(6)高山さん その1
コルノが帰国予定とした8月3日は昨日で過ぎた。
昼飯の時間、テレビからニュースが流れる。フランス、パリ、邦人女性、失踪……。
母さんがテレビを消すが、もう食欲も消えた。
「……ごちそうさま」
「凛郎、もう少し食べなよ。倒れるよ?」
「大丈夫だから! ……放っておいて」
ダンダンと階段を鳴らしながら、2階の部屋に入る。
机に座って、参考書を開くが手に付かない。
コルノは必ず戻ってくると、約束した。ならば何かあったんだ。叶うことならパスポートを取り、フランスに行きたい。
そう焦る気持ちがある一方で、コルノだって、異世界に姉や母親がいる。帰りたくない。そう思っても、責められる立場じゃない。そんな寛容な考えも浮かぶ。
でも、またあの細い足に枷が嵌ったら……。帰りたくても、帰れなくなっていたら……。
帰国を待ち焦がれていた夏休みはただの地獄だった。
部屋に篭って高山という刑事が来るのを待つしかない。あの人は何か知っているのだ。そう信じて、待つ。
待つだけがこんなに腹が立つとは思わなかった。何も手に付かない。出かける間に高山さんが来たらと思うと、どこにも行けない。
コンコン、と扉がノックされた。
母さんだろう。最近飯を残すと、部屋の外に置いてくれる。でも食べる気になれない。
「いらないから!」
机に突っ伏してそう言うと、部屋の外から笑い声が聞こえた。母さんではない。男の声だ。
「警察の高山ですよ。河野千歳さんについて——」
やっと、来た……!
「遅いですよ‼︎」
急いで扉に向かうと、勢いよく鼻を掠めてドアが開いた。
廊下には足の裏をこちらに向ける男。ドアを蹴って開けたのか。
「はあ? 遅いだぁ? 来たことをありがたいと思えよ。俺は貴重な非番なんだぞ」
呆然とする。
ズカズカと部屋に入って来るこの人は誰だ? いや、前に来た刑事の高山さんだ。間違いない。だとしたら中に悪魔が入り込んだのか? 口が悪くて、目付きも良くない。
「しかし、お前のオカン大丈夫か? 俺一人なのにホイホイ家上げたぞ。警察が必ず複数人で行動するってのは市井の周知じゃないの? 詐欺とかヤバいぜ?」
階段を上がる音がして、高山さんは俺の肩に手を置く。
母さんが恐る恐る顔を出す。
「あ、あの今の音は……」
「いやいや、大丈夫ですよ。このくらいの歳の子は、力が有り余るもんです。無理矢理に話そうとした僕に非があるんですよ。凛郎くんだって扉蹴っちゃいますよ」
け、蹴ってねえし! 俺が蹴って、なんで内側にドアが開かれるんだよ! そもそも招き入れようとしてたわ!
「凛郎、落ち着いて。心配した刑事さんが様子見に来てくれたんだよ」
母さん? こいつの言うこと信じてんのか?
「大丈夫ですよ。立ち上がる力があるのが若者です。僕は少年課でいろいろ経験しましたから、任せてはもらえませんか」
「……お願いします」
人が良す過ぎだろ、母さん。ほんと詐欺とか大丈夫か? てか、俺、そんなにイライラしてたってことか……。
母さんが静かにドアを閉めると、高山さんはどかっと床に胡座をかく。
「あのエアメールの話、ほとんど嘘だろ?」
なっ……なんで。それを追求しに来たのか?
「嘘付くの下手過ぎるわ。まあ、警察と初対面の高校生ならビビって当然だ。あんな言い方になるのもわかる。だが聴取の回数重ねられたら、疑惑の塊だ」
だからメモにタカヤマなら言うと言え、と書いたのか。庇ってくれてるのか?
いや、まだ不用意に口を開くのは、得策じゃない。
「お前、一年前の6月。救急車に乗ったろ?」
……乗った。転生したコルノと再会したときだ。念のために近所の人が呼んでくれた。
「ファインプレイだよ。出動履歴が残ってて良かったな。河野千歳と出会ったのが他の方法なら、もっとややこしいことになってたぞ。税金による記録は大切なんだな。大人になったら、ちゃんと納税しろよ」
「な、何なんですか、あんたは……」
くく、と高山さんは笑った。
「改めてこんにちは。委託執行者の後輩くん。俺は3年やった大先輩だぜ。もてなせよ」
……は? 委託執行者?
「嘘だ……」
「河野千歳の前世は、魔法名コルノ・チェルボス・コリジオン。市民名ユユ。森の精霊王からの加護を授かった王国法廷の守護執行者、だろ?」
俺の知ってることを、この人も知ってる。
「ま、マジか……」
「マジだよ。兄君って呼ばせて、けっこう仲良しだったんだぜ? こっちで転生してるってことは、その前にお前会ったことあるんだろ? どんな子なんだよ? 可愛かったか?」
ムカっとする言い方だ。コルノの最期を何も知らないくせに。
「……教えねえよ」
「怒んなよ。こんな言い方する奴に頼るしかねえってこと、忘れるなよ」
高山さんは俺の割れたスマホを見る。
「前に来たときにも思ったけど、思念の媒介スマホにしたのか?」
「そ、そうだけど。あんたは違うんですか?」
「スマホなんか媒介にさせるかよ。腕時計にしたさ。それも戦闘以外は付けなかった。ってか、辞めるとき媒介を割れとか言われてマジで後悔したけどな。初ボで買ったのにさ」
この人マジだ。媒介を割ったって言った。マジで執行者だ。
「あんたに聞きたいことがある! 俺は異世界に———」
高山さんが人差し指を口に当てる。ぐっと言葉を飲み込む。
「凛郎くん。病気のことを聞かされていなかったのなら、仕方ないよ。イギリスの彼女も君と対等なやり取りを望んでいたんだ。急な死別に心を苛まれ、偶然出会った河野千歳へ彼女を重ねても君は悪くない。そして彼女もまたいなくなってしまった。それは本当に辛いだろう」
どうして、そんな嘘がスラスラと出てくるんだ。てか急になんだよ。
「……あの、お茶をここに置きます。宜しかったら、どうぞ」
うお、母さん廊下にいたのか。聞こえてたら信じちまうだろ。いや、信じていいのか。いや、なんか信じられても癪に障る。なんなんだよ、この人! 性格に難あり過ぎだろ!
高山さんは礼を言いながら、麦茶が載る盆を廊下から持ってくる。
「……気配がわかるんですか?」
「馬鹿か? 気配なんてわかるかよ。玄関の靴に集音機仕込んで、イヤホンで階段上がる音聴いてんだよ。Bluetooth様様だわ。気配とか、ガキだな」
言い方ぁ……。大切なんだな、言い方ってぇ……。
「まあ、魔法の残滓はあるけどな。対象指定 ≒ 硝子の茶碗。俺に衝 突」
麦茶が入ったコップが、高山さんの胸元にぶつかり、中身がシャツにかかる。
「さあて、弁償してもらわねえとな。盗み聞きもされるし、場所変えるぞ」
「な、な、なんだよ、それ‼︎」