てくる。
——槍の切っ先よ。森の精霊王の鹿 の 角を宿せ。
コルノが防衛魔法陣を解き、槍に魔法を付与する。槍の先は鹿の角のように二股で鋭利となった。
よし、今日もいっちょぶっ放しますか!
「衝 突!」
槍は一直線にガーゴイルに向かい、その身を貫く。
「グギャァァア!」
耳をつんざく悲鳴ともに、ガーゴイルは消えてなくなった。
衝突。対象指定したものを敵にぶつける。どシンプルな魔法だ。俺の魔力を通せば、他の姿形に変性することもできる。しかし集められるものは少ない。眼下の木とか電柱なんか使えば、街は混乱しSNSで拡散するだろう。よってあるものと言えば、悪魔が出す炎だったり、雷だったりするのだ。水は集めやすい分、相性がいいのだ。
——凛郎、ご苦労様でした。では良い一日を。
「ああ、コルノもな」
おっと、毎回言いそびれるが、今日こそは言わねば。コルノは終わるとサクッとフェードアウトする。
「あのさ、できれば学校の近くに戻して……」
パッと空から地上へ。
見渡すとどこかのトイレだ。おそるおそるスマホで現在地を取得……って!
「だっあぁ! なんでこんな所に戻すんだよ!」
ここは市民運動公園の公衆トイレだ。高校までの道のり約4キロ!
「嫌がらせかよ! 越して来たばかりで、バスも電車も詳しくないってのに!」
コルノは毎回、毎回、頑張って走れば遅刻しない場所に転送する。人気のない場所を選んでいるらしいが、絶対にわざとだろ!
そうは言っても走るしかない。俺は高校へ向けて走り出した。